エピローグ
里中光男の小説が完結した後、夜、彼が寝ても小説は更新されなくなった。
念のため、その後一週間、様子を見たが影が抜け出るようなことも、パソコンに電源が入ることもない。
山倉は報酬を得て、里中家は日常に戻っていった。
その後、里中光男は、書いていた話を全て改稿し、自分の言葉で紡ぎなおしたらしい。
そしてその物語は、クトゥルフ神話もののアンソロジーのひとつとして、とある出版社から発売されることとなった。
「辞退することも考えたのですが」
事務所を訪ねてきた光男は、複雑な顔で真新しい本を山倉に手渡した。
「例の儀式の部分等は大幅に変更なさったのですよね?」
「はい」
「それでしたら、なんの問題もないでしょう。おめでとうございます」
山倉は本を受け取りながら祝いの言葉を述べた。
「ありがとうございます。すべてあなたのおかげです」
光男は丁寧に頭を下げた。
「その後様子はいかがですか?」
山倉は、光男の顔を覗き込んだ。以前のような陰りはみえない。健康上も問題なさそうだ。
「そうですね。一応、日々を生きております」
光男は苦笑いを浮かべた。
「このような本を出させていただいてなんですが、もう二度と、かの神にまつわる話は書かないでしょうね」
「それが良いでしょうな」
山倉は頷く。
「今でも、あのまま進んでいたらたどり着いたであろう物語が、頭の中にくすぶることがあります。データは消去しましたが、私の記憶は残っている」
光男の目がやや昏い光を帯びた。
「忘れることです。ひとは、忘れることのできる生き物なのですから」
「はい」
山倉の言葉に光男は頷き、帰って行った。
外はあの日と同じ、雨が降っている。
山倉は光男が置いていった本をめくると、杉村が海に魔導書を捨てるラストシーンが目に飛び込んできた。
あの日。光男は、杉村が海に投げ捨てたように、パソコンのデータを消去した後ハードディスクも処分した。
だからもう何も心配はいらないはずだと、山倉は思う。
しかし、山倉も、そして光男も知っている。
インターネットという広い海の水底のどこかに、ネクロノミコンが眠っているのだ。
そして、古き神を求めるものを待ち続けている。その時が来るまで。
了




