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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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「すまない、待たせてしまったな」


 衝立の奥から、シリウスが姿を現す。

 法務官のグウェンと騎士のアーノルドはそちらに視線を向け――そして、息を呑んだ。


 上衣を脱ぎ、素肌の上半身を晒したシリウスが二人の目の前に立つ。

 そしてその場で彼らに背を向けた。

 その瞬間、「うっ……」と呻くような声が聞こえた。グウェンの声だ。

 アーノルドは無言のままだ。しかしその顔は血の気が引いたように真っ青になっている。

 シリウスの背中にはおびただしい数の古傷が刻まれていた。本来白いはずの肌が、赤茶色の線で埋め尽くされている。

 二人は言葉を失ってしまう。目の前に広がる凄惨な光景から目を離すことが出来なかった。


「それでは、医師としての所見を申し上げます」


 ラグーナ医師が一礼してシリウスの傍らに立つと、二人はハッとして居住まいを正した。


「まずは此度の事件における負傷について。殿下は犯人より頸部を強く圧迫され、更に背部および左肩を強打しております」


 言いながら、ラグーナはシリウスの首元と肩にそっと触れる。


「診察時には頸部に圧迫痕、背部から左肩にかけて広範囲の打撲、ならびに筋肉の炎症反応が見受けられました。また、背部痛および肩関節可動時の疼痛も確認されております」


 グウェンとアーノルドは、神妙な顔つきでラグーナの言葉に耳を傾けている。


「しかしながら、頸部損傷は軽度であり、気道損傷や骨折等の重篤な異常は認められませんでした。適切な安静と治療を行った結果、現在は後遺症なく回復しております」


 ラグーナは視線をシリウスへと向ける。


「殿下、肩をお動かしいただけますか?」


 シリウスは指示された通り、左腕を肩より上に持ち上げる。

 そのままぐるりと腕をひと回しする。その動きに淀みはない。


「痛みを感じたり、動かし難い場所はございませんか?」

「はい、大丈夫です」 

「このように、動きにも問題はございません」

「先生の適切な処置のおかげです」


 シリウスはラグーナの方を見上げ、穏やかに微笑んだ。


「……今回の傷害事件での負傷につきましては、殿下の御身に大事がない事を理解いたしました。事件後のビガ国側の対処が適切だったとも、認識しております」


 口を開いたのはグウェンだ。その声はひどく重苦しい。


「ですが殿下……その、背中の古傷は……」


 言いながら、シリウスの背中に視線を向ける。だがあまりにも惨たらしいそれを直視出来ないのだろう。グウェンはすぐに目を逸らしてしまった。


「……そうですね。こちらの古傷につきましても、私の所見を述べさせていただきます」


 ラグーナの表情に僅かに陰が差す。けれど努めて淡々と所見を述べた。


「まずこの瘢痕(はんこん)ですが、細長く硬い形状の物で打ち付けられた跡と推察します。それも一度や二度の打擲ではありません」


 その言葉を耳にした途端、グウェンとアーノルドは露骨に顔を歪めた。


「瘢痕は背中の広範囲に広がっておりますが、特に中心部……このあたりですね。ここの瘢痕は硬質化しています。一度治りかけた創部が、繰り返し損傷を受ける。すると瘢痕組織が肥厚する事があるのです。結果として、このように硬く変質してしまうのです」


 ラグーナが指し示したあたりの傷は、周囲の皮膚よりも硬く盛り上がっている。

 赤茶けた傷同士が重なり合い、まるで幾条もの縄を埋め込んだような質感になっていた。


「それと、背部全体に瘢痕拘縮が認められます。正常な皮膚は成長に伴って柔軟に伸長いたします。しかし瘢痕組織はその性質上、正常皮膚ほどには伸びないため、周囲の皮膚が引き攣れを起こす事があるのです。殿下のお身体の瘢痕が、これほど強く周囲の皮膚を引っ張っているということは……」


