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重い瞼をこじ開ける。少しずつ視界に光が入り込んできた。最初に目に飛び込んできたのは、見慣れたベッドの天蓋だった。
「……ん……」
嗄れた声が漏れ出る。やけに喉が痛んで、上手く発声が出来なかった。
「……シリウス?」
ぽつりと、声が降って来る。声のした方に視線を向ければ、そこには目を大きく見開いたノーティカが居た。
「ノーティカ……」
掠れた声で名を呼ぶ。途端にノーティカの大きく見開かれた目からぽろりと雫が零れ落ちた。
「シリウス! シリウス、良かった……!」
「ノ……ノーティカ!?」
不意にあたたかな物がシリウスの身体を包み込む。一瞬遅れて、それがノーティカの大きな身体だと認識し、シリウスはひどく動揺した。
ベッドに横たわるシリウスに、ノーティカが覆い被さるようにして抱き着いてきた。
ずっしりと存在感のある身体の感触を感じてしまい、思わず全身を硬直させてしまった。
いくら婚約者とはいえ、この距離感はよろしくない。
シリウスはノーティカの身体を引き剥がそうと肩に手を触れる。そして、気が付いた。その肩が小さく震えている事に。
シリウスの胸元に顔をうずめたノーティカは、小さくしゃくり上げていた。衣服の胸元が涙でじわじわと濡れそぼる。
シリウスは宥めるように、ノーティカの肩をそっと撫でた。
「心配をかけてしまい、申し訳ありません」
「本当です……もう、このような無茶はなさらないでください」
シリウスの胸元から顔を上げたノーティカは、すんと小さく鼻をすすりながら言った。
手はシリウスの寝衣を強く握ったままだ。まるでもう二度と離すまいとするように。
泣きはらした彼女の目を見ながら、シリウスは胸の奥にじわりと熱が灯るのを感じた。
自分の身を心から案じてくれている人が居る。こんなにも取り乱して泣いてしまうほどに。
その事実が、シリウスの弱り切った心に深く沁み入った。
ノーティカは、これまであった事をシリウスに話して聞かせた。
あの事件から三日。シリウスはその間ずっと意識を失っていた。
壁に打ち付けられた背中は大きな痣になっていたが、幸い骨折などにはならなかったようだ。医師の見立てでは後遺症も残らないだろうとの事だった。
寝具に触れている背中は今もズキズキと熱を持っているが、日が立てば痛みも治まるだろう。シリウスはほっと息を吐いた。
「そうだ、ジェレミーは……! ジェレミーは無事ですか?」
圧倒的な力で拳を振るわれ、シリウスの目の前で倒れ込んだジェレミー。最後に見た彼の姿は、息も絶え絶えの様子だった。
「安心してください。ジェレミーも無事でした。彼はひどい怪我を負いながらも、あなたの危機をわたくし達に知らせてくれました。本当に……本当に素晴らしい忠臣です」
そう言ってノーティカは、背後に控えていた使用人に声をかけた。それからすぐに、使用人に身体を支えられたジェレミーが部屋に入って来る。
「殿下! お目覚めになられたのですね」
「ジェレミー! ああ……無事でよかった……」
ジェレミーはゆっくりとした足取りでシリウスの寝台に寄って来た。平気そうな顔を見せてはいるが、大きな怪我を負っているのは明白だった。
「怪我は? 歩いても大丈夫なのか?」
「実は奴に腹を殴られた時に、あばらをやられてしまったようで……不覚でした」
「お、折れたのか……!? 重傷ではないか!」
シリウスの顔がサッと青ざめる。ジェレミーは首を横に振り、スッと目を細めた。
「大事ありません、すぐ治ります。こう見えて丈夫ですので」
そう言い切るジェレミーの姿は、従者としてこれ以上ないほど頼もしく見えた。
