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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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 あの襲撃事件からひと月。


 シリウスはノーティカと共に王城の庭園を歩いていた。

 怪我を負ってからしばらくは歩行もままならず、杖をついて歩かざるをえなかった。

 身体が鈍ってはいけないと、散歩を日課にする事にした。都合が合う時はノーティカも散歩に付き合ってくれている。

 ほぼ完治した今も、こうして毎日庭園を歩いて回っていた。


「こちらの庭は、季節によってまったく色が変わりますね」

「ええ。これから雨季に入ると、ハイドランジアの花が見頃になりますよ。ほら、もう少しずつ咲き始めていますわ」

「あの紫色の花ですか? 満開になるのが楽しみですね」


 庭園の花々を眺めながらゆっくりと二人で歩く時間は、シリウスにとってかけがえのないものだった。

 これまで過ごしてきた人生の中で、一番穏やかな時間。

 隣に立つノーティカに目を向ける。淡い茶色の髪が、軽やかに風に揺れている。シンプルな若草色のデイドレスは、彼女の素朴な美しさを引き立てていた。

 シリウスは小さく歩幅を合わせて歩く彼女に、堪らなく愛おしさを感じた。


「体力が戻ったら、また国内の様々な場所を見て回りたいです」

「そうですね。まだ視察に行っていない場所が沢山ありますもの」

「オルカ地区の道路整備問題。北部鉱山の資源の活用。バイア地区の水路建造……実際に目にしなければ分からない事ばかりです」

「一つ一つ向き合ってまいりましょう。それと……そろそろ結婚式の事も……」


 ノーティカは恥じらうように頬を染めた。

 シリウスもハッと顔を上げ、同じように顔を紅潮させた。


「そうですね……そろそろ……」


 ビガ国の成人年齢は二十歳だ。二人は十八歳で婚約し、二年の婚約期間を経て、ノーティカが成人を迎えた折に結婚する事となっている。

 現在、シリウスとノーティカは十九歳。約一年後には結婚式を挙げる。国を上げた壮大な祝い事だ。もちろん既に準備は進めているが、改めて口に出すとどこか気恥ずかしいと感じてしまう。


「シリウス殿下、ノーティカ殿下」


 突如、背後から声がかかる。振り向くと、浮かない顔をしたジェレミーと視線が交差した。


「どうした?」

「国王陛下がお呼びです。早急に参られよとの事です」


 シリウスとノーティカは顔を見合わせる。

 雨季の近づいてきた空は、徐々に陰りを帯びていった。





「アストラ王国より、先般の襲撃事件に関わる書簡が届いた」

「……え……」


 シリウスとノーティカが国王から告げられたのは、シリウスの祖国からの突然の報せであった。


「曰く。シリウス殿が襲撃され、負傷したのは我が国の警備体制の不備だと。賓客保護義務を怠っていたのではないかとの物言いだ。……まあ、これについては紛れもない事実だ。申し開きのしようもないな」


