第17話 識別票の加工
まだそんなに夜は更けていない。
あまり夜も遅い時間だと、グラシゥスに迷惑がかかるかなと思ったから、早めに部屋に来た。
「どうぞ」
グラシゥスの部屋の扉の前で、ルレアがノックしようと手をあげる前に部屋の中から声が聞こえた。
気持ちを整える時間もなくて、言いようのない気持ちになりながらルレアは師匠の部屋に入る。
グラシゥスはベッドに横になりながら何かしていたようで、ルレアが入った時には起き上がっていたが、シーツに少ししわができていた。
師匠が口を開く。
「識別票の加工だっけ?」
「そろそろ驚かなくなってきましたけど、そういうのはあまりよくないと思います」
事前に言っていないのに来室の目的を言い当てられて、さすがにルレアは一言言った。
ルレアには特段隠したいような私生活もないが、そういうのに気を使っている人もいるだろう。
女の子ならなおさら。
「そう? それなら次から控えるようにするよ」
存外素直にそう言う彼にルレアが持ってきた識別票を小箱ごと渡すと、グラシゥスは丁重に受けとって蓋を開け、机の上に広げる。
識別票の本体が二枚、長いチェーンが一本だ。
チェーンを識別票に通して首からかけるのが一般的である。
「どんな風にしたい?」
「腕に巻くようにしたいです」
「ネックレスつけてるもんね。腕借りていい?」
言われてルレアは左手を差し出す。
グラシゥスは識別票を手首に当てて、チェーンを巻きつけて長さを測る。二重三重巻きにしてみたり、しばらく試行錯誤を繰り返した。
その後、グラシゥスは一重のチェーンをルレアの前に掲げて、それを二つ折りにしてみせる。
「チェーンは少しだけ太くしてもいい?」
「はい」
「なら……うん、大体決まった」
そう言うと、彼は大胆にチェーンを切り始めた。
同じ長さのものを二つ作り、チェーンの構造そのものをバラして、くっつけ直して、小さな帯のような形にする。
あまったチェーンは魔法で金属塊に変える。
一部だけ塊から切り離すと、平べったい板のようにし、何やらからくりを施した。
それを先刻の金属編みの帯に取り付ける。
「手借りるね」
少しいじると、帯が伸びた。
どうやら、帯を折りたたむようにして板の中にしまうことで短くする細工のようである。そのままルレアの手をその輪っかの中に入れて、彼女の手首のところで帯を止めた。
グラシゥスの手が離れて、ルレアは手を動かして確かめてみる。
動作に支障はなさそうだ。
手のひらの側にある板のところをよく眺めて、両の長辺にある突起を押し込んでみた。
カチッと小さく鳴って外れる。
もう一度付け外しして、問題なく使えそうなことを確認するとグラシゥスは満足気に頷いた。
「問題なさそうだね」
「これに識別票をつけるんですか?」
「うん。これから細工するけどどんな模様がいい?」
「そうですね……」
言われてもぱっと思いつかない。
村で暮らしていた時にはそういった装飾はめったに見かけなかったからだ。
そんなルレアだが、唯一知っている紋様がある。
「ウァイストの神紋をお願いできますか?」
神紋とは神様一人ひとりにある紋章のことだ。
その神を幾何学模様で抽象的に表していて、大抵の場合、複雑で厳かな様相を呈する。
そして、普通、神紋をそらで描けるのはそれを描く役職についている大きな神殿の神官や僧侶くらいであり、敬虔な信徒でさえも身につけるに留まる。
当然グラシゥスはウァイストの神紋を知らない。
「神紋か……作ればするけど僕が描けないから、明日調べて作るようかな」
「大丈夫です。私が描けますから」
グラシゥスから軽く驚いた視線をもらう。
描くものはあるかとルレアが尋ねると、グラシゥスは紙とペンを取り出した。
グラシゥスの座っている席を譲ってもらって、ルレアは机の上でさらさらと神紋を描く。
魔法には古来よりその神の個性が宿る。
剛たる武術と対をなす魔法は、優美や華麗の象徴であった。
武術に巧みな神は堅強に、魔法を繰る神は清艶に。
魔法がその態度を表すのならば、魔法を極めた神について、その神紋は言うまでもない。
ルレアはその、流れるようでいて柔らかなのが好きだった。
「できました」
紙の上に描かれた横長の紋様はルレアが思った通り、ちょうど識別票に描くのにいい縦横比だった。
グラシゥスがルレアの上からそれを覗き込む。
「ありがとう、少し待ってて」
