第1話 魔法使い、名をグラシゥス。
目が覚めた。
やけに静かな朝だった。
少女の家は村の最外周にあるとはいえ、早起きのおじいちゃんの農作業の音とか知り合いのママさんが起きて朝ごはんを作っている音、魔力、あるいはその気配はいつもなら窓越しにでも伝わってくるのに、と。
思ってから気がついた。
「そうだ、昨日」
なんだか体が気だるくて、飛び起きるのも億劫で体を起こす。いつもなら聞こえてくる、台所からの料理の音が全くない。匂いも魔力も、なにも。
ベッドの上で少女はぼんやり思う。
――ああ、やっぱり夢じゃなかったんだ。
昨日、村がバケモノに襲われたのは。
泣いたり、喚いたり、大切な人を失って打ちひしがれたりするのかなとぼんやり思っていたけれど、存外そんなことはないらしい。それとも、頭がそれを思い出すのを拒んでいるのだろうか?
とにかく、村の様子を確認しようと思って布団から出て、格好が寝巻きではなく普段着なことに気づく。家に帰って夕食を食べて、着替える前だったから。
別に誰もいないんだし、臭いとか汗とか気にしても仕方ないと割り切ってそのまま家を出てしまうことにした。
そして出たところで、料理を作る見知らぬ青年が家の前に鎮座していた。
嗅ぐと、この村の伝統料理――祭りの時なんかによく出ていた――のいい匂いがする。
……そういえば、この人がいたっけ。
思っていると、恐らくは扉の音で気がついたのであろう、青年が声をかけてくる。
「おはよう。よく眠れた?」
「……おはようございます」
「うん、寝不足にはなってないようで何より」
「……あの」
青年はこちらに視線もやらず、火に焚べた鍋をかき混ぜている。少女は、一応、手の届かない距離だけ離れた位置から声をかける。
鍋は軽くかき混ぜながら、少女の声に青年が振り返った。黒。あんまり見ない髪と瞳の色だ。彼のように黒い人はいるけど、ここまで艶やかな髪ではないし、瞳だってここまで黒々しくない。
そのくせ、肌は日焼け知らずのような白だ。まるで陽の光を全て透かしているような。
思った感想は全て呑み込んで、一言尋ねる。
「どちら様ですか?」
「魔法使いのグラシゥスだ。ここら辺にはない発音だし、言いにくいだろうからグレイスでいいよ」
「『魔法使い』のアンティルレア・プレナです。……昨日はありがとうございました」
「気にしなくていい。君以外には誰も助けられなかったからね」
「……私は助けてもらえました」
唯一生き残った少女が言い訳するみたいに小さい声で言うと、彼は少し微笑んで、かき混ぜていた手を止めた。
火を消して立ち上がるとお尻の汚れを払う。
「朝食は作ったけど、どうしようか? 村の様子は唯一の生き残りの君に確認してもらいたい。けど、見て気持ち悪くなるようなら朝食は後回しの方がいい。悲惨な光景だから、もしかしたら見た後に食欲がなくなるかも」
「先に村の様子を確認してもいいですか? 誰が死んじゃったか確認したいですし、私が弔わないといけないと思うので」
「多分、その心配はないよ」
青年――グラシゥスが言うのに首を傾げる。
ちょっと待ってて、とグラシゥスは家の裏手に回って、そして、膝から下しか残っていない誰かの成れの果てを持ってきた。
足の先の方だけでも推察はついた。
いちばんよく知っている人だから。
「おとうさんと、おかあさん」
「うん。村を襲ったのが人喰いだったのが災いしてね。どの家の人も骨ごと喰われてて、辛うじて残ったのが二人分の足だけ」
そうだ、とグラシゥスが魔法を使う。なんだと思っている間に、ふっと頭に違和感を覚えた。何かが変わった気がする。それが何かは分からない。
転瞬、悔恨と悲嘆が襲ってきた。
「ぅううぁぁぁぁあああああああ!!!」
叫びながら頭を抱えてうずくまる。
なんで私だけ助かったんだ。
なんでお父さんとお母さんと逃げなかったんだ。
なんであの時の変な音を気にしなかったんだ。
なんで、私以外、みんないなくなっちゃったの。
助けが来るなんて思ってなかった。分かってたら三人でそれまで、腕がもがれようが歩けなくなろうが、とにかく生きるために、喰われないために足掻けた。今こうしてひとりになることなんてなかった。二人が死ぬことはなかった。
タラレバだ。
結果が分かってるから言えることだ。分かってる。分かってるけど、だって、私が生き残れたんだからお父さんもお母さんも生き残れたはずだ。戦う力なんかない私より強くて魔法も上手な二人は、当然生き残れたはずだ。
頑張ればよかった。化け物が来た時に、両親と一緒になって家を飛び出して森に逃げ込めばよかった。あの二人の自己犠牲なんて無視して、一緒に戦えばよかった。
涙がぼろぼろ溢れてくる。昨晩の幸せだった最後の時間の、夕食どきのリビングの光景は鮮明に脳裏に残っている。あれが二度と来ないだなんて、昨日の自分に言っても信じないだろう。
いつ間違えた。
