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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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「ノーティカ様……」

「どうしたの?」


 談判再開の前夜。

 ノーティカが私室で寛いでいると、侍女がおずおずと声を掛けてきた。

 何故だか彼女の顔色は悪く、どこか神妙な面持ちをしていた。


「ノーティカ様にお話ししたい事があると申されたそうです。……アストラ王国の、王太女殿下が」

「えっ……?」


 背筋に、ざわりと冷たい物が走った。




「突然お呼び立てして申し訳ございません、ノーティカ殿下」

「……いえ、ベラトリックス殿下。お気になさらないでください」


 ノーティカとベラトリックスは、サロンルームで向かい合っていた。

 普段であれば大きな窓から季節の花で彩られた庭が見渡せるが、残念ながら今は雨季の夜だ。

 窓の外は真っ暗な闇が広がり、降り続く雨の音が鼓膜を震わせていた。

 ノーティカは無意識のうちに、膝の上に置いた手を握りしめていた。

 ベラトリックスの意図は読めない。ただ言いようのない不安だけが、ノーティカの心中に広がる。


「……もうお加減はよろしいのですか?」

「はい、もうすっかり。ご心配をおかけいたしました」


 ノーティカ付きの侍女から紅茶を給仕されたベラトリックスは、意味ありげな視線を彼女に向ける。

 その視線の意図に気がついたノーティカは、侍女に向かって告げた。


「ありがとう、もういいわ。下がってもらえるかしら」


 ノーティカの言葉に、侍女は僅かに戸惑ったような表情を見せた。

 彼女は常にノーティカに侍っている侍女だ。ベラトリックスの危険性にも、薄々勘づいているようだった。

 だがノーティカは小さく頷き、薄く笑みを浮かべながら告げた。


「用があったら声をかけるわ。扉の外で待っていてもらえるかしら」


 そう言い切ると、侍女は躊躇う様子を見せながらも頭を下げて部屋を出ていった。


「ありがとうございます、ノーティカ殿下。……あまり人にお聞かせする類のお話ではないものですから」

「それは……どのようなご用件でしょうか?」


 言いながらノーティカはティーカップを手に取った。知らず知らずのうちに喉がカラカラに乾いていた。


「勿論、異母弟の話ですわ」

「シリウス様の……?」


 ノーティカは真向いに座るベラトリックスを見据えた。無論、ノーティカが見下ろすような形である。

 けれど何故だか己よりも小さなベラトリックスに飲み込まれてしまいそうな、嫌な威圧感を感じてしまった。


「単刀直入に申し上げます」


 赤い紅を引いた唇が、笑みの形に吊り上がる。


「シリウスとの婚約を解消していただけませんか」

「……っ!」


 カチャン、と。

 カップがソーサーに触れる音が響く。ノーティカの手は、動揺で僅かに震えていた。


「な……何故、そのような事を仰るのでしょう」


 ノーティカの心臓がドクドクと大きな音を立てる。首筋にじわりと汗が滲んだ。

 

