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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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「……精霊様……?」


 ノーティカの呟きに答えるように、赤い瞳のシリウスは後ろを振り返り首肯した。


『いかにも。我が巫女よ』


 その瞬間、室内にざわめきが広がった。


「あれが精霊様……」

「本当に……精霊様が御姿を現すとは……」


 精霊を信ずるビガ国の者達は皆、畏敬の念を込めた目で精霊を見つめた。

 中には胸の前で手を組み、祈りを捧げる者まで居た。


 一方のアストラ王国の人々は、誰もが困惑の表情を浮かべていた。

 無論、アストラ王国にも宗教は存在する。だが『信仰など所詮目に見えないもの』と、どこか軽んじている者も少なくはなかった。

  けれど今まさに目の前で起こった神秘を、誰が侮る事が出来るのだろう。


 ノーティカは精霊の前に跪き、恭しく頭を垂れた。

 そして顔を伏せたまま、精霊に問う。


「精霊様……何ゆえ、この場にご顕現くださったのでしょう」


 シリウスの姿をした精霊は、跪くノーティカの頭に手を触れた。

 それはまるで、母が幼子の頭を撫でて慈しんでいるようにも見えた。


『我が巫女よ。我は祝福の御子の怒りに共鳴し、この身を借りたに過ぎぬ』

「怒り……」


 ノーティカは伏せていた顔を上げた。

 精霊の赤い瞳と視線が交差する。

 精霊の表情はノーティカへの深い慈愛を湛えている。その一方で、赤い瞳の奥には静かな怒りも隠されていた。


『我が胸も怒りに満ちておる』


 精霊の声が、一際低く響いた。


『あのような塵芥に我が愛し子を害されるなど、到底容認出来るものではない』


 精霊は知っていた。

 祝福の御子、シリウスが虐げられていた過去を。

 精霊の巫女、ノーティカが追い詰められていた事を。

 そしてそのような非道を企てた人物が誰なのか。


『――さて』


 精霊は振り返った。


『塵芥よ』


 赤い瞳がベラトリックスの姿を映し出す。ベラトリックスはびくりと身体を震わせた。


『我が巫女が聖言を偽ったと申したか』


 その声は、空気を震わせる振動となる。


『我が祝福を虚言と申したか』


 不自然な振動が徐々に大きくなっていく。空気が重さを増していく。

 室内全体が見えない圧力に押しつぶされていくようだった。


『我が言葉を、人の都合による作り話と申したか』


 全身にかかる圧力が、ベラトリックスの動きを封じる。

 ベラトリックスは目を大きく見開いたまま、ただ唇を震わせる事しか出来なかった。


『身の程を知らぬ愚物め』


 精霊の赤い瞳が、蔑むように細められた――その瞬間、部屋の灯りがフッと消える。国儀の間に闇が訪れた。


 そして精霊がひとたび瞬きをした途端、赤い光がベラトリックスを照らした。

 

「な……っ!?」


 ベラトリックスは驚愕の声を上げた。

 暗闇の中、赤い光の束がスポットライトのようにベラトリックスだけを映し出す。

 まるで舞台の主役であるかのように。

 この舞台が悲劇なのか、風刺劇なのか――あるいは断罪劇なのか。それを決めるのは、他でもない精霊だ。


 舞台上に引きずり出された主演女優――ベラトリックスの表情が、驚愕から憤怒へと変わっていく。

 精霊という上位存在の姿を認めても尚、彼女は矛を納めなかった。


「私を……愚物だと……!」


 ベラトリックスは声を張り上げた。

 シリウスの姿をした何者かに侮られるなど、彼女にとってこれ以上ない屈辱であった。

 血走った目に、怒りの炎が燃え上がる。

 その時。暗闇の中、もうひとつ赤い光が灯った。光は精霊自身を照らしていた。


『ああ。救いようのない愚物だ。矮小な生き物だ』


 血のように赤いスポットライトに照らされた精霊は、淡々と言い放つ。


『貴様は真実など求めておらぬ。他者を虐げ、支配し、苦痛を与える事に愉悦を感じる下劣者よ』

「な……っ!?」


 ベラトリックスの顔は怒りのあまり、真っ赤に染まっていた。 


『その卑しい欲の為に斯様な茶番を仕立て上げた――そうであろう?』

「違う! そのような言いがかりは止めろ!」

『……言いがかりかどうか……この場で確かめてみるか?』


 精霊は唇の端を吊り上げ、首をゆるやかに傾けた。


『祝福の御子よ。そなたの記憶を借り受けるぞ』


 精霊は己の中のシリウスに語りかけるよう、穏やかな声で囁いた。


『そして我が巫女よ』

「……はっ……はい」


 突如として水を向けられたノーティカは、暗闇の中で声を返す。


『そなたの悲しき記憶も、どうか我に授けてはくれまいか』

「……精霊様……」


 ノーティカは胸元に手を当てる。

 ベラトリックスの言葉の刃に貫かれた心は、いまだ痛みを訴えている。

 

