第20話 『魔法使い』の村のノート
朝だ。
億劫だが店開きをしなければならない。
店舗と住居を兼ねた魔法が吹き乱れる一軒家で、寝ぼけ眼をこすりながらサプスは一階に降りてきた。人目がないからと遠慮なく大口を開けてあくびをする。
食事はなんとかパンだけ口に突っ込んで、着替えはしたがそれ以外の何も取り繕っていない。髪も寝起きのボサボサから自然に直っただけ。
店内に灯りをつけて、入口の扉を開けた。
ルレアがいた。
「うおっ、……おはよう、早いね」
「おはようございます。依頼を受けてきました」
サプスが驚くのにそう言ったルレアは、その反応が懐かしかった。
グラシゥスといる時にはまずされない反応だから。
サプスは扉の看板を開店中のそれに変えてから、また大きくあくびをしながら雑貨店の中にルレアを招く。
「まだ開店準備中だから適当に店内を見て待ってて。終わったら昨日の部屋まで案内するよ」
「分かりました」
結局あれから、この女性に道を教えてもらって、手早く依頼を終わらせて、金魚鉢を買って帰った。
買った金魚鉢は、部屋の窓際に大切に置いてある。
今朝はグラシゥスに言って朝の鍛錬はなしにしてもらって、その分だけ早く協会に赴いて、朝一で依頼を受けてその足でこの店まで来た。
昨日は特に自己紹介などもしなかったから彼女の名前も知らなかったが、依頼を受けた時には依頼者の名前も共有されるのでそれで今は知っている。
サプス・ランラ。
少し背伸びをして上の棚にあるものを見ているとルレアは不意に思い出した。
「そういえば、ランラさんは私の名前は――」
「アンティルレアさんだろう? 噂になってるからそれは知ってる」
「では、改めまして、冒険者協会から来ました、アンティルレア・プレナです。よろしくお願いします」
開店準備だという、ルレアにはよく分からない作業をしながら彼女が言うから、ルレアは体を向けて丁寧にお辞儀をした。
町の人にとっては自分は部外者だし、冒険者としても初心者なのだから、依頼者の心象はいいだけいい。こんな丁寧な言い回しは村ではしなかったが、グラシゥスと会話していてそろそろ慣れてきた。
気にするほどのものでもないが、少し、間が空いた気がした。
サプスが応じる。
「よろしくね。さて、部屋に案内しようか。依頼に出したのはあの部屋だけだったっけ?」
大きく伸びをしてから手招きされる。後ろについていきながらルレアは頷いた。
「そうですね、依頼書はそうなっていました」
「じゃあ部屋の掃除が終わったら呼んで。私は店番してるから」
「分かりました」
「それと、気が向いたら他の部屋も掃除してくれてもいいよ」
件の部屋の前に着いた。
当然、それまでに他の部屋の状態も見ている。見たくなくても目に入る。
――ちょっと、いやだいぶ、やりたくない。
「……それは追加料金ですね」
「だよねー。ま、そっちはまた後でやるから今日はその部屋だけでいいよ」
サプスはにへらと笑って、じゃあよろしく、と後のことをルレアに一任して表に戻っていった。
――さて、と。
清掃は魔法でどうとでもなるが、整理整頓となると魔法だけではどうしようもない。魔法の力も借りるには借りるが、今日はそこまで頼れない。
とは思いつつ、さっそくルレアは魔法を使う。
部屋の全体に感覚を広げ、本や紙束の総量と部屋にある収納の容量を把握する。
ついでに、全体的に一通り埃を払った。放置されたままだったのだろう、結構な量だ。空気中に飛び散る前に水でまとめて部屋の片隅に放置しておく。
――あれ、もしかして。
埃を払う時に気づいた。
索識魔法の応用で、目視で確認しなくても表紙を把握できるのでは?
そして、本は浮かせて移動させればいいのでは?
