ブルーライトニング 第48章
玲子は上原に、最近のマルスのことを相談します。玲子はマルスが自分のTシャツを着て、寝たがることを心配していました。
上原は自室で出張の準備をしていた。ローウェル・フォルテシティ本社でマルス型アンドロイドの生産ラインが完成し、その最終チェックと現地スタッフの指導を依頼されているのだ。同じく敷島も呼ばれていたが、彼は一足先に現地へ向かっている。上原はマルスの学校編入手続きがあったため、出発を少し遅らせていた。
部屋のドアがノックされ、「おばさん、相談があるの」と声がする。上原はスーツケースのふたを閉じながら、「入りなさい」と、玲子に声をかけた。ドアが開き、玲子が入ってくる。
「支度は終わったの?」
「ええ、ちょうど今ね。なにかしら? お座りなさい」
上原は丸椅子を指し示し、自分は机の椅子に腰掛けた。玲子は丸椅子にちょこんと座る。
「マルスのことなんだけど」
「でしょうね」
上原が苦笑する。最近はマルス絡みの相談が多い。
「あさってからマルスも学校でしょ。ちょっと心配で、大丈夫かなって」
「大丈夫よ。マルスにとっては、あれも軍の任務なんだから。任務中のマルスは、家でのマルスとは別人よ」
玲子は緊張した面持ちで、膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。
「ルーナとマルスを交代させるのね」
「前にも言ったけど、ルーナはファントムの総指揮官になるの。ルーナが学校に行っていたのは、女の子の護衛が主目的じゃないのよ。海軍司令部がね、ルーナをファントムの総司令に就任させる前に、一度は学校生活を経験させた方がいいと考えたの。女の子の護衛は、その“おまけ”みたいなもの」
玲子は首をかしげた。
「プレスト海軍の考えることって、よくわからないわ」
「第7艦隊司令の西郷中将の考えよ。玲子も会ったでしょう?」
玲子は、西郷と対面したときに覚えた、背筋が冷えるような感覚を思い出した。
「ちょっと、怖い人だった」
「へえ、あの人が」
上原は少しおかしそうに笑ったが、玲子の言葉を聞いて、すぐ真顔になる。
「だって、心の底を見抜かれているような気がしたもの」
「たいしたものね。温厚そうに見える西郷中将を、初対面でそこまで感じ取るなんて。そう、あの人は人の頭の中が見えるの。それだけじゃないわ。ものすごい先読みの名人でもある。一方で人材育成にはとても細やかで、ロボットの育成にも熱心なのよ。ルーナのことも、ソレイユと同じように学校に行かせて、人間と社会を経験させた方がいいと考えたのも西郷中将。マルスも将来はかなりの戦力を率いるから、ルーナと同じように学校に行かせるべきだと考えているの。冷酷なところもあるけれど、気配りは驚くほど細かい人なのよ」
「でも、今回は女の子が危ないってわかっているのね。マルスには、その危機に対応する役目があるんでしょ」
「そうよ。マルスはああ見えて任務には忠実だし、能力も高い。軍の現場でずいぶんもまれているから、学校の中での立ち回りも心配はいらないと思うわ。ルーナの話だと、護衛対象の女の子も親切で、もう一人、やさしい男の子もいるそうだし」
玲子はうなずき、
「男の子は守くんよ。瑞穂の弟なの。いい子よ」と、付け加えた。
「そう、知り合いなのね。それなら、何も心配することないでしょ」
「そうね、ちょっと心配しすぎかも」
「マルスのこととなると、玲子は本当に心配性ね」
「変かしら」
「ぜんぜん。マルスが大事なんだもの。心配するのは当然よ」
玲子は口をつぐみ、しばらく黙り込んでしまった。
「どうしたの?」
「ついでに聞くけど、最近、マルスがちょっと“変”っていうか、気になることをするの」
上原は、マルスが何をしでかしたのか、少し興味を覚える。
「何をするのかしら」
「買ってあげたパジャマじゃなくて、私のTシャツを着て寝たがるの。マルスがおねだりするなんて珍しいから、着せてるんだけど。どうしてそんなに私の服を着たがるのかなって。この癖、直した方がいい?」
なんだ、そんなことか、と、上原はおかしそうに笑った。
「玲子は、自分の服を着られるのがイヤなの?」
「Tシャツくらいなら別に構わないんだけど、どうしてわざわざ私の服なのかが、ちょっとわからなくて。やめさせた方がいいなら、やめさせるけど」
上原は、娘を諭す母親のような口調で言った。
「それはね、やめさせる必要なんてないわ。マルスにとっては、最初に引き取られたときの“うれしかったこと”を繰り返しているだけよ。ロボットだって、うれしいことは何度でも繰り返したいものなの」
「私の服を着るのが、そんなにうれしいことなの?」
それはそれで問題なのでは、と玲子は一瞬思う。
「玲子が『裸で寝かせるのはかわいそう』って、シャツを着せてあげたでしょ。あれがマルスにはすごくうれしかったのよ。優しくされれば、ロボットだって幸せを感じるわ」
「そんなにうれしかったんだ。私は間に合わせで、裸よりはマシかなって思って着せただけなのに」
「玲子に甘えたいとき、そのときを思い出して着たがるんじゃない?」
「そういえば、シャツを着たがるときって、ものすごく甘えん坊になるの。最近、甘えてくることが増えた気がするわ」
「いい傾向よ。玲子をますます信頼しているってことだから。専門的な言い方をするとね、ポテンシャルが上がっているの。最近のマルスは能力の伸びがとても早いから、多分、玲子に甘えることがいい影響を与えているんだと思う。甘えられて、うれしくない?」
「うれしいけど、マルスはノーマみたいにやんちゃなところがないし、ちょっと素直すぎる気もするの」
上原は、玲子を安心させるように言葉を選んだ。
「それも、そのうち変わってくるわよ。サムはノーマのことを『おてんば』だって笑ってるけど、それはサムに、それを受け止める度量があったから、ノーマがそう成長しただけ。ノーマだって最初は素直な子だったのよ。作った私が言うんだから、間違いないわ」
「マルスも、やんちゃな子になるのかな」
「玲子が『そうなってほしい』って願えば、マルスはそんなふうに変わっていくわ。マスターの関心を引くことは、ロボットにとって最重要事項だからね。でも、無理強いはダメ。まあ、玲子なら大丈夫だと思うけど」
「わかったわ。ちょっと心配しすぎていただけね」
「問題意識を持つのはいいことよ。迷ったら、いつでも私に聞きなさい」
「ありがとう、おばさん。なんとなく、今のままでいいんだってわかったわ」
「じゃあ、留守中のマルスのこと、よろしくね。しばらくはパジャマじゃなくて、玲子のシャツを着て寝たがるかもしれないけど」
「それくらい、家の中ならいいわ。悪いことじゃないし」
玲子はすっきりした表情で椅子から立ち上がった。
「ありがとう、おばさん。マルスには、好きなようにさせる」
上原はうなずき、「そうしてやって」と、穏やかに答えた。




