第10話 かくれんぼ
昨日は酷い目にあった。
ルレアは城壁の外に出てすぐグラシゥスにボコボコにされた後、残り魔力が少ないからと、隠密の魔法の練習をさせられた。曰く、少ない魔力の方がより精密に操作できるから、ということらしい。
残り少ないものを酷使する方が疲れるんですよと言いたかった。言わなかった自分を褒めたい。
翌朝、いつも通り日の出たばかりの時間に起きたルレアは、朝食を食べた後でグラシゥスと宿の近くの広場に来ていた。冒険者の朝が早いように、この辺りの店の営業開始も早いらしい。もう既に開いている店がいくらか散見される。
それを傍目にグラシゥスが言う。
「今日からは隠密と索敵の訓練ね」
「何をするんですか?」
「かくれんぼ」
かくれんぼ?
「魔法で隠れて魔法で探すだけのかくれんぼだよ」
「それは小さい頃にやりましたけど……え、グレイスさんとやるんですか?」
「そうだね」
「そんなに弟子のことぼこぼこにして気持ちよくなりたいんですか?」
実力差がありすぎて、まともな鍛錬になる気がしない。まず幼子だったルレアが父親とやったのと同じ結果になる。一秒隠れられたらいい方だろう。見つける側になったら一生見つからない。
グラシゥスは苦笑しながらルレアからの訝しむ視線に否定する。
「ちゃんと手加減するって。昨日でルレアさんの魔力感知の精度は大体分かったから、いい感じに調整できると思う」
「私が隠れる方は?」
「それはまあ……頑張って」
「昨日の今日なんですけど……?」
まずは隠れてみてと言われて、ふっと何かが変わる気配があった。魔法に敏感なルレアで違和感があるかないかくらいのうっすらとした変化だ。
恐らく、グラシゥスが魔法を弱めたのだろう。果たしてどこまでを把握しているのやら。
とにかく、昨日教わったことに集中する。
魔力を抑える――変な表現だが実際にルレアにも魔力が知覚しにくくなるからこう言うしかない――とか姿を視界から消すとか、その程度ではない。
体の周りの空気の流れの違和感を消し、体の熱を周囲に溶け込ませ、地面に直接は足を触れずに微かに浮かせ、その他隠密に使用した魔法の痕跡を、そのための魔法で包み込んで隠す。
学校では信仰魔法を専攻していたと言っていた。
世界中に存在する索敵と隠密のための魔法を、各生物の世界の認識法と生存法を、調べあげて一つの漏れもないように独自の魔法を作り出したという。
効果は極めて簡単だ。
世界の事象を余さず把握する。
世界に認識されないようにする。
姿を隠す、風の流れを掴む、体温を紛らわす。一つひとつは比較的簡単だ。いくつか難しいものもあるが、でも、デタラメな難易度ではない。
問題はそれを全て同時に、一切の齟齬なく完遂するということだ。
自分の行使が目視できる一般的な魔法と違い、自分が今どんな状況かのかは具体的には把握できない。その上で、完璧な隠密をなさねばならない。
どんな狂気なら思いつき、実行しようと考えるのだろうか。
野次が飛ぶ。
「音」
「分かってます!」
世界が自分を放って進行する気配がする。
なんとなくだ。なんとなく、周りの一切が自分の存在を気にせずに巡っているような。
そんな彼女を、それでも見落とさない彼が言う。
「うん、ちゃんと全部使えてるね。あとは精度を上げればいい」
それが難しいんでしょうよと言いたかったが、自分の発する音は全て遮断しているルレアは当てつけに魔法に集中する。
「そのくらいでいいよ」
全身を暴かれる気配がした。
魔法が解けたかと確かめてみるも、未だ世界はルレアのことを見つけられていなさそうだ。
師匠からのやめの合図で魔法を全て解除する。
どっと疲れた。
全身から汗が吹き出しそうだ。
手の甲で拭うルレアに、グラシゥスはタオルを渡してくれる。
「習いたてとは思えないくらいだね。この調子なら習得まですぐなんじゃないかな」
「……索識も手加減してましたよね」
「あと少しで突破できそうな方が、圧倒的な力量差を見せつけられるよりやる気になるでしょ?」
「なんというか、手のひらで踊らされている気が」
「そんなことはないよ。想像主義の魔法使いはいつ伸びるのか分からないからね」
想像主義。ルレアのような感覚派の魔法使いを学術的にそう呼ぶらしい。
