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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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 その日の晩は、歓迎の晩餐会を開いた。

 ビガ国側の王族、宰相、高位貴族、外交大使。そしてベラトリックスと、アストラ王国側の使節団の面々で食事を囲む。

 広いダイニングルームは張り詰めた空気に包まれていた。けれど誰もが表面上はにこやかな仮面を貼り付けている。


「ビガ国の食文化は、アストラ王国とは随分と違うのですね」


 ベラトリックスは切り分けられた魚を優雅な手つきで口に運ぶ。

 この時期は鯛が旬だ。白ワインソースで仕上げた鯛の蒸し料理に、皆が舌つづみを打っていた。


「海に囲まれた我が国は、魚介料理が自慢でな。ベラトリックス殿下にはお気に召していただけただろうか」

「ええ、とても美味です」


 国王の言葉に、ベラトリックスはにこやかな笑みを返す。


「魚と言えば……我が国は少し前から水産物の輸出に力を入れ始めたのだが、それに尽力してくれたのがシリウス殿なのだ」


 ベラトリックスの動きが一瞬止まる。

 少し離れた席に座っていたシリウスにも、彼女の僅かな動きの乱れが見て取れた。


「シリウスが……?」

「ああ。ビガ国の豊富な水産資源は輸出価値があるとシリウス殿が進言してくれたのだ。水産物の加工システムも、彼が漁業関係者と共に作り上げていった。正に立役者だ」

「……そうなのですね」


 ベラトリックスはファーレン王と会話をしながらも、ほんの一瞬だけシリウスの方に視線を寄越した。

 シリウスの心臓が大きく跳ねる。投げかけられた視線は、ひどく冷たいものだった。

 けれどすぐにファーレン王の方に視線を返し、穏やかな表情をしてみせた。


「民からの信頼も厚く、未来の王配として頼もしい限りだ。素晴らしい王子と縁を結ぶ事が出来て、我々も光栄だと思っている」

「ええ、自慢の弟です」


 その言葉からは、出来の良い異母弟を誇りに思う異母姉にしか見えない。

 だが僅かな間、動き、声色。それだけで、シリウスには分かった。ベラトリックスの苛立ちが。

 彼女の心の機微を最も理解しているのは、シリウスなのだ。



 その後も、表面上は和やかな会食が進んでいった。

 けれどふとした瞬間、グラスを持つベラトリックスの手が止まった。


「……申し訳ございません、少し酔ってしまったようです」


 ベラトリックスは眉を下げ、わずかに戸惑ったような表情を見せた。


「なんと、酒精が強すぎただろうか」

「何分酒に弱いもので……少し夜風に当たって来ても?」


 そう言いながら、ダイニングルームから直接繋がっているテラスを指さす。もちろん、とファーレン王は首肯した。

 付き添おうとした侍女に、ベラトリックスは「結構よ」と告げる。


「シリウス」

「……は……はい」


 突然視線を向けられ、シリウスは身体を僅かに震わせた。咄嗟の事に上手く反応できず、返す声も自然と掠れてしまった。


「折角だわ。久方ぶりに姉弟(きょうだい)水入らずで話したいの。あなたがエスコートしてくれるかしら?」


 ベラトリックスは首をわずかに傾け、目を細めながら告げる。

 その言葉に、否と答えられる訳がなかった。


「……はい」


 シリウスはカトラリーを皿に置き、ゆっくりと立ち上がった。足が震えそうになるのをなんとか堪えながら、ベラトリックスの元まで歩みを進める。

 まるで地獄へ続く道のようだと、シリウスは心の片隅で思った。

 エスコートの手を差し出すと、ベラトリックスは艶やかな唇を笑みの形にした。


「ありがとう」


 シリウスの手のひらに乗る、小さく華奢な手。これはシリウスの頬を打ち、鞭で叩き、虐待の限りを尽くしてきた手だ。

 ノーティカの大きく温かな手の感覚を思い出しながら、シリウスは異母姉の手を取った。


「……シリウス……」


 ノーティカが小さく呟く。

 テラスに向かう二人の後ろ姿を、ノーティカは憂うようにずっと眺めていた。




 テラスに出た途端、ベラトリックスは一瞬で表情を消した。


「シリウス」


 ただ、一言。短く名前を呼んだだけ。

 それだけでシリウスには、これから起こる事態の予想がついた。

 エスコートの手が自然と震える。それを察知したベラトリックスは、ふっと鼻で笑うような息を漏らした。


「随分と楽しそうだな」

「……いえ……」