「魔法で全部やれちゃうかも……」
口角が無意識に上がったのに、無意識だからルレアは気付いていない。
そう思うと、先刻に入れたばかりの気合いが抜けて気分が随分と楽になった。
それは、儀式で舞を舞うのだし、その最中は身長の数倍ある帯を地面に垂らさないように振るい続けるのだから、筋力も体力もそれなりにはあるが、ルレアは『魔法使い』だ。
魔法の方が疲れない。
丁度魔法の鍛錬にもなるし、と意気揚々と魔法を広げた。なんだかやりにくい感じがした。
それで思い出した。
――忘れてた。
「お店にある雑貨のせいで精査できないじゃん」
ざっくりと風を操って埃を掃いたり、水の玉を出して浮かせるのとは話が違う。
索識魔法に慣れていないのもそうだし、魔法が吹き乱れているせいで細かい調整が上手くできない。そも、索識魔法が使えないから迷ってこの店に辿り着いたのだ。
そりゃあ、使えない。
ルレアのやる気が一気に失せた。
自分でもびっくりするほどの消沈の仕方だ。
仕方なく手近にあった本を手に取って、なんとなくの分類をするために山を作り始める。
それでもなんとか魔法を使えないかと頭の中をぐるぐるさせながら半自動的に仕分けをしていて、一つ、思いついたことがあった。
「……結界を張ってこの部屋だけ私の場所にしちゃえばいけるかも」
そうと決まれば話は早い。
ウァイストの信徒は、魔法において思いついたことは片っ端からやってみないと気が済まない人が多い。そんな大人達を目にして育っているから、子供達もみんな好奇心と冒険心に溢れている。
ただし、魔法については、であるが。
室内の壁に沿って結界を張る。邪魔なのは店先の雑貨から漏れてくる魔法なので、今回制限するのは魔力だけだ。
その結界の内側に自分の感覚を染み込ませる。
いつもよりやりにくい感じはするが、これであればできないほどではない。魔法の鍛錬になるし、とむしろ若干わくわくしている。
しっかりと染み込ませて、本の一つひとつの表紙をなぞる。
「で……できた!」
全ての情報が手に取るように分かる。
しかも把握する空間を区切っているから、いつもより情報量が少ない分きちんと情報を処理しきれている感じがする。
というか。
やっぱりいつものグラシゥスの、なんでもかんでも知覚させようとするあれは負担が相当大きいんじゃないだろうか。
ぶんぶん首を振って雑念を飛ばす。
とにかく、消沈していた意気を吹き返して、ルレアはうっきうきで整理整頓を進める。
目で見て手で積んでいた時とは雲泥の差だ。
鼻歌交じりに仕分けをして、どこの収納にどの山をしまうかを考えて、決めたらさっさと本をしまった。
――いくつかの研究ノートや手紙の類を残して、装丁された本の整頓には一時間もかからなかった。
「やっぱり魔法ってすごいんだなぁ」
自画自賛して、自分が綺麗にした広々した床をぐるりと眺めたら、満足気に腰を下ろす。
研究ノートと手紙だけ自分の正面に集めて、これは一つひとつ確認することにした。
「個人的な内容だったら見ませんので……」
聞こえてはいないだろうがサプスに言い訳もして、一つ目の手紙に手をつけた。
どうやら、学校関係の手紙のようだった。
精神魔法の研究をしていると言っていたし、こうして店を構える前に通っていた、あるいは勤めていた学校からのものだろう。
グラシゥスから色々と話を聞いて、今はルレアもそこら辺の一般常識は知っている。村にいた時には学校のがの字も出なかったが。
二つ目は友人とのやりとりのようだ。
物理的に距離の遠い友人間ではよくやることなのだと、そういえば母親から聞いた覚えがあった。ルレアの場合、交友関係は村内で完結していたからやったことはない。
大別すると手紙はそのどちらかで、どちらかというのは冒頭の二文字ほどだけで容易に判別がついた。学校からの手紙はやたらと堅い。文字という文化に馴染みの薄いルレアですら分かるくらいには堅い。自分がグラシゥスに使っている言葉が堅い自覚はあるが、それが比にならないくらい堅い。