「……分かりました」


 ノーティカは心を決めたように答えた。

 精霊はノーティカの心にそっと触れるように、かすかな風を起こした。そして静かに頷く。


 精霊は手を高らかに掲げ、指を鳴らした。

 パチン!

 その瞬間、暗闇の中にもう一つスポットライトが灯った。スポットライトの下、二つの人影が浮かび上がる。


 現れたのは、金髪の小さな男の子と、それより少し年かさの黒髪の女の子だった。

 それは、幼い頃のシリウスとベラトリックスの姿であった。


 幼いベラトリックスは、シリウスを憎々しげに見下ろし――そして、手に持った扇子を容赦なく振り下ろした。

 扇子が頬を打つ、乾いた音が響き渡る。

 シリウスは痛みに震え、泣き叫んだ。ベラトリックスはそれでも手を止める事はなかった。


 精霊がパチンと指を鳴らす度、場面が次々と切り替わる。

 シリウスの未発達な身体が、容赦なく鞭打たれた。

 あるいは毒入りのスープを含み、苦痛に喘いで倒れ込んだ。

 映像は目まぐるしく切り替わる。その度に室内の空気が、徐々に淀んでいった。


 日常的に繰り返される罵倒と暴力。無能を演じるようになった過去。

 少しずつ、シリウスの青い瞳から輝きが失われていく。

 一方シリウスを虐げるベラトリックスの顔は、ひどく歪んだ愉悦を湛えていた。

 

 パチン!

 精霊は再び指を鳴らす。幼きシリウスとベラトリックスの影が消え、代わりに別の影が現れた。


 それは、サロンルームで対峙するノーティカとベラトリックスの姿であった。

 雨の音が鳴り響くサロンルーム。ベラトリックスは唇の端を吊り上げて笑い、相対するノーティカはひどく青褪めた顔をしていた。

 ベラトリックスは向かい合うノーティカを、鋭い言葉の刃で執拗に切り付ける。


『ノーティカ殿下はきっと新たに王配をお迎えする事になるでしょうね』

『それでもシリウスを手放し難いというのでしたら……あの子を妾にでもなさるのかしら?』

『……あの子の母親みたいに、ね?』


 ベラトリックスの心無い言葉の数々に、ノーティカは泣き伏せた。

 ノーティカを追い詰めるベラトリックスの顔は、ひどく醜悪な笑みを浮かべていた。



 パチン!

