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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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 精霊は目を細め、視線をファーレン王へと向けた。

 王は心得たとばかりに頷き、口を開く。


「皆の者、聞いたであろう」


 ファーレン王の重々しい声が国儀の間に響き渡る。

 その厳かな声を聴いた途端、人々の背筋が自然とまっすぐに伸びた。


「精霊様自らが、ノーティカとシリウス殿の婚姻を正統なる結びつきと認められた。そして王家の血が絶えぬとまで仰せになったのだ。これ以上、継承に不安があるなどという言葉は成り立つまい」


 その言葉に、誰も異を唱える事など出来なかった。

 古の昔からこの地を守護してきた尊き精霊。その精霊の裁定を覆せる者など、居るはずもない。

 その時、パチパチと誰かが手を打った。その音は徐々に広がっていき、気付けばその場に居た殆どの者が手を打っていた。

 それは王の言葉を是認する拍手であり、シリウスとノーティカの婚姻を祝福する拍手でもあった。

 いつまでも鳴りやまぬ拍手の中、床にへたりこんだベラトリックスは震える声で呟いた。


「嘘だ……」


 まとめ上げた髪をぐしゃぐしゃに掻きむしりながら、ベラトリックスは尚も食い下がろうとする。


「そんなもの、認められる訳が……!」

「ベラトリックス殿下」


 掠れる声を遮ったのは、ディズリーだった。

 そこには最早、狡猾な老獪の姿は無かった。ただ疲れ切ったような、冷えた表情だけがあった。


「引き際をお弁えください。これ以上は我が国の恥を晒すばかりです」

「……っ!」

「我々は国家の交渉の為に参ったのです。殿下の私怨に付き合う為ではございません」


 それは冷たく突き放すような言葉であった。

 ディズリーとて、今回の外交がなかばベラトリックスの私情によるものだという事は予め含んでいたはずである。

 だが敗北を悟り、あっさりと梯子を外してしまった。


 一番の味方であるディズリーからも見捨てられた。それを理解した瞬間、ベラトリックスの身体から力が抜けた。


「そ……そんな…………」


 最早ベラトリックスは顔を手で覆い、小さく呻く事しか出来なかった。

 その震える身体に寄り添う者は、誰も居なかった。


『我が巫女、ノーティカよ』


 その時、精霊の言葉と共にふわりと風が吹いた。春の陽気を思わせる暖かな空気が部屋中を吹き抜ける。

 ノーティカは恭しく頭を下げた。


「精霊様……此度、尊き御言葉を直にお授けくださり、誠にありがとうございます」

『良い。そなたが清き心を常に持ち、民のために心を砕いてきたからこそ、我は手を差し伸べたのだ』

「ありがとう……ございます」


 張り詰めていたものが緩んだのか、ノーティカの声は僅かに震えていた。

 精霊はそんな彼女を見て、ふっと表情を緩めた。


『そなたはよく耐えた。……そして祝福の御子シリウスよ。そなたもまた、長き苦しみに耐えてきた』


 精霊は自らの胸元にそっと手を当てた。

 それはこの身体の持ち主であるシリウスに語りかけているように見えた。


『つらい環境に身を置きながらも、清く優しい心を持ち続けた。そして我が巫女と同じく、民のために力を尽くしてきた。我はその高潔な精神を尊く思う』


 精霊は建国の頃より長きに渡りビガ国を見守り続けてきた。

 だからこそ、この国のために心を傾け続けた二人を愛し、祝福したのだ。


『今ここに改めて告げる』


 精霊は視線をぐるりと巡らせ、そして一際声を張った。

 皆がその宣誓を聞き逃すまいと、静かに耳を傾ける。


『両名の婚姻は我が認めしもの。これを疑い、あるいは穢さんとする者があれば、それは我が意に背くものと知れ』


 そして精霊はゆっくりとノーティカへ向き直る。

 厳然たる裁きを告げる裁定者の顔ではない。永き時を見守り続けてきた守護者として、愛し子へ語りかける顔であった。


『我が巫女ノーティカ、そして祝福の御子シリウスよ。互いの手を放すな。そなたらが心を一つにして国を慈しむ限り、我も末永くこの国を見守ると誓おう』


 その言葉を最後に、精霊は目を伏せた。赤い瞳が瞼に隠れると同時に、一際強い風が吹いた。

 どこからか舞い込んできた風にノーティカは目を閉じ、揺れる髪を押さえた。

 やがて風が止む。

 ノーティカはゆっくりと目を開いた。そして、目の前に立つ者の姿をまっすぐに見据える。

 ビガ国の海に良く似た、深い青色の瞳を持つ者。彼が口を開く。


「……ノーティカ……」


 シリウスだ。

 先程まで精霊が入り込んでいたその身体には、いつの間にかシリウスの意識が戻ってきていた。

 ノーティカがほっと息を吐こうとした瞬間、シリウスの身体がぐらりと揺れる。

 