 シリウスは俯く。視線を地面に向けたまま、上げる事が出来ない。


「巨人族共に持て囃されて、身の程を忘れたか? 薄汚い妾の子が」


 嘲るように言い放つベラトリックスの言葉に、シリウスは唇をぎゅっと噛みしめる。

 シリウスだけではない。ビガ族をも侮っているのだ。それが悔しかった。

 けれど異母姉に何かを言い返せる筈もなく、ただひたすらに耐え忍んだ。そんな自分が不甲斐ない。


 テラスの端に並び立つと、ベラトリックスは手を離した。シリウスはかすかに安堵したように息を吐く。

 けれどベラトリックスの責めは、これだけで収まる訳もなかった。


「お前が国を出る時、私が言った事を覚えているか? 『我が王室の恥を晒すな』と」

「……はい……覚えております」

「その結果がこれか。不甲斐ない。やはりお前は出来損ないだな」

「……っ」

「そして私がこのような所まで来る羽目になった。お前の尻拭いのためにな」


 シリウスは拳を強く握りしめた。

 今回の事件は、シリウスに非がある訳ではない。ニラスの暴走にシリウスやノーティカが巻き込まれただけだ。

 それに犯人であるニラスは即時逮捕されたし、その刑罰も既に確定している。

 本来ならば、今更ベラトリックスが出てくる幕ではないのだ。


(尻拭いだって……? 姉上は、私を利用したいだけではないか)


 シリウスの心に黒い靄が広がっていく。けれど、その靄を吐き出す事は叶わない。

 異母姉の気が済むまでひたすらに耐え忍ぶ。それがシリウスの処世術なのだから。

 ベラトリックスは意地の悪い笑みを浮かべながら、なおも続ける。


「まあお前のような出来損ないには、巨人族のような野蛮者がお似合いだがな」

「な……っ!?」


 それは、あまりにも露骨な侮辱であった。

 シリウスは顔を上げ、目を瞠った。


「しかもお前の相手はあれだろう? ひときわ図体の大きい巨人姫。矮小なお前と並ぶと実に滑稽だ。いい笑いものじゃないか」


 ベラトリックスはくすくすと嘲り笑う。ビガ国を見下すような態度を隠しもしない。他国の王族をここまで侮り辱めるなど、正気の沙汰ではなかった。


「……て……撤回、してください」


 その言葉は、自然とシリウスの口から放たれた。


「……は?」


 ベラトリックスの低い声が、静かなテラスにこだました。

 途端に空気が張り詰める。シリウスは、周囲の温度が急激に下がったような感覚を覚えた。

 それでももう、止まる事はできなかった。


「わ、私の婚約者を愚弄する事は……お止めください……」


 シリウスの声は無様なほどに震えている。指の先が冷たい。自然と呼吸が浅くなり、息苦しさを感じてしまう。

 けれど、これだけは見過ごせなかった。

 自分はどうなっても良い。愛しい人の名誉だけは、どうしても守らなければならない。


「……随分と偉くなったものだな」


 その声には、純粋な怒りが込められていた。

 ベラトリックスの目から光が消える。

 ――次の瞬間。


「……ッ!?」


 シリウスの足の甲に、ベラトリックスの高いヒールが埋まる。

 突如走った激痛にシリウスは思わず声を失った。


「お前ごときが私に指図をするのか? そんな事が許されると思っているのか?」


 言葉を重ねながら、ベラトリックスは踵に更に体重を乗せてくる。細いヒールが更に埋まっていく。


「ぐ……、ぁ……っ、やめ……」


 あまりの痛みに表情が歪む。その目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 シリウスがもだえ苦しむ様子を見て、ベラトリックスは殊更楽しそうに呟いた。


「立場という物が分かっていなかったようだな……躾が足りなかったか?」


 細く華奢な指先が、シリウスの背中をなぞる。

 そこはいつも鞭で打たれていた場所だった。


「う……ぅ……」


 古傷が熱を持ったように疼く。ベラトリックスの『躾』の記憶は、シリウスの頭にも身体にもこびりついていた。


(ああ……結局、この人の呪縛からは逃れられないのか……)


 シリウスの心には、見えない鎖が縛り付けられていた。

 けれど鎖は徐々に解けかけていた。ノーティカの献身、ビガ国の民との交流、精霊の祝福。それらを通して、シリウスの心は少しずつ解放されていったというのに。

 ベラトリックスの存在がそれを邪魔してしまう。解けかけた鎖を再び巻き直し、外れないように固く鍵までかけてしまう。


 シリウスの目から、光が消えかけた。

 ――その時だった。


「……シリウス?」



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