けれどその顔はすぐに曇ってしまう。ジェレミーは僅かに俯き、唇をぎゅっと噛んだ。
「……申し訳ございません。あの時、もっと冷静になるべきでした。殿下をお守りすべき私が易々と奴に倒されてしまうなど……不甲斐ない限りです」
「何を言う! 私こそもっと上手くやるべきだった。不用意に奴を刺激してしまったせいで、お前にまで怪我をさせてしまった……本当に申し訳ない」
「殿下、頭をお上げください!」
謝罪の言葉を口にしながら頭を下げようとするシリウスを、ジェレミーが慌てて止める。
「彼と対峙したあの時……私も頭に血が上ってしまったんだ」
『彼』――それが誰を指しているかは明白だった。
ニラス。己の信じる『正しさ』に取りつかれた、歪んだ狂信者。彼の胡乱な言動の数々が、狂気に血走った目が、今もシリウスの頭に強くこびりついている。
彼は自らの作り上げた『理想の巫女姫様』という偶像を語っていた。
清らかで秩序的、欠けるところなどない、全てのものに平等な、神聖で尊い存在として崇め奉る。それはノーティカの意思や感情といった人間らしさを排除した、信仰という名の暴力だ。
それが、どうしても許せなかった。
「彼はノーティカを人として見ていなかった。私にはそれが許せなかったんです」
「シリウス……」
その時。ズキンと頭に痛みが走った。
「……っ」
先ほど意識を失っている中で見た記憶が、突然頭を掠めた。アストラ王国の王城に居た頃、異母姉に虐げられた記憶が。
ベラトリックスはシリウスを人として扱っていなかった。シリウスは彼女にとって、手酷く扱っても構わない玩具のような存在だった。
ニラスはノーティカを人として見ていなかった。ノーティカは彼にとって、自分の世界で身勝手に作り上げた神のような存在だった。
発露の仕方が真逆とはいえ、人を人として扱わない事はどちらも等しく暴力だ。
(ああ、そうか……だから私はこんなにも、ニラスに怒りを覚えたのか)
その答えは、シリウスの中にすとんと自然に降りて来た。
ベラトリックスもニラスも、他者の尊厳を著しく軽視していたのだと。
頭の中が、少しだけ晴れたような心地になった。
「ノーティカは大丈夫でしたか? 酷い事をされてはいませんか?」
「わたくしは大事ありません。シリウスが、彼をわたくしから遠ざけてくださったおかげです」
ノーティカの様子に、シリウスはほっと胸を撫でおろす。
「ジェレミーも、本当にありがとう。あなたが身を挺してくれたおかげで、わたくしもシリウスも今こうしていられるのです」
「ノーティカ殿下……身に余る光栄です」
丁寧に述べられた感謝の言葉に、ジェレミーは胸を打たれたような表情を見せた。グッと引き締められた口元は、多大な喜びを堪えている証だ。
「それで、ニラスは今……?」
「現在彼は拘留塔に居ます。沙汰が決まるまではそちらに拘禁されたままになります」
「そう……なのですね」
事件を企てた者はすでに檻の中。となれば、ホッと一安心すべきところなのだろう。だというのに、シリウスの心の中はなぜか晴れなかった。
「もしもシリウスの体調に障りがなければ、明日、裁定官が事件の聞き取りを行いたいそうですが……」
ノーティカは心配そうに眉を下げながら言った。
聖職者が他国の王族を害したという大きな事件だ。国際問題にも発展しかねないため、犯人の沙汰を早々に定めたいという意向なのだろう。
「私は大丈夫です」
そう答えた瞬間、シリウスの背中に鈍い痛みが走る。
「……っ」
息が浅くなるのを悟られないよう、シリウスはそっとシーツを握り込んだ。まだ万全ではない。けれど、事件の早期解決を願うのは彼も同じである。多少無理をしてでも聴取に臨むべきだと心に決めた。
明日、事件の関係者を集めて裁定の場を設けるという事で話が決まった。