「シリウス……!」


 咄嗟にノーティカは駆け寄り、シリウスの身体を抱きとめた。

 ふらつくシリウスを支えるように、その肩をしっかりと抱く。


「すみません、ノーティカ……」

「大丈夫ですか? シリウスの身体に、精霊様が宿っていたのです」

「はい。私の意識も片隅に残っていました。……精霊様は、私達を見守っていてくださったのですね」


 シリウスは不意に天を仰ぎ見た。

 姿は見えない。だが、確かに精霊がそこに居る気がした。


「ノーティカ、もう大丈夫です」

「シリウス……」

「私はもう恐れません」


 シリウスの青い瞳がノーティカをまっすぐに捉えた。その瞳には、強い意志が宿っている。

 ノーティカは小さく頷き、シリウスの肩からそっと手を離した。


 シリウスは一歩前に踏み出す。そして床にへたり込むベラトリックスに視線を向けた。

 ひどく青褪めた表情で呆然としている異母姉の姿を見つめながら、シリウスは複雑な気持ちを抱いた。


「……姉上」


 シリウスが口を開くと、ベラトリックスは僅かに肩を揺らした。

 そして視線をゆっくりとシリウスの方へ向ける。その目はどこか焦点が合っていないように見えた。


「私が生まれた事で、貴女の立場を脅かしてしまった――だから貴女に踏みにじられても仕方がないと、己を納得させた時もありました」


 シリウスはそっと目を伏せた。

 理不尽な暴力の記憶が頭を駆け巡る。


「けれど、それは違っていた。貴女は他者を貶める事に喜びを感じていた」


 傍らに立つノーティカの身体が僅かに震えた。

 彼女もまた、ベラトリックスに心を踏みにじられた一人だ。

 だからこそシリウスはベラトリックスを許せなかった。


「貴女が本当に王位を望むのであれば、誰かを虐げる事に執心するのをお止めください。為政者として、アストラ王国を治める事に心を砕いてください」


 シリウスの言葉を聞いたアストラ王国の人々の表情は、一様に強張った。

 ベラトリックスの罪が露わになった今、アストラ王国の面々が何を思うのか、そして彼らがどのような道を選ぶのか――シリウスには知る由もない。

 今の彼には祖国よりも他に守るべき国があり、共に歩むべき人が居る。

 シリウスは息をひとつ吐き、そしてはっきりと言い放った。


「私は二度と、あなたの支配の中には戻りません」


 ベラトリックスの目が大きく見開かれる。

 その瞳に浮かぶのは、深い絶望の色。

 彼女は小さく口を開き、何か言葉を発しようとした。けれど言葉は声にならず、はくはくと唇が僅かに動くだけであった。

 ベラトリックスは何かに縋るように手を伸ばす。白くたおやかな指が小刻みに震えていた。だがその手は何も掴めないまま、やがて力なく下ろされた。

 支配から逃れた異母弟を追う力は、最早残っていない。

 それどころか、彼女は権威も臣下からの信用も、何もかもすべて失ってしまった。

 

 床にへたり込んだままのベラトリックスに、誰も手を差し伸べようとはしなかった。

 見かねた赤髪の騎士――アーノルドが、壁際から離れてベラトリックスの元に歩みを進める。

 その顔は、まるで仮面を被ったように冷たく無表情だ。だが主を放っておくというのは、騎士としての矜恃が許さなかったのだろう。

 アーノルドはベラトリックスの傍らに膝をつき、手を差し伸べる。だが彼女は呆然としたまま、差し伸べられた手に何の反応も示さなかった。

 

「……殿下、ご無礼をお許しください」


 耐えかねたアーノルドは、ベラトリックスの手を取りなかば無理矢理引き上げた。

 そしてベラトリックスから僅かに距離を取っていた侍女に視線を投げかける。侍女はやや躊躇うような様子を見せたが、やがて観念したようにベラトリックスの背を支えた。

 騎士と侍女に支えられたベラトリックスは、一度も振り返る事なく国儀の間を後にした。

 その姿に、もはや一国の王太女としての威厳は無い。

 その背に向けられる視線は、同情ではない。

 異母姉の後ろ姿を見つめるシリウスの瞳には、どこか複雑な感情が滲み出ていた。


「……さて、諸君らよ」


 ゴホン、という咳払いと共に、ファーレン王の厳めしい声が響く。

 その場に居た全員が、居住まいを正した。


「精霊様の御裁定は下された。ノーティカとシリウスの婚約に、今後いかなる異議も認めぬと」


 シリウスとノーティカは互いに顔を見合わせる。その表情は、揃って晴れやかなものであった。


「そしてアストラ王国使節団は、本件の顛末を貴国の国王陛下に余すところなく伝えるように」


 ファーレン王はそう言って、ディズリーに睨みを利かせた。

 王太女の不始末を有耶無耶にする事は許さないと、言外に滲ませながら。


「……しかと、我が王に申し伝えます。ファーレン国王陛下」


 ディズリーはどこか淡々とした表情で、恭しく頭を下げた。

 彼にとって最早ここは、敗戦処理の場でしかなかった。


「此度の談判、これにて終結とする」


 ファーレン王の宣言で、談判の舞台は幕を閉じた。

 それはシリウスにとって、長く続いた夜が明けた瞬間であった。


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