内容は見ないように気をつけながら、手紙を全て仕分けて、それで、次だ。
一度読み始めてしまったら絶対時間がかかると思っていたから後回しにしていた、サプスの研究ノート。
内容については表紙に表題が書いてあるおかげで、本の整理をしていた時に分かっていた。
一冊、手に取る。
『魔法使い』の村の魔法について。
開いてみた。
最初の三ページが目次になっているようで、ルレアはそこに書かれた魔法の概略と人名を指でなぞる。
全員、知っている。
隣の家の幼なじみのお母さん、広場のところのおじさん、父ととりわけ仲の良かった村の外周の家のお父さん、村で最も長く生きた長老、その彼から名前を聞いたことのある数人の彼より年上の魔法使い。
そして、母親。
「これだ」
ケレア・プレナ。
母の名だ。
彼女のページを開き、ページの一番上に書かれた一文を無意識になぞる。
魔覚魔法。
『魔法使い』に備わっている魔覚を、精神系の魔法と組み合わせることで、魔力や魔法と人格との関係性を把握するという魔法だ。ルレアは母から言外に教わっていて、今でも無意識のうちに使っている。
常時展開する類の魔法で、魔覚に頼っている部分がほとんどだから魔法を使っているという感覚はルレアにはない。それでも、これも立派な母の――ケレア・プレナの魔法だ。
次のページは父のものだった。
トラデスク・プレナ。
屠畜魔法。
父は家畜を飼っていたのと、狩猟も上手だった。一番活躍するから、狩りの日にはルレアの家の食卓が村で一番豪勢になるほどだった。
まるで、飼い慣らした家畜を屠るように獲物を仕留めるのだと、そういえば、誰かから聞いたことがあるような。
文をなぞる。
効果は極めて単純だ。一撃で仕留める。ただそれだけ。それだけだが、苦痛を感じさせず、一撃で確実に命を奪うなんてことをそう易々とはできない。まして、生き延びようと必死な野生動物相手では。
だから、きっと、父は家畜にしろ獲物にしろ、異なる動物の感覚すら理解できるくらいに敏感であったのだろう。
「……あ、そっか」
それでルレアは納得がいった。
自分がやけに魔法に敏感なのは、たぶん、両親の魔法がその類の性質を扱うものだったからだ。
ウァイストの信徒は基本的に一般人よりも魔法に敏感らしい――ここ最近、町に来てからようやく実感が湧き出したところだ――が、それでもルレアより優れている人は同年代にはいなかった。
つまり、だから、私のこれは、きっと。
胸元のペンダントを取り出す。
外を飾る宝石と、中の三人の写真。
両親の形見。残ったのはこれだけだと思っていた。住人はルレアを残して全員が喰われ、村は慣例――前例がないのを慣例と言ってよいのかは分からないが、そういう決まりなのは事実だ――でなくなった。ルレアが消した。
けれどもやっぱり、自分はあの村で育った『魔法使い』で、故郷がもうないというのは、どうしてもそう割り切って受け入れられるものではない。
だから、ノートがあるなら。村が、自分の故郷が、そこに生きていた人達が存在していた証左が他にもあるのなら。少しでも、自分の存在の根底に関わるものを持っていたかった。
そうではなかった。
両親からの遺伝であろうと、魔法の癖の継承であろうと、ルレアの体に染み付いたこれは、間違いなく、両親が生きた証だ。
ここにこうしてまだ生きている自分自身が、この体を欠片でも構成する記憶と経験が、全て、村の、両親の、ルレアの大切な人達が存在した証明なのだ。
自分が覚えているあの温かな日常が、まぎれもなく日常であった証拠なのだ。
「おとうさん……おかあさん……」
ペンダントを胸に抱きかかえる。
嗚咽を漏らしながら、大粒の涙を溢れさせながら、ルレアはひとつ決意をした。
彼らの、彼女らの魔法を、極められることなく探究者の去ってしまった魔法を、ひとつ残らず自分が受け継ごう。決して極められるはずのなかった魔法たちは、私が全て引き受けよう。
記憶の中にしかいない大切な人たちが生きた証は、それだけでも、私が、この手で。
何においても、必ず。




