世界が彼を思い出す
「魔王が殺された殺された!」
協会の扉が開かれるやいなや、一人の剣士がそう叫んだ。当然、騒がしかった協会内部は静まり返り、ぽかんとしている冒険者たちを素通りして彼ら彼女らは受付まで行く。
七人組だった。剣士二人、魔法使い二人、戦士一人、斥候一人、神官一人。
まるで大人数パーティーのお手本のような構成だ。
彼らが誰で、なぜ七人パーティーという基本の四人一組とは大きく異なる人数構成なのか。しばらくの間七人はこの都市を拠点にしていたから、常連は皆知っていた。そして、数日前に、強行軍で魔王城まで赴いていたことも。
人類の生存圏の中で最も魔王城に近いこの城塞都市は、魔王軍にも人類側にも属さない魔物が腐るほどいる山脈のその只中にあり、都市からそんな山々をいくつか超えたところが魔王城だ。
魔王城へはその魔物たちが障害となり、逆に魔王城からも魔物たちが障壁となっている。中立の魔物が溢れかえっているのが、こんな敵の本拠地の近くに都市が立地できる最大の要因だ。
慣例に則れば、その魔物たちを討伐、あるいは交渉して徐々に進軍していき、最終的に精鋭の数パーティーで魔王城に乗り込み魔王を討つ。ひと月、ふた月で帰還すれば早い方だ。
それを、この七人は数日で踏破し、そして帰ってきた。
その第一声があれ。
金髪の剣士が、七人を代表して受付嬢に言う。
「魔王城にいた魔族は全員殺されていて、俺たちが魔王のところに着いた時には、魔王の首が落ちるところだった。誰かに殺されたんだ」
「えっと、……それはあなた方が殺した、ということではなく?」
「違う。何者かに殺された」
「と、とにかく報告を受けます。こちらへ」
勇者の言い方に違和感を覚えながら受付嬢が問うが、当の本人は即座に否定する。いかに見慣れているとはいえ、その場にいなかった受付嬢では、彼らの武器防具の損傷が強行軍道中のそれなのか魔王城での戦いのそれなのか区別がつかない。
が、魔王討伐のためにこの都市まで来、魔王城へ赴いたパーティーの人間が、わざわざ、魔王が誰かに殺されたと偽る理由もない。
受付嬢は困惑しながらも、取り敢えず細かな報告を受けるために彼らを裏の応接間に案内する。支部長を呼んで、カウンター業務を同僚に任せて。
その傍ら、ふと思った。
そういえば、彼らはなぜ、魔王城へ強行軍で向かったのだったか。
§
雨の日だった。
魔王暗殺の報が全世界に回って、その貴族も手の者に確認を取りに行かせ、その報告を受け取った、丁度その日の夜のことだった。
既に暗殺からはひと月ほどが経過していたが、その間に奇妙な噂が流れていた。
『姿形のない暗殺者が、弱者を助け、悪者を裁く』
どこから湧いた噂であったかはもう定かではないが、その噂を聞いた者は皆、納得して別の者にまた噂を広げた。
『その暗殺者は、魔王を手にかけた者だ』
魔王ほどの悪さえも裁ける者がこの世にいるのであれば、なるほどそれは、どんな悪者であっても裁けるのであろう。そして、弱き者を救うことさえできるのであろう。
――馬鹿げている。
「所詮、権力を持つ者は金を持つ。金を持つ者は権力を持つ」
金を持つか、権力を持つか。そんな二者択一はありはしない。どちらもあるか、どちらもないかだ。
赤いワインをグラスに揺らしながら、独りごちる。
――そして俺は、それを持っている側だ。
「持っていない者は持っている者に従わなければならない。つまり、持てる者こそが正義だ」
勝てば官軍。持てるのは勝った者で、勝つのは持てる者だ。
だが、弱い者の心理はよく分かる。弱いからこそ、持っていないからこそ、ありもしない強者に、正義に憧れる。そしてそれらに祈るのだ。
散々見てきた。弱い者も。持たざる者も。誰か、強い者にすがる者も。
その全ての憐れを。
――助けてくれ。
ため息をついた。まったく。
「そんなものがこの世にあったら、どれだけの貴族が死ぬか分かったものではないな」
汚職、腐敗なんてものは大なり小なり存在する。それが都市、国家規模になればない方がむしろ不思議なくらいだ。
雨が強まってきた。
そろそろ寝た方がいいだろう。明日も仕事だ。
それにしても、孤児共は全て使い潰してしまって、入荷は明日で今日は玩具のひとつもないとはいえ、大雨程度ではダメだ。つまらない。
「やはり、赤ワインは孤児共の泣き叫ぶ声を聞きながら飲むに限るな。上等品を一本無駄にした気分だ」
さいごの一口を呷った。
空になったボトルの横にグラスを置く。
――首から、鮮血を撒き散らして死んだ。
§
隠れていなさいと言われた。ベットの下だ。
ベッドの下、部屋の角に小さく縮こまって全てが終わるのを待つ。息を潜めて、誰にも気付かれてはいけない。バレたら殺される。四肢をもがれ、意識があるまま頭から喰われる。そんなのは嫌だ。
村中で鏖殺が繰り広げられているのが、遠くで耳をつんざく悲鳴で分かる。興奮しているらしい叫び声で分かる。
