ブルーライトニング 第32章
経営監査委員会で玲子はマルスのことを報告する。「私はマルスと暮らしたい」と玲子は委員たちに告げる。
金曜日の晩、明日の報告会を控え、玲子は少し緊張していた。リビングのソファーに深く腰掛けながら、玲子は傍らに座るマルスの髪を撫で、気を紛らせていた。
「大丈夫よ」
向かいのソファーに座る上原は言った。
「前にも話したけど、監査委員会はマルスが家事用機能を持っていないことを、今はそれほど問題視してないの。スミス博士が自ら『問題は無い』って委員に説明して回っているからね。よっぽど、ソレイユにマスター認証を解除されたことがショックだったのね」
玲子はマルスを膝の上に抱きなおしながら言った。
「ソレイユはそれで博士のこと許してくれるだろうか」
「無理でしょう。ただ、スミス博士としては、それでも事態を収拾したいと思っているのよ。これ以上、ソレイユとの関係を悪くしたくないし、ファントムすべてのロボットの敵意が向けられることだけは避けたいからね」
マルスの髪を撫でる玲子の手が、緊張でピクッと止まった。
「ロボットが敵意を向けるの?」
「そう。マルスに向けられた敵意は、自分たちに向けられた敵意として受け止めるの。敵意を向けた以上、結果はわかるでしょ」
「私、大丈夫かな」
「玲子がそうやってマルスのことをかわいがってくれれば、マルスや他のロボット達が玲子に敵意を向けることはないわ」
「ほんとに?」
「今みたいにかわいがっていればいいの。心配しなくていい。心の赴くままに、かわいがりなさい」
玲子は若干の後ろめたさを覚えつつ、言った。
「それだけでいいの?」
「そう、それだけ。他はなんにもいらない」と上原は言ったものの、「それだけでいいの」と問う玲子に、なんて説明したらいいか、上原も迷っていた。いや、説明しても今の玲子は納得しないだろう。マルスがもたらした幸せがあまりに大きすぎるからだ。ここ数日間の玲子の変化を見ればわかる。マルスがもたらした幸せが大きい分、マルスにもなにか返さないといけないと玲子は考えている。しかし、マルスは素直なうえにわがままを言わないので、玲子としてはマルスに返すものがないと感じてしまうのだ。
気休めにしかならないと思いつつ、上原はマルスに聞いた。
「マルス、お姉ちゃんのことが好き?」
「うん、大好き。だって、優しくしてくれるから」
マルスは迷い無く答えた。
「わかる? 玲子。マルスは優しくしてもらえたらうれしいの。だから、今のままでいいのよ」
まだ、どこか納得いかないような様子で、
「うん」と玲子は答えた。
土曜日、玲子を招いて開かれた経営監査委員会の席上で、上原が撮影した動画が投影されると、会場はどよめいた。動画を再生している上原は、どよめく委員達の反応を、してやったりと思っていた。エプロンをつけ、玲子のお手伝いをしているマルスの映像は、委員達にかなりのインパクトを与えた。監査委員の長であるアリスは、満足げな笑みを浮かべる。場面が変わり、玲子の膝の上に座ったマルスが、玲子に甘えている映像になった。
「驚きましたな」
委員の一人が言った。
「玲子さんは、すっかりマルスを気に入っているのですね」
「はい。大切な弟だと思っています」
玲子ははっきりと答えた。
「マルスは家事用機能を搭載していないことが問題になっていたはずですが」
数人の委員は上原に視線を投げた。半ば上原に当てた質問のようだったが、かまわず玲子は答えた。
「食器を並べてとか、具体的な指示をすれば、マルスは問題なく家事ができます。ただ、家事用機能がないので、食事の用意を全部任せるようなことはできません。でも、私のうちでは家事をしてくれるロボットが別にいますし、私も家事をするので、マルスのようにお手伝いをしてくれる程度でも十分です」
一人の女性が発言を求めた。アリスは発言を許可する。
「それはアンドロイドとして、不完全であるということではないですか。私は問題だと思いますが」
やや挑発的な物言いに、玲子は答えた。
「私は問題だとは思いません。ロボットは、要求される機能に応じてデザインされます。自立的な家事能力を求めるなら、そういうロボットを入手すればいいこと。私は問題だとは思いません」
「でも、あなたには別の家事用ロボットがいるのでしょう。マルスが何の役に立つんですか?」
いささか、玲子もむっとしたが、顔には出さなかった。
「私には役に立ってますよ。かわいいですし、懐かれれば嬉しいです。だいたい、子どものロボットに家事をさせるって無理があると思います。背が低ければ食器棚にも手が届きませんし、踏み台がなければ、流しで洗い物もできません。世に出ている子どものアンドロイドなんて、そもそも家事の役に立たないのではないですか」
後半は玲子もかなり挑発的になった。発言した女性はなにも言いかえさず、「なるほど」と答えた。最初に発言した男がその場をとりまとめた。
「委員長、こうしてみると、マルスは普通の子供型アンドロイドと大差ないということですな」
「そうですね。普通に一般家庭に受け入れられているようですし、当初指摘された問題は無いでしょう。みなさん、異存はないですね?」
アリスはその場の委員を見渡した。
「では、マルスの量産配備を、経営監査委員会として認めます」
「議長」
先ほどの女性が手を挙げる。
「マルスの量産配備のことには異存ありませんが、一つ確認したいことがあります」
「どうぞ。発言を許可します」
「上原博士、軍の嘱託であるあなたに伺います。軍がマルスをこのお嬢さんに預けた件、軍は仮の処置ではなく、引き続き預けたいと考えていると聞きました。マルスは軍の重要な兵器システムの一部のはず。それを一民間人の、しかも未成年に預ける理由を、差し支えなければ教えてください」
上原は一呼吸おいて、答え始めた。
「マルスは、たまたまセキュリティエリアにいた玲子と会い、玲子の為に行動することを決意しました。アルトシティがドラグーンに襲撃されたとき、マルスは大勢のアルトシティの市民を救いましたが、玲子の『アルトシティを救ってほしい』という願いを、もっとも優先していたことがわかっています。マルスが玲子のいるシティを守ろうとする意志は強く、それは軍がマルスに求めることと一致します。軍が玲子にマルスを預けるのは、玲子を信頼しているからです」
「それは海軍がこの少女を利用しているというわけですか?」
玲子は口を引き締めた。先ほどの一言といい、その言い方が気に入らない。今にも言い返したくなる衝動を、アリスの一言が押さえた。
「本人を前に、『利用する・される』の話はよしなさい」
アリスは玲子に顔を向けた。
「玲子さん、あなたはマルスと今後も暮らしたいですか?」
「はい。マルスが私を嫌わない限り、私はマルスと暮らしたいです」
「ためらいのない、良い返事です」
アリスは件の女性に顔を向け、
「玲子さんが願い、軍が玲子さんを信頼しているのなら、軍が玲子さんにマルスを預けることは、問題は無いのではありませんか?」 アリスの鋭い舌鋒に、女性委員は口をつぐんだ。
再びアリスは玲子に顔を向けた。
「玲子さん、あなたのこれまでの行動と人となりが、軍が信頼を寄せる理由でしょう。あなたのような女の子に軍の最新装備を任せるというのは、重い責任を負わせるということになりますが、あなたならその責任を全うできるでしょう。その一方で、マルスもあなたに幸をもたらすものと信じます。今日は、報告してくれて、ありがとう」
監査委員会は、こうして終結した。