 ファーレン王は重苦しく息を吐く。その顔つきはいつも以上に厳めしい。


「それは……そうですわね」


 ノーティカも口元を歪め、顔を俯かせた。

 様々な事情があったとは言え、シリウスが不埒者に襲撃されて傷を負ったというのは事実だ。そこを責められたら言い訳のしようもない。

 シリウスの顔色が徐々に悪くなっていく。こういったやり口には、大いに心当たりがあった。


「陛下……その書状は、誰からの……」


 震える声でシリウスは尋ねる。国璽の捺された書状を持ち上げながら、ファーレン王は答えた。


「アストラ第一王女、ベラトリックス王太女殿下のものである」


 シリウスの足元が、ぐらりと大きく揺らぐ。

 思った通りだった。あの異母姉は離れてもなお、シリウスを阻もうとしてくる。

 目の前が徐々に暗くなる。手が震える。自然と息が浅くなる。苦しい。苦しい。苦しい……。


「……シリウス?」


 不意に名を呼ばれる。隣に座るノーティカが、心配そうに覗き込んでいた。


「顔色が悪いわ……大丈夫でしょうか?」

「あ……」


 ノーティカはシリウスの震える手をそっと握る。途端に強張っていた身体が緩み、呼吸が元に戻ってきた。


「申し訳ありません……少し、取り乱してしまいました」

「そう……」


 ノーティカは何か言いたげな顔をしていた。けれど続く言葉は無く、そのまま顔を上げてファーレン王に視線を向けた。


「それで、あちらの王太女殿下は何と?」

「ああ。禍根を残さぬためにも、この件についてしっかり談判を行いたいとの事。ついては王太女殿下直々に、こちらに参られるとの事だ」

「な……っ!?」


 シリウスは絶句した。まさか、ベラトリックス自ら乗り込んで来るなんて。何か、強い思惑を感じずにはいられなかった。


「圧力をかけてくるつもりですわね」

「ああ。ならばこちらとしてもしっかりと体制を整えて構えねばなるまいな」


 ノーティカとファーレン王は顔を見合わせて静かに頷く。

 シリウスの指先は、ノーティカに握られたままなお小さく震えていた。


 ベラトリックスの名を聞いた瞬間に蘇った恐怖。

 それはまだ、シリウスの胸の奥を冷たく締めつけていた。


 



 震えるシリウスの手を宥めるように撫でながら、ノーティカは記憶を辿っていた。


 ニラスによる襲撃事件の後、シリウスを診察した老医師と話した時の事。

 医師は内密の話をするように、声を潜めてノーティカに語りかけた。


「実は……お伝えした方が良いのかどうか悩んだのですが」

「……何かあったの?」


 首を傾げながら、ノーティカは医師に耳を寄せた。


「先ほど拝診した時に判明したのですが……シリウス殿下のお身体には、無数の傷がありました」

「……え?」

「今回の事件でついた傷ではありません。かなり古くからある傷のようです」

「それは……」


 ノーティカは息を呑んだ。無数の傷というのは、一体どういう事なのか。

 医師は言葉を選ぶように、慎重に話を続けた。


「これはあくまで私の推測でしかありません。その上で申し上げますが……おそらく、虐待を受けていたと……」

「な……っ!?」


 思わず言葉を失ってしまう。

 一国の王子が虐待を受けていた、なんて。到底信じられる話ではなかった。

 医師も、痛ましい物を見てしまったとばかりに顔を顰めていた。


「悲しいかな、躾として子どもに暴力を振るう人間は存在します。ですがあれは躾なんてものじゃない……」

「そんな……」

「太ももや背中、同じ場所を何度も何度も叩かれたのでしょう。それも手ではない、鞭などの道具を使って」

「うそ、嘘よ……シリウスが……?」


 ぐらりと身体が大きく揺らぐ。倒れ込みそうになる寸前のところで、後ろに控えていた侍女がノーティカの身体を抱きとめてくれた。だが、その侍女の顔もノーティカと同じように青褪めていた。


 そして、腑に落ちた。シリウスに対する印象の全てが。

 ずっと不思議に思っていた。

 ビガ族に比べれば当然小柄だが、すらりと伸びた手足を持ち、気品のある麗しい風貌をしている。気遣いも完璧で、ノーティカなど初めて逢った時に思わず見惚れてしまったほどだ。民に対しても優しく、皆が彼を慕っている。

 けれど、極端に自己肯定感が低いところがあった。失敗しないようにと気負い過ぎているように見えた。

 それがどこかアンバランスに思えた。


 加えて、精霊祈念祭の儀式の時だ。

 シリウスは精霊から黄金色の祝福を受けた。その時、ノーティカだけが精霊の声を聴いていた。


『耐え難き辛苦をその身に刻み、それでもなお歩みを止めぬ御子よ――我が祝福を授けよう』


 精霊はそう言っていた。

 堪えがたき辛苦。

 その言葉の意味が、今ならよく分かる。

 

 シリウスは祖国で虐待を受けていた――それが事実だ。

 そしてその傷は今もなおシリウスを苛み続けている。

 どれほど痛かっただろう。どれほど苦しかっただろう。

 きっと、ノーティカの想像では足りぬほどつらい思いをしてきたのだろう。

 考えるだけで胸が痛くなるほど締め付けられる。


 ――守りたい。守らなければ。


 決意を固めるように、ノーティカは震えるシリウスの手をきゅっと握り返した。


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