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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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 晩餐会を終え、シリウスとノーティカは小客室に居た。

 紅茶と茶菓子を給仕した後、扉の隙間を僅かに開けたまま侍女は部屋から出て行った。扉の外に侍女と護衛が控えてはいるが、これで室内は二人きりだ。

 少しでもシリウスが話しやすい環境を作ってくれたのだろう。ノーティカの心配りが今はありがたかった。


 シリウスは香りの良いカモミールティーを一口含む。程よい温度のそれは、身体の奥まで染み渡るようだった。


「……まず、私の出自についてお話しさせてください」


 シリウスが口火を切る。ノーティカは静かに頷いた。


「私はアストラ王国の王子ではありますが、王妃の子ではありません」

「……はい」


 それはノーティカも既に知っていた。婚約を取り決める際にファーレン王からも話があったし、少し調べれば分かる事だ。


「母は国王の公妾でした。元々、王と王妃、それから私の母は幼い頃から交流があったそうです。同じ学園にも通っていました」

「幼馴染だったのですね」

「はい。王と王妃は卒業後に結婚。母もとある貴族家の男性との婚約が決まっていたのですが……その方は事故で亡くなってしまったそうです」


 シリウスの母であるリリーは、侯爵家の三女であった。

 嫁ぎ先も決まっていたというのに、突然その相手が亡くなってしまった。彼女は大きなショックを受け、何年も泣き濡れて暮らしたという。


「母は新しい嫁ぎ先を探す事なく、修道院に入ろうとしたそうです。ですが、王がそこに待ったをかけました。幼馴染の令嬢が世俗を捨てようとしている。それが耐えられなかったのでしょうね」


 シリウスはそこで言葉を切ると、紅茶をもう一口含んだ。

 緊張で乾ききった喉が少しだけ楽になった。


「その時点で、既に王と王妃の間には子がいました。ですから公妾を迎えたところで王妃の立場が揺らぐ事はない。母を王家に迎え入れるのも問題ないと判断したのでしょう。……王妃の立場で見れば、複雑な気持ちだったでしょうが」


 シリウスは思う。きっと、父は元々母に懸想していたのだろうと。

 けれど王妃との婚約が決まっていたがゆえに、母と結ばれる事はなかった。

 だが、事態は彼女の婚約者の死で一変してしまう。

 侯爵家としても、娘が神に身を捧げようとする事を良しとしなかったのだろう。その点は、父と侯爵家の間に利害の一致があったと言える。

 こうして父は堂々と公妾として母を迎え入れる事になったのだ。

 だが、ここで悲劇が起こった。


「王と王妃の間には、四人の娘が生まれました。そして母が産んだのが私――唯一の男児だったのです」

「もしかして……アストラ王国は元々、男系相続だったのですか?」

「はい。昔はそうでした。王位や家督は男子にのみ継承権があると。今は女王や女当主が珍しくありませんが……。そういった歴史があったので、やはり男子にこそ王位を継がせるべきと考える臣下も少なからず居たそうです」

「そうだったのですね……」

「本来であれば、私は国王の庶子として外で育てられる筈でした。ですがそういった事情から、私にも王位継承権が与えられたのです」


 その瞬間からシリウスという存在は、祝福ではなく火種となった。


「王妃はもちろん私を疎んじました。ですがそれ以上に私を邪魔者に思ったのが……第一王女であるベラトリックスです」

「……!」


 シリウスの告げた名前に、ノーティカの瞳が揺れた。

 それは今まさにこの国に居て、つい先ほどまで言葉を交わし合っていた者だ。


「彼女は王の長子。生まれた時から次期女王になるべく育てられてきました。そこへ突然唯一の男児が現れた……結果は火を見るよりも明らかでした」


 男系相続こそが是であるとする一部の臣下たち。国王は彼らに言われるがまま、シリウスに王位継承権を与えた。

 もしかしたら、そこにはリリーとシリウスへの愛もあったのかもしれない。愛する公妾とその息子の立場を、盤石なものにしたいという想いが。

 ただしその愛はまったくの見当違いだ。

 結果的にそれが、ベラトリックスの逆鱗に触れる事となる。


「ベラトリックスは私に対する憎悪を募らせ……ある日彼女は、私の頬を扇子で強く叩きました。生まれて初めて受けた暴力に、私は強い衝撃を受けました」


 ぽつりぽつりと言葉を重ねていくうちに、シリウスは己の思考が徐々に過去へと引っ張られていくのを感じた。

 知らず知らずのうちに、指の先が白くなるほど手を握りしめてしまう。


「父が異母姉を咎めた事もありました。けれど彼女の暴力はむしろ苛烈になる一方でした……」


 頭の中を幼い頃の記憶が駆け巡る。

 鋭い音。ヒステリックな声。焼けるような痛み。

 五感の全てを痛みで暴力で支配された過去が、足元にじわじわと迫ってくるような感覚を覚えた。

 