「シリウスの未来を考えての事です」


 ベラトリックスは目を細め、ティーカップを優雅に手に取った。

 先ほどのノーティカとは対称的に、悠然と紅茶を口にし、音も立てずにソーサーへカップを置いた。

 この場を支配する者としての余裕が、彼女の一挙一動に表れていた。

 ノーティカはきゅっと唇を噛み、姿勢を正した。

 ――負ける訳にはいかない。


「この婚約は我が国の国王とアストラ王国の国王陛下……ベラトリックス殿下とシリウス様の御父君の取り決めたものです。わたくしの一存で覆せるものではございませんわ」

「少なくとも、アストラ王国側はいつでも婚約解消を申し出る事が出来ますわ」


 ベラトリックスの言葉に、ノーティカは目を瞠った。


「父である国王は病に倒れており、現在は私が国王代理として政務を執り行っております。……つまりシリウスの婚約に関しても、私の権限が及ぶという事」

「……っ!」


 ノーティカは思わず言葉を失ってしまう。


「ですが婚約を白紙に戻すにしても、両者納得尽くで行うべきと考えております。不本意な婚約解消では、お互い禍根が残ってしまいますもの」


 ベラトリックスの言葉に嘘はない。だが、真意としてはもっと単純だ。

 アストラ王国側が一方的に婚約撤回を言い出してしまえば、莫大な慰謝料が発生する。シリウスの為に無用な損を負いたくないのだ。


「ですからノーティカ殿下。貴女が国王陛下に婚約解消をお申し出くだされば、丸く収まるのです」

「……そんな……!」


 なんて一方的で、身勝手な話だろう。

 ノーティカは怒りで目の前が真っ赤に染まるのを感じた。


「なぜ……何故、婚約を解消しなければならないのですか? シリウスの未来のためとは? この婚約が、シリウスを不幸にするとでも仰るのですか」

「……ノーティカ殿下もお気づきなのでしょう? 最も憂慮すべき事に」


 ベラトリックスは唇の前に人差し指を立て、内密の話をするように囁いた。


「シリウスが本当に、ビガ族の貴女との間に子を成せるのかどうか」

「……ッ!」


 ノーティカの顔が朱に染まる。

 ベラトリックスの言葉はあまりにも明け透けであった。しかしそれと同時に、核心を突く言葉でもあった。


「す……既に前例のある事ですわ。過去にもビガ族の女王が、他民族の王配を迎えた事がございます」


 ノーティカの声はかすかに震えていた。


「ええ。存じております。その時の王家には、女王の他にも直系の王族が居たという事も」


 ベラトリックスは手元の扇子を優雅に開いた。音もせず開いた扇子で、口元をそっと覆い隠した。


「つまりその時は、十分な『保険』があった。今とは状況が異なりますわね? ノーティカ殿下」


 扇子の下には、暗い笑みが浮かんでいる。

 ノーティカは視線を逸らし、顔を俯かせた。


「夫婦の間にこれほどの身体の差がございますもの。健やかな子がお生まれになるとは限りませんわ」


 その懸念が、ノーティカの中にまったく無かったと言えば嘘になる。


「けれど次代に血を繋ぐのが王となった者の定め。その義務を果たせないとなると……シリウスは一体、どんな気持ちになるのかしら」


 畳みかけるベラトリックスの言葉が、ノーティカの弱味を的確に突き刺していく。


「大層肩身の狭い思いをするでしょう。世間からは『子を成せぬ王配などなんの役にも立たない』と、貶められてしまうでしょうね」

「そんな事……っ」


 ノーティカは耐え切れずに顔を上げる。その顔はひどく青褪めていた。


「そうなった場合、ノーティカ殿下はきっと新たに王配をお迎えする事になるでしょうね」

「……!」


 全身から、ざぁっと血の気が引く感覚。そして眩暈。ノーティカの身体がぐらりと大きく揺らぐ。


「ビガ国では一妻多夫は許されていないのだったかしら。でしたら後添えをお迎えする為に、シリウスとは離縁しなければいけませんわね」

「そんな……嫌……」

「ああ、それでもシリウスを手放し難いというのでしたら……あの子を妾にでもなさるのかしら?」


 ベラトリックスは首を傾け、殊更愉快そうに言い放った。


「……あの子の母親みたいに、ね?」


 その言葉は、ノーティカの心を穿つ鋭い刃となった。

 目尻から、ぽたりと雫が零れ落ちる。


「いや……嫌よ……そんなの……」


 ノーティカは両手で顔を覆い、しゃくり上げるようにして泣いた。

 シリウスの口から語られた、彼の辛い過去。

 その悲劇の一端には、シリウスの母が王の公妾となった事があった。

 母親と同じ轍を踏ませるつもりか、と。ベラトリックスの言葉がノーティカの心を責め立てているようだった。


「ノーティカ殿下もご存じの通り、シリウスは優しい子ですわ」


 ベラトリックスは身体を前に傾け、ノーティカの顔を覗き込む。そして言い聞かせるように言葉を続けた。


「きっと貴女が望めば、何も言わず身を引く事でしょう」


 ノーティカの脳裏に、シリウスの笑顔が過ぎる。

 ベラトリックスの言う通り、きっとノーティカが望めばシリウスは潔く身を引いてしまうのだろう。

 悲しげな表情を浮かべながら、それでもノーティカが望むのならと。


「貴女の一言があれば、あの子を不幸から遠ざける事が出来るのです」


 いつかシリウスに訪れるかもしれない不幸な未来。

 それを想像するだけで、ノーティカは心が引き裂かれるような気持ちになってしまう。


「……お分かりですわね? ノーティカ王女殿下」


 その時、窓の外を稲光が散った。

 ベラトリックスの顔を白い閃光が照らす。

 それは極上の愉悦に浸る、ひどく醜悪な顔であった。

 やや遅れて、ドォン……という音が遠くで鳴り響いた。

 それとほぼ同時に、ノーティカは崩れ落ちるようにしてソファの肘掛に顔を伏せた。


 細々とした嗚咽がベラトリックスの鼓膜を擽る。

 ベラトリックスはそっと目を閉じた。

 その音は彼女にとってひどく懐かしく心地よいものだった。

 かつてアストラ王国の王城で聞いた、異母弟の泣き声を思い出させた。

 ベラトリックスは至極満たされたような顔をして、スッと席を立った。


「これ以上は明日の談判に差し障りますわ。このあたりでお開きにいたしましょう」


 ベラトリックスは扇子を閉じ、いまだ泣き伏せるノーティカに向かって一礼をした。


「それではノーティカ殿下……どうか賢明なご判断を」


 そうして踵を返すと、振り返る事もなく部屋を出て行った。

 サロンルームには激しい雨音と、ノーティカの悲痛な泣き声だけが響き渡っていた。


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