しばらく観察するとグラシゥスは、細部まで見やすいようにと、少し大きめに描かれた神紋に魔法をかける。
線の流れと絡まりを確かめたら、片方の識別票の裏側を彫って細い金属線にした。
その金属線を使い、飴細工の繊細さでウァイストの神紋が飾られていく。
ルレアの描いた通りに神紋が装飾された後、けれど、グラシゥスには縁のところがその威厳に少し負けているような気がした。
少し悩んで、金属塊から絹糸のように細い金属線を取り出した。縁にその線を這わせる。
額縁と似たようなものだ。
そうやって完成した二枚を重ね合わせたら、金属板を先刻のベルトに取り付けた。
「――これでよし」
最後に全体のバランスを調整したら、ルレアの前にふわふわと浮かせた。
「どうぞ。何かあったら教えてね」
「ありがとうございます」
手につける前にまじまじと眺める。
識別表の表同士が向かい合わせに重なっていて、肌につく側はウァイストの神紋の彫刻が、逆の側には同じ柄の装飾がなされている。
ルレアが巻いてみると、識別表がそんなに大きくないからか、すっきりと手首に馴染んだ。
色んな角度から巻いたブレスレットを見る。
「繊細ですね」
「魔法さまさまだね。素人がやってもそれなりになるんだから」
「魔法をそこまで繊細に扱えるのなら、それもまた技を持つ職人の一つの形でしょう」
とても気に入った。
こういうのを見ると、確かに、装飾品などを集めたり身につけたりして着飾る人の気持ちと、特別な時にそうする理由がよく分かる。
けれども、うっとりと眺めているルレアに別の疑問が生じる。
「……こんなに変えてしまっていいのでしょうか」
「まあ駆け出しが識別票をこんな風に身につけてたら普通は反感を買うよね」
ロクに依頼もこなせないひよこが仕事で着飾る暇があるならもっとやることをやれ、と。
察したルレアの表情を見てグラシゥスは笑った。
「けど、四級くらいになればこういう人も増えてくるから心配しなくていいよ」
「私はまだ七級ですし、今日が初依頼です」
「僕の魔法を受け継ぐんだから四級なんてあっという間だよ。僕も少しはコネになってあげるし」
それに。
「外から見たんじゃ識別票だなんてパッと見分からないから大丈夫」
「それは識別票としてどうなんですか?」
「有名な冒険者が付けてるものは、冒険者名鑑にも載ってるくらい有名だから。そのくらいになればいいんだよ」
「冒険者めいかん?」
また新しいものが出てきた。
町に出てきてから、村では聞かなかった言葉や村にはなかったものがいくつも出てくる。
今回も、ありがたいことにグラシゥスが面倒くさがらずに教えてくれた。
「有名な冒険者をまとめた協会公認非公式の人物図鑑みたいなものだよ」
「グレイスさんも載ってるんですか?」
「僕は無名だから載ってないね。ほとんどが超級と一級で、せいぜい若手の二級くらいまで」
二級は各地方のベテランで、若手――この場合は年齢が若いか登録してから数年程度の者を指す――の冒険者でその等級に上がる人はそうそういないという。
だからそういう冒険者がいたら、それは一級か超級になる逸材の可能性が高い。
「最近読んでないし、今度読んでみようかな」
「そういえば、グレイスさんは何級なんですか?」
等級の話で思い出した。
受付嬢は守秘義務だからと教えてくれなくて、ちょっと気になっていたのだ。
なんでもないように彼は言う。
「三級だよ」
「……その歳で三級は凄いんじゃないですか?」
話を聞く限りだとその名鑑に載っていていいような気がするし、ルレアから見たグラシゥスの実力ならば、法士にしろ斥候にしろ、彼に匹敵する実力の人間がそんなにいるとは思えなかった。
ルレアの疑問に、彼はひとつ考える素振りをする。
「この前話に出たクゥ・カメリアって覚えてる?」
「超級の巫女さんですよね」
あの後、エマとルーシーに聞いたら興奮気味に教えてくれた。
前代未聞の、超級の四人で組んだパーティーの、盾役にして回復役。舞うように攻撃を躱すその姿と赤と白の民族装束が特徴的だという。
「あのパーティーは全員、僕と同い年くらいで既に超級だったんだよ」
「感覚がおかしくなりそうな話ですね……」
「冒険者に憧れる人は誰でもそういう話をするから、一種の娯楽というか、偶像みたいなものだね」
その話をして楽しむのであって、そうなろうとはしてもできない。
あくまでそういう類の、おとぎ話のような存在だ。