 医師はそこで言葉を切った。

 それ以上口にするのも憚られるとでも言うように。

 だが、グウェンは尋ねた。


「……成長する前につけられた傷……という事ですか」


 それは質問ではない。確認だ。

 彼の中では、もうある程度の答えは出ているのだろう。 


「……その可能性は、極めて高いかと」


 ラグーナも断定はしない。あくまで医療者として、その可能性があると述べるまでだ。


「なんと痛ましい……」


 悲嘆に暮れた声が、グウェンの口から漏れ出た。

 彼も人の親として、幼い子どもがそのような仕打ちを受けていたという事実が許せないのだろう。


「そしてこちらの瘢痕ですが、幅と間隔に一定の規則性がございます。何らかの細長い器具によって反復して加えられた外傷と考えるのが妥当でしょう」

「細長い器具……?」


訝るように呟いたのは騎士のアーノルドだ。口元に手を当て、背中の古傷をじっくりと観察しているようだった。


「ところで、騎士殿」

「……は」


 突如として視線を向けられたアーノルドは、僅かに驚いたような様子で医師の声に応えた。


「貴殿は騎士であらせられる。もちろん馬にお乗りになる事はありますね?」

「それは……はい、ございます」

「このような形状の物を、目にした覚えはございますか?」

「……っ、まさか……」


 細長く固い物で、何度も打たれたような傷の跡。

 傷の幅や間隔、大きさ。

 騎士の脳裏に、ある道具の姿が過ぎる。

 訓練場でも馬場でも見慣れたそれは、あまりにも傷の形と酷似していた。

 パズルのピースがぴたりと嵌ったように、アーノルドの脳内が一つの答えを導き出した。

 だが、到底信じる事は出来ない。


「それは……」


 そんなはずはない。そんな事、あってはならない。

 それはあまりにも人道に反する行いだ。

 けれど目の前の傷跡がいかにして付けられた物なのか、あまりにも容易に想像がついてしまう。


「……乗馬用の鞭に……似ています」


 その声はひどく掠れていた。

 唇がわなわなと震えていた。驚愕か、それとも怒りによるものだろうか。


 あまりにもおぞましい話だ。

 思わず信じたくないと願ってしまう程に。

 一国の王子の身体に、乗馬鞭による無数の傷が刻まれていた。それも幼い頃から、反復的に打たれていたなど――。

 けれどそれが事実であるという事は、シリウスの身体が証明している。


「腿にも同じような傷がある。そちらも検分を……」

「……っ、殿下! もう結構です、おやめください!」


 シリウスが自らのスラックスに手を掛けようとしたところを、グウェンが慌てて止めた。

 検分としては、これでもう充分だった。


「……シリウス殿下」

 

 低い声で呟いたのは、グウェンだ。


「御無礼を承知で、お伺いいたします」

「なんだろうか」

「殿下の御身を害したのは、どなたでしょうか」


 シリウスはその問いに答えない。

 ただ困ったように視線を下に逸らし、首を横に振るのみだ。

 『答えられない』――それこそが答えだった。

 それをグウェンも理解したらしい。目元を手で覆い、ひどく重苦しい溜息を吐いた。

 そして姿勢を正し、シリウスに向かって深々と頭を下げた。


「……委細、承知いたしました。此度の件、法務官として公正に判断を下したい所存です」


 アーノルドも、胸に手を当てて敬礼の姿勢を取った。その顔は悲痛に歪んでいた。


「私もここで見聞きした事をしっかりと証言いたします。騎士として、このような非道を見過ごす事は出来ません」


 その瞳は強い意志を湛えていた。

 悪しきを許さず、弱きを助ける。騎士道を信じる者の目だ。


「たとえ私自身が不利益を被ろうとも、真実を曲げるつもりはございません」

「そうか……」


 アーノルドの言葉に、シリウスは眉を下げながら穏やかに微笑んだ。


「アーノルド殿。貴殿のような優秀な騎士は誠に得難い存在だ。この先どのような道に進む事があっても、その高潔さを失わずにいてほしい」

「シリウス殿下……有難きお言葉です」


 アーノルドの瞳が揺れる。感極まったように唇をぐっと引き締め、深々と頭を下げた。


「グウェン卿も、私の身を案じてくれてありがとう」

「いえ、そのようなお言葉……」

「……父は、息災だろうか」

「国王陛下は今も臥せっておられます。ですが、病床でもシリウス殿下の御身を案じておられると聞き及んでおります」

「そうか……」

「私も一人の父親として、子には同じように思います。たとえ傍に居らずとも、どうか健やかであってほしいと」


 グウェンの言葉に、シリウスは目を見開いた。

 目頭にかすかな熱が籠るのを感じる。

 その言葉を、自分も幼い頃に聞いてみたかった。そう思ってしまった。


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