第14章 すれ違い
間違えて違う章を投稿してしまいました。
こちらが第14章です。
目を腫らしたリーチェが息を切らして走って来る姿を見て、ギフティーは目を丸くした。
近頃はすっかり淑女となっておしとやかになっていたのに、まるで出逢ったころの彼女に戻っていたからだ。
虫嫌いだった自分にいかに虫が可愛いかを教えようと、草むらの中を這いずり回っていたある日、小さなバッタを捕まえて、大喜びで駆け寄ってきた姿を思い出したからだ。
あのときも藪蚊に刺されて、顔のあちらこちらが赤く腫れていた。
「クスッ! その顔どうしたの? また虫取りでもしていたのかい?」
ギフティーに笑われて、リーチェはハッとした。淑女らしくない行動を取ってしまったと、恥ずかしくなった。
「お帰りなさい、ギフティー。子爵様とフルーラ様は?」
「執務室だよ。執事と留守にしていた間の伝達をしている。
そんなに慌ててどうしたの? もしかしてスージーの言っていた重要な話?」
「そうなの。疲れているところを申し訳ないのだけれど、明後日、マランディア侯爵家のパーティーに参加するって本当なの?」
リーチェがストレートにそう訊ねると、ギフティーから笑顔が消えて、一瞬知られたくなかったというような顔をしたように見えた。
「ああ。侯爵家から招待状が届いたからね」
「私も行っていい?」
「何言っているの? 招待されていないのに君を連れて行けるわけがないだろう。それくらい分かるよね」
「だから、フルーラ様の侍女として連れて行ってもらえないかしら」
「はあ? 男爵令嬢である君に侍女の振りなんてさせられるわけないだろう」
「でも普通にいるわよ、男爵令嬢の侍女なんて」
「王宮や高位貴族の家ならね。うちみたいな下位貴族じゃありえない」
「でも本当に侍女になるわけではないから」
「あそこの令嬢は君の同級生なのだからバレるに決まっているだろう」
「変装するから大丈夫よ」
「駄目だ!」
ギフティーにピシャリと却下されたリーチェは、ビクッと体を震わせた。
眉間にしわを寄せて怒りを抑えている彼を見て、彼女はすぐに後悔した。
自分でも非常識なことを言っていることくらい分かっていたが、なぜか言葉を止められなかったのだ。
「なぜそんなにマランディア侯爵家のパーティーに参加したいの? キース卿に会いたいのか?」
「キース様?」
誰それ? と思いつつ、リーチェはギフティーの両手を掴むと必死にこう言った。
「あそこにはご令嬢がいるでしょ。だから心配なの。貴方が絡まれるのではないかって。
ただでさえ目を付けられているのだから、入学した後もっと困るでしょう?」
「君は僕を、ご令嬢一人あしらえないような人間だと思っているわけ?」
声変わりをしていた彼の声がさらに低くなったことが分かって、彼女ははっとして手を離した。
「男性はプライドが高いから、どんなに立派な方でも見下されると腹を立てるものなのよ。
意見があってもゴリ押しするのは逆効果。負けん気を起こして上から目線で言い負かそうとする女性は愚かとしか言いようがないわ。
表面上の勝ち負けなんてどうでもいいの。大事なのはどちらが主導権を握れるかがなの。
男女関係なく、駆け引きができないようでは、社会だけでなく家庭生活でも上手くやっていけないわ」
つい最近、マリアンがそう言ったことを思い出した。あのとき彼女はこうも言っていた。
「特に思春期の年下の男性と付き合うときは注意が必要よ。女性と対等、いえ、上に立ちたいと意気込んでいるから、見下されると酷く傷付くの。
偉そうにしても、男なんて所詮面倒な生き物なのだから」
あれはさりげない自分への注意喚起だったのだろう。いまさらそれに気付いても遅いと彼女は唇を噛んだ。
そして、怒りながらも医者を呼ぼうとしたギフティーに向かって
「眼科の先生にはもう診てもらったから大丈夫。変なことばかり言ってごめんなさい」
リーチェはそう言って身を翻すと、自分の屋敷に逃げ帰った。
自分のその願いが叶わないことくらい最初から分かっていた。
それなら、疎まれてもいいから正直な思いを告げるべきだったのだろう。
貴方が奪われるのではないかかと不安でたまらない。だから一緒に連れて行って欲しい、と。
しかし両親から身分違いを指摘された。そして、分を弁えろと言われたことで、これまで言えていた素直な気持ちを口に出すことができなくなってしまった。
成人になった下以上もう子供ではない。そう諭されて現実を理解してしまったから。
今の自分の立場は彼の気心の知れた単なる幼なじみ、友人でしかない。嫉妬するなんて烏滸がましいと思った。
だから年上ぶって、心配なのよ、なんて言ってしまったのだ。
(彼にあんな不機嫌な顔を向けられたのは初めて。最悪だわ)
ギフティーの恋人にはなれなくても、役に立つ友人として側にいたいと思っていた。
しかし、それは絶対に無理なことなのだと分かった。
嫉妬に狂って彼に嫌われる前に、留学した方がいいのかもしれない。
ベッドの中で何度も寝返りを繰り返しながら、リーチェはそう思った。
それでも彼女は、彼がパーティーでローゼマリアとどんな交流をしたのか、それだけは知っておきたいと思った。
だから欠席した終業式の翌々日、彼女は約束通りに再びオーウェン子爵家を赴いた。
しかしそこで、怒り心頭になっていたギフティーと対峙することになったのだ。
「わざとか? わざと僕にものもらいを移したのか?
見ろよ、この顔を!
ひと月以上前から会えるのを待ち望んでいたのに、パーティーに参加できなかったじゃないか!」
彼のその言葉にリーチェは胸を衝かれた。
ローゼマリアからの招待を一月以上前から楽しみに待っていたのかと。
これまでは自分と一緒でない招待なんて受けないと言っていた。
けれどそれは私に気を使って断っていただけで、本当は彼女の誘いに乗りたかったのだ。
女性の趣味が悪過ぎるとは思ったが、恋とは頭でするものではないのだから仕方のないことだ。
それなのに嫉妬で彼を行かせないように卑怯な真似をしてしまった。
まさか本当にうつるなんて正直思わなかったけれど。
「もう、君からは何も貰いたくないよ。贈り物なんていらない。だから、もう僕に近寄らないで!」
その言葉とともに、手渡そうとした入学祝いの贈り物をギフティーに手で払われてしまった。
リーチェの頭の中は真っ白になった。
ようやく仕上がった、彼のお印の刺繍入りの緑色のハンカチ。
これまでの不出来でみっともない刺繍じゃない。先生からも合格点をもらった、自分でも見惚れるくらい素晴らしい白竜。
けれどきっとこれは捨てられてしまうのだろうと思った。それでも拾うことはできなかった。
リーチェは項垂れて、オーウェン子爵家の隣に建つ自分の屋敷にトボトボと戻って行った。
そしてその日から三日後、彼女は船上の人となっていた。
娘がたとえ何を言おうとも留学させる気満々だった両親が、すでにその手続きを済ませていたので、すぐに国を立つことができたのだ。
しかし、彼女は知らなかった。
マランディア侯爵家のパーティーが侯爵令息キースと、親友マリアンの婚約を発表するためのものだった。だからこそ身内だけを招待していたのだということを。
そして、その事実を秘密にしなければいけない、やむを得ない理由があったということを。