何を違えた。
誰が悪かった。
どこが違った。
分からない。ただ、私が生き残って、両親が死んで、恐らく世話焼きのおばさんも仲の良かった幼馴染みも世界で二番目に魔法が上手かった村長も、村の人は皆殺しにされた事実だけが残った。
……きっと、誰も悪くないのだろう。
もし襲われることが分かっていたら、死人は出ても皆殺しにはされなかったかもしれない。でも誰も奇襲されるだなんて考えもしないし、それが悪いわけじゃない。いつ襲われるかびくびくしながら生きてる方がよっぽど変だ。
だから誰も悪くない。運が悪かっただけ。
そんなこと言ったって、納得はできない。
支離滅裂で取り留めのない後悔を、口には出さず喚きながら、口からは泣き声なんて可愛いものじゃない叫び声を撒き散らして。
少女は、『魔法使い』は、その村の唯一の生き残りは、――アンティルレアは泣き続けた。
泣いても何も変わらなかったし、足だけになった両親の死体は変わらずそこにあったし、朝食は火を消した鍋の中で冷たくなった。
それだけだった。
§
「お騒がせしました」
結局、ルレアが泣き止むまでグラシゥスは少し離れたところから見守っていてくれて、泣き疲れたのは、せっかく彼が作ってくれた朝ごはんがすっかり冷えきってしまった頃だった。
気持ちを落ち着かせるためにも体力のためにも先にごはんを食べようということになって、温め直した料理をよそってもらった。
朝起きた時には全く覚えなかった虚無感が今になってどっと襲ってきている。
「……浴後に湯けむりに佇む。魔法は万象に帰す」
「花車の意匠に」
ルレアは自分の村の、グラシゥスは冒険者の言葉で軽く祈ってから食べ始める。食べながら、青年が気を遣うように言う。
「念のために精神魔法で保護しておいたんだけど、いらなかったかな」
「さっきの見て、いらなかったと思いますか?」
言ってから、含みのある言い方なのに気づいた。
しまったと思うが、グラシゥスは気にしていないようで気楽に返される。
「人によっては勝手に感情をいじられたみたいで気持ち悪いってこともあるからさ」
「特にそんなことは」
「それならよかった」
ルレアの言葉にどこかほっとした様子でグラシゥスは少女と同じ朝食を口に運ぶ。
ところで、と嚥下した彼に訊かれる。
「この村って、魔法信仰が盛んだったりする?」
「そうですけど……なんで分かったんですか?」
「『魔法は万象に帰す』って、魔法の神ウァイストに由来するお祈りだよね。魔法が身近なところじゃないとまず聞かない」
魔法の神ウァイスト。
かつて存在した神々の中で、酔狂にも魔法を極めた者の名だ。そしてルレアの、ルレアが住んでいた村の主神――信仰対象である。
一般に日常的な挨拶として主神への祈り言を使うが、ルレアのそれは村で一般的だったウァイストの祈り言だ。
村の外に行った時、両親が買い物をしてるのを横で見てる時なんかに村では聞いたことのない祈り言を聞いて、母親に尋ねたことがあった。
祈り言以外にも様々な神について教えてくれて、ルレアは面白がって聞いた。
……お母さん、かぁ。
いなくなってしまったものは仕方ない。一通り泣き腫らして、自分なりに整理はつけたつもりだ。お父さんもお母さんも、きっとウァイストの許かどこかで、しくじったなぁとか、ルレアはちゃんと生きられるかしらとか、そんなこと言いながら笑いあっているはずだ。
私は、ちゃんと生きないと。
もう、何者になるのかも、どう生きるのかも、誰と過ごすのかも分からない、荒野に放り出された赤子だけれど、それでも、生きるためには生きていくしかない。
死んでなんていられない。
ルレアは向かいの青年に、途切れた会話を無理やり繋げるように話しかける。
「『花車の意匠に』って誰のお祈りなんですか?」
「冒険の神アリューティシルに由来する祈り言だよ。僕たち冒険者がよく使う文句だね。『花車の意匠の祝福が、幸多き旅にありますように』」
言ってみせてくれたグラシゥスに小首を傾げた。
冒険者が、ということは。
「職業によって違うんですか?宗教じゃなく?」
祈り言はそれぞれの神に由来していて、だからその神を信奉する宗教や村落ごとに違ってくるのだと思っていた――母からはそう教わったのだけれど。
グラシゥスは少女の問いに少し考えて答える。
「アリューティシルを信仰する宗教もあるけど、それはそれ。冒険者がみんな使ってるから、それに合わせて挨拶代わりに使う人も多いんだよ」
そう言われてしまうと、今までは村の中で過ごしていたけれど、これから自分は村の外で生きていくことになるのだから。
「私も合わせた方がいいですかね?」
「いや、それのままでいいと思う。違う宗教の冒険者同士が違う挨拶を使うことなんてザラにあるし」
それに、と彼は続ける。
「僕は『魔法は万象に帰す』ってお祈り好きだよ」
「……そうですね、私も好きです」