対になるのが立式主義。魔法を魔法式で捉える、魔法学の基礎だ。グラシゥスはもちろんこっち。
さて。
休憩もそこそこにグラシゥスが言う。
「次は探す方ね。見つけてごらん」
「え、使う魔法の指定とか」
『全部』
「昨日は一つずつしかやりませんでしたよね!?」
すっかりいなくなってしまったが、師匠の楽しそうな微笑みが脳裏によぎる。ルレアは首を振ってかき消した。
なんだか、弟子になってからルレアへの遠慮がなくなった気がする。もっと大人な頼れる師匠を想像していたのに。
こういう時に、魔法だったら想像通りにいくんだろうなと。ぼやきながらルレアは意識を集中させる。使う魔法は先刻の逆だ。
隠れる時に自分が使う魔法をそれぞれ見破れるような種類の索識魔法――彼の使う、索敵魔法から派生した世界を索るための魔法の呼び名だ。索敵魔法とほぼ等しい――。
ルレアとしては隠れる方が楽だ。制御しなければならない魔力の量が少ないから。
索る時には、狙いの場所を全て手中に収めるように魔法を広げなければならない。魔力の残量は、そのまま知覚可能範囲に直結する。
加えていやらしいことに、今二人がいる場所は昨日とは違って町中だ。下手をして急に魔法を使うと、町の人を驚かせてしまう。そうならないように、慎重にやらせたくてこんな場所でやっているのだろう。
「ふぅ……魔法は万象に帰す」
――集中。
なんとか予想を思い出す。
世界に《《沁みるようにして》》索る魔法であれば。
覆うのではない。そこら辺にいくらでもある空気に、風に、音に、自分の感覚を乗せるのだ。そして魔法を沁み込ませる。
入ってくる情報が多すぎる。
視界が弾けて倒れそうになる。
昨日一つずつしかやらなかったのは、ルレアの技量というよりも、脳に入ってくる情報量を危惧してのことだそうだ。その意味が翌日になって分かる。
昨日のあの疲労であったら、もしかしたら、数日は倒れて意識が飛んでいたかもしれない。
ぐっすり寝て回復した今でさえこの有様なのだ。
グラシゥスの気配はまだない。それもそうだろう、魔法の実力だけで言えばまだ精度を上げられることはルレア自身にも分かっていた。
だが頭の処理が追いつかない。
広範囲の展開、複数の魔法の同時行使、情報過多。脳が疲弊する条件はいくらでも揃っている。
――さすがに、この広場の中にはいるよね?
ルレアはそう考えて範囲を狭める。それだけでかなり楽になった。
その分で精度を上げる。ぼんやり、いるはずのない誰かが浮かび上がってくる。
これでグラシゥスじゃなかったら諦めようと、そのつもりで一段と詳しく探る。
――幸いにも、見つけた人影は師匠のそれだった。
「いた……!」
「よくできました」
グラシゥスが魔法を解いた。
ルレアを襲う安心感と疲労から倒れそうになるのを人目を気にしてこらえる。
グラシゥスに誘導してもらって近くのベンチに腰かけると、ルレアは体を支える気力もなくてそのまま全身を預けた。だらしないが、町中でぶっ倒れるよりはまだマシなはずだ。
少し距離を取ってグラシゥスも隣に座る。
「範囲はまだ狭いけど、これだけの精度で使えるなら十分だね。あとは使ってるうちに脳が処理に慣れてくるだろうから」
「だいぶやりたくないです」
「大丈夫。十日くらいずっと使い続けてたら嫌でも体が覚えるから」
「……これを毎日やるんですよね」
早々にやりたくなくなってきたルレアだが、師匠はもっと残酷なことを言う。
「そうだね。今より範囲も精度も落としていいけど、基本的には隠密と索識は常時展開で」
「……え、常時?」
「うん。正確には、隠密は視覚以外、だけど」
「問題はそこじゃないですね」
その方が便利だよとグラシゥスは利便性について説明してくれるが、そしてその内容はどれも理にかなっているが、理論上そうだからといって実際にやれるかは別だ。
今回は特にその別の方だ。そのはずである。
今すぐにでも駄々を捏ねたい衝動に駆られる。もちろん、そんな気力はないからやらない。
人目もあるし。
代わりに、ルレアは遠慮のない魔法使いに全力でジト目を送っておいた。微笑まれる。
「……きちくめ」
『魔法使い』は力無く独りごちた。