嫌だ。
つい半刻前まで家族と楽しく夕食を食べていただけなのに。
何がどうしてこうなったのだろう。
足音が近付いてくる。残っている玩具を探しているのだ。
大丈夫。私は小柄だから。
小さくなっていれば見つからない。見つからなければ弄ばれない。
大丈夫。……だいじょうぶ。
足音と一緒に近くなる、扉を乱暴に破壊する音。開け方を考えるより壊して回った方が早いからだろう。もしかしたら開け方なんて知らないのかもしれない。
足音も、家族のそれとは比べ物にならないくらい大きくうるさい。
扉が壊される音がした。
悲鳴が漏れそうになるのを堪える。
ベッドフレームの下から人間のものではない、異形の足が見える。
隠れているベットが壊された。
§
ベッドの下に猫が一匹隠れていた。
その猫はベッドが壊れたのに驚いたのか小さく跳ねると、足元をちょこまかと走って逃げてしまった。
他に玩具はいなかった。
他の家はもう遊び尽くされた後だろう。残っている可能性も低いし、そっちに行ってもあんまり意味はない。見逃してるマヌケがいなければ、だが。
とはいえ、この家にはあと一匹くらいいると思ったのだが。こんなことなら、前に見つけた二匹で一緒に遊んでおけばよかった。
苛立ってベッドをもう一度蹴る。ぶつくさ言いながら、楽しそうに遊んでる他の奴らを傍目に外に出た。好きな香りが鼻をついた。
深く吸い込む。大きく吐いた。
いい匂いだ。血と肉の混ざりあった甘美な匂い。
どこかにまだ隠れてる玩具はいないものか。
少しだけ期待しながら家をぐるぐる回ってみる。一匹もいなければさっきの猫でもいいか。楽しめる大きさは小さいけど、何もないよりはいい。
――匂いがした。
メスの匂いだ。
駆け寄りたくなる気持ちを抑え、気付かれないように静かに近寄る。姿は見えないが、きっとあの壁の向こうにいるはずだ。何か道具が立てかけられているから、そういうのをしまう場所なんだろうか。
いいや、今は関係ない。とにかくメスだ。逃げられたら困る。他の奴にバレても困る。独り占めできなくなってしまう。しかも匂いからして、恐らくは若いメスだ。とてもいい。
出入口というものらしき場所は、一箇所しかなかった。そこから襲えば逃げられる心配もきっとない。
扉を蹴破る。
小さく悲鳴が漏れた。
思った通り、メスだった。しかもやたら肉付きのいいメスだ。一見しただけで分かる。手足の質の良さそうな肉。胸と尻に溜まった脂肪。
絶対に旨い。
この村は肥えていたのだろう。土に野菜がいっぱい埋まっていたし、家の数も多かった。肥えて、質のいい食糧がいるところはそういうところらしい。群れの頭がそう言っていた。
そしてこのメス。歳は若く、肉付きはよく、髪も長い。こういうのは遊びがいがある。
怖くなって震えているのがとてもいい。そうだ、怖がれ。怯えろ。萎縮しろ。
自然と口角が上がる。
ああ、楽しみだ。
§
両親は血を撒き散らして死んでいた。
ケタケタ楽しそうに笑いながらバケモノ共が両親の体を弄んでいた。
二人の優しい笑顔が浮かぶ。
今年は野菜がよく育ったから。最近は狩りの調子がいいから。収穫祭ではいつもより贅沢できると、楽しそうに話していた。
なのに、なんで。
暗闇の中、膝をかかえて耳を塞ぐ。
誰も助けてくれない。一番近くの町からでも村までは距離がある。どんなに急いでも一刻じゃ着かない。こんな夜中に何があっても、村で起こったことは気付かれない。村は森の只中にあって、町との交流もほとんどない。
両親は死んだ。
助けてくれるアテもない。
村の知り合いは、みんな食い殺されているだろう。
扉が蹴破られた。
「ひっ」
思わず声が漏れた。慌てて口を塞ぐ。
扉の向こうには人喰いのバケモノで、自分よりも一回りも二回りも大きい。少女では見たことのないような隆々の筋肉。
そして、獲物を見つけて楽しそうな醜い顔。
体が震える。全身の血の気が引く。
嫌だ。こいつらに食われたくない。死ぬのに苦しみたくない。死にたくない。誰か助けて。誰でもいいから。死なないなら何でもするから。
バケモノが、楽しそうに、嗤う。
ふ、と。
出稼ぎに行っていて丁度帰ってきていた、近所のおじさんの言っていたことを思い出した。城下町で流行っているという噂だ。
噂は所詮、噂だ。
でも。
少女は頭を抱えて縮こまる。
「噂でもなんでもいいから、お願いだから助けて……! 死にたくない、しにたくないよ……!」
「わかった」
聞いたことのない男の声がした。
驚いて顔を上げる。
見覚えのない青年が闇色の短剣を持っていて、その横で、バケモノの首が落ちたところだった。
自然な動作で血を払うのを眺める、その視線に気付いたようだ。ルレアの視線の動きを確認してから、青年が不思議そうに自分の体を見る。
驚いたような口調で、その青年は口を開いた。
「君が呼んだのか」
《綻》