「鞭で……背中や腿を叩き……」

「シリウス……」


 舌が乾く。くらくらと眩暈が襲ってくる。背中の古傷がドクドクと脈打つように疼きだす。


「時には、ど……毒を……」


 突然、胃から何かが込み上げるような感覚。

 慌てて口元を押さえる。なんとか戻さずに済んだが、吐き気が治まらない。


「シリウス……! 大丈夫、大丈夫ですから……!」


 向かいのソファに座っていたノーティカが、弾かれたように立ち上がる。

 震える背中を温かな手で撫でられた。


「大丈夫です。今はわたくしが傍にいます」

「……っ、は、……ノーティカ……すみません」

「大丈夫、大丈夫よ……ゆっくり深呼吸して。もう苦しくありませんからね」


 まるで幼い子どもに言い聞かせるように、柔らかな声色でシリウスを宥める。

 優しくて温かく、包み込むような愛。子どもの頃に得られなかったそれを惜しみなく与えられて、どうしようもなく泣きたい気持ちになった。

 ノーティカがゆっくりと背を撫でるのと同じ速度で息を吸い、大きく吐き出す。何度かそれを繰り返して、ようやく落ち着きを取り戻した。


「すみません……。落ち着きました」

「シリウス……無理はしないでくださいね」

「はい。大丈夫です。最後まで全部、あなたに打ち明けたいので」


 シリウスは顔を上げる。


「……そうやって、長年の間、ベラトリックスから暴力を受けてきました。王妃や他の異母姉はもちろん助けてなどくれませんでした」

「あの……そういえばシリウス様のお母上は……?」


 ノーティカは躊躇いがちに尋ねる。

 当然の疑問だ。周りを敵に囲まれた中、子を守るべき母は居なかったのだろうか。


「ああ、そうですね。母は私が幼い頃に城を出ています」

「えっ!?」


 シリウスは眉を下げ、どこか複雑そうな顔を見せた。


「私が王位継承権を得た事で、母は王妃の派閥の者から厳しい目を向けられるようになりました。それが原因で気を病んでしまい、実家の侯爵家に戻されたのです」


 シリウスほどではないにせよ、母リリーも厳しい立場に置かれていた。

 王妃派の貴族からは良くない噂をばら撒かれ、茶会や夜会に出席すれば、取り巻きに直接嫌味を囁かれた。

 元々王妃の座を狙っていて、学生時代は王妃に嫌がらせをしていたとか。

 王と結ばれるために婚約者の死をも利用したのだとか。もしかしたら、その死すらもリリーが企てたのではないかとまで言われたそうだ。

 どれもこれも根も葉もない噂だ。だが王妃派の数と権力に、母が勝てるはずもなかった。

 結局、王がリリーとシリウスの立場を盤石なものとするために行った事は、全て裏目に出てしまったのである。


「それ以来、母とは会っていません。実家に戻された後はとある伯爵家の後妻に入ったそうです。今はそちらの領地で静かに暮らしているとだけ聞いています」

「そう……なのですね」


 ノーティカもまた複雑そうに目を伏せた。


「一人王城に残された私は、母を恨みました。なぜ私も連れて行ってくれなかったのかと」


 幼いシリウスには、母の苦しみを理解する事は出来なかった。ただ独り置いていかれた事を恨むばかりだった。

 けれど、今なら彼女の苦しみが分かる。

 婚約者を亡くし、己の意思とは関係なく王の公妾となった。

 産んだ子が男児だったおかげで、王位争いに巻き込まれた。

 生家に戻ればまた別の貴族に嫁がされた。

 彼女はずっと本人の意思とは無関係の人生を歩まされているのだ――シリウスと同じように。


「……ですが」


 シリウスは目を細め、視線をノーティカに向けた。


「そのお陰であなたと出逢えた」


 苦しみばかりだった過去を肯定するつもりはない。

 けれどもし、自分がアストラ王国の第一王子でなかったら。

 あの日海を越えてこの国へ来る事もなかったのだと思うと――


「この人生で、間違いはなかったと思えるのです」

「……わたくしも」


 小さく呟くような声が、シリウスの頭上から注がれる。


「シリウスと出逢えて良かった……そう、心から思います」


 穏やかな声で紡がれる言葉は、シリウスの胸の奥へと沁み込んでいった。

 否定され続けた人生を、まるごと抱きしめられたような気がした。

 喉の奥が熱くなる。けれど今度は、苦しさではなかった。


「わたくしはこれからもずっと、あなたに寄り添っていたいのです」

「ノーティカ……」


 ノーティカはまっすぐにシリウスを見つめる。

 その新緑色の瞳には、揺るぎない決意が宿っていた。


「あなたの人生を、もう二度と誰にも損なわせません」


 強い意志を持った瞳が、きらりと輝く。

 シリウスは眩しい光を見た時のように、思わず目を細めた。

 ノーティカは明けない夜のような人生を照らしてくれた、シリウスにとって唯一の光だった。


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