 精霊は最後にもう一度指を鳴らした。過去を投影していた映像が消え、室内に光が戻った。


『……では、答えよ』


 しんと静まりかえった室内。最初に口を開いたのは、シリウスの姿を借りた精霊であった。


『祝福の御子に暴虐の限りを尽くし、我が巫女を心無き言葉で追い詰めた下種よ』


 精霊の赤い瞳がスッと細められる。強い怒りを宿した目がベラトリックスを射抜く。

 ベラトリックスは顔面蒼白のまま、言葉を失っていた。


『これでもまだ国家の行く末を案じ、異母弟の未来を憂いていたと言い張るか?』

「ちがう……違う……! こんなもの、ただの幻術だ!」

『まだ言い逃れをするか。だが……この者達はそうは思っておらぬようだな』


 ベラトリックスはハッと顔を上げ、視線をぐるりと巡らせる。その場に居た全ての者が、ベラトリックスに視線を向けていた。

 その目に浮かぶ感情は――軽蔑、嫌悪、忌避。

 ビガ国の者だけではない。味方であるはずのアストラ王国の人々までも、ベラトリックスに白い眼を向けていた。


 つい先ほどまでベラトリックスの言葉に耳を傾けていた使節や文官は、青褪めた顔で唇を固く引き結んでいた。

 壁際に控えた騎士達は、皆が憤ったように目を吊り上げていた。それは、守るべき主君に向ける表情ではなかった。

 ベラトリックスの傍らに控えていた侍女でさえ、一歩後ずさりしていた。まるで彼女の近くに立つ事すら耐え難いとでも言うように。


 誰一人として、ベラトリックスを庇おうとはしなかった。あれほど雄弁だったディズリーでさえ今は無言を貫いている。

 ラメール侯爵もまた、おぞましいものでも見るかのような視線を向けていた。

 誰一人として言葉を発しない。その沈黙は、明確な拒絶であった。


「お……お前たち……」


 ベラトリックスは愕然とした様子で呟く。その掠れた声は、静かな部屋の中に空しく響き渡った。


『もう諦めよ。臣下からも見放された哀れな貴様に、最早勝ち目などない』

「……っ! だが、王族の継承に不安があるのは事実だろう!」


 それでもまだベラトリックスは折れない。精霊の言葉に、尚も食って掛かる。

 その顔は悪鬼のごとく険しいものであった。はぁはぁと息を荒げ、怒りに肩を震わせている様子は、最早正気のものとは思えなかった。


『……愚物が。尚も我が祝福を疑うのか』


 精霊が赤い瞳を細めると、どこからか冷たい風が吹いてきた。


『ならば今一度、ここに宣誓しよう』


 精霊はノーティカを振り返る。赤い瞳に見つめられたノーティカは、胸の前で手を組み、こくんと小さく頷いた。

 精霊は息を小さく吸い、右手を高らかに掲げた。


『祝福の御子シリウスと我が巫女ノーティカの婚姻は、我が認めし正統なる結びつきである』


 精霊の言葉と共に、掲げられた右手から黄金色の光が溢れ出てくる。


『両者が心を違えずこの国を慈しみ続ける限り、二人の間に連なる王の血は絶えぬ。これが我の与えし祝福である』


 黄金色に輝く光は、精霊の精神が入り込んでいるシリウスと、傍らに侍るノーティカの身体を包み込んだ。

 室内の至る所から、感嘆の声が聞こえる。

 温かく柔らかな光が二人を包み込んでいく光景は、至極神秘的なものに見えた。


「そ……そんなもの、ただの言葉ではないか! 血が絶えぬなどと、どう証明するつもりだ!」


 ベラトリックスは決して認めないとでも言うように、何度も首を横に振る。

 その声はひどく震えていた。己の失墜を恐れ、ただ敗北を認めまいとして喚く敗者の声だった。


『我の力をまやかしと断ずるか? 矮小なる人間よ。貴様の目の前に居るのは、遥か昔、この地に住まう民に頑強な肉体を与えた精霊であるぞ』


 精霊の言葉に、誰かがハッと息を呑んだ。

 そう。精霊の力は、決してまやかしなどと侮られるようなものではない。人々の肉体を強く大きく変化させ、荒れ果てた土地を豊穣に導いた神力である。


『これが我の祝福だ。この婚約に、何ら不適切な点は存在せぬ。……そうであろう? ラメールよ』


 精霊の赤い瞳が、テーブルの端へと向けられる。

 末席に座していたラメール侯爵は精霊の言葉を受けると、静かに床に跪いた。


「……御言葉の通りにございます、精霊様」


 ラメール侯爵は恭しく頭を垂れる。その顔には、強い悔恨の念が浮かんでいた。


『お前の気持ちも理解は出来る。継承への懸念を口にする事自体は咎めぬ。王家の未来を案じるのは臣下の務めであろう』

「……」


 侯爵は無言で頷く。


『しかし、だからこそ卿はこの者達に利用されてしまったのだ。その浅慮さを悔やみ、省みると良い』

「……はい。精霊様の御言葉を僅かでも疑った事を深く恥じ、猛省しております」


 ラメール侯爵とて悪人ではない。ただ国の未来を憂慮していただけなのだ。

 その上、『精霊の祝福』という目に見えぬものに懐疑心を抱いていた。だからこそ、ベラトリックスとディズリーに付け込まれたのだ。

 だが今ここで精霊の祝福を目の当たりにし、彼は考えを改めた。――いや、改めざるをえなかった。

 これほどまでに神秘的な光景を目にしてしまえば、精霊の力を疑うなど出来るはずもなかった。


 黄金色の光がゆっくりと収まっていく。

 その場に居た誰もが息をするのも忘れ、神託を静かに噛みしめていた。


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