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船はゆっくりと港に接岸する。とても立派な港だ。建物も、停泊する船もどれも大きい――規格外に、大きい。
港には多くの人が集まっていた。他国から来た王子を一目見ようと、ビガ国の民が集まってきたのだ。誰も彼もがシリウスを歓迎するように、大きな体を揺らしながら手を振っている。
「ありがたいものだ。こんなに沢山の人々が集まってくれて」
「ええ、皆が殿下を歓迎していますよ」
「いい国だな……」
シリウスは思わず頬を緩める。
アストラ国の王城に居た頃には、こんな気持ちを味わう事はなかった。
シリウスは差し出されたタラップを一段ずつ踏みしめながら下っていく。潮風が頬を撫でる感触に目を細めながら、港に降り立った。
その瞬間、遠巻きに眺める国民たちがざわめき出した。見上げるような高さから投げかけられる視線が、四方から突き刺さる。
「小さいな……」
「ああ、それに身体も細いな。ちゃんと食べてるのか?」
「いいや、あちらの国のお方はあれが普通なんだ」
「小さいけど堂々としていらっしゃるよ。立派な王子様だねぇ」
ひそひそと語り合う民の声はしっかりと耳に届いている。なにせ声が大きいのだ。思わずシリウスは苦笑してしまう。
港に用意された馬車はとても立派で、そして規格外に大きいものだった。ステップを上るのも一苦労だ。それでもシリウスは卒なく優雅に見えるようステップを上り、立派な馬車に乗り込む。なんとか座ったはいいものの、足が床につかないほどに座席が高い。靴の先がぶらんと宙に揺れた。
「聞いてはいたが……想像以上に大きいな」
「大きいですね……何もかもが」
シリウスは圧倒されたような表情で呟く。向かいに座るジェレミーもその言葉に深く頷いた。
規格外に大きな港、大きな船、大きな馬車。
そして国民達もまた大きい。男女問わず誰もが見上げる程に大きい。幼い子どもでさえ、シリウスとほとんど変わらないほどの身長であった。
「あれがビガ族……巨人の民か」
ビガ族。それは大きな身長と頑強な体躯が特徴の民族だ。
アストラ王国の男性の中では比較的身長の高いシリウスだが、そんな彼でもビガの民の前では子どものように見えてしまう。
シリウスは馬車のカーテンの隙間からそっと外を覗いた。窓も高い位置に作り付けられているので、背筋をぐっと伸ばしてやっと外の様子が見えるほどだ。
港町から王都へとつながる門はまるで天にも届かんばかりに高い。街道沿いの住居や植えられた樹木さえも、アストラ王国の尺度からはかけ離れた大きさだった。
通り過ぎる馬車を笑顔で見守る人々はもちろん上背があるし、彼らの傍らに居る犬も超がつくほどの大型犬だ。巨大な尾が風を切るように振られている。
祖国では見た事もないような景色が次々と目に飛び込んでくるので、シリウスは思わず感嘆の息を漏らした。
「異国の地とは、こんなにも刺激的なものなのだな」
「ビガ国が殊更規格外なだけですよ」
ジェレミーは苦笑まじりに答えた。けれど主が無邪気に目を輝かせている様子を見て、どこかホッとしたような表情を浮かべていた。
――ビガ国王城、玉座の間。
シリウスは天井を見上げながら思わず息を漏らした。
視線を上げてもなお、その先が遠い。まるで空を室内に閉じ込めたようだ。
天井を支える柱はまるで塔のようである。一体何人分の力があればあのような柱をここまで運び込めるのだろう。
ビガ族の住まう城とはこんなにもスケールが大きいものなのか。
「アストラ王国第一王子、シリウス殿下よ。よくぞ参られた。早速この城を気に入ってもらえたようで何よりだ」
空気をびりびりと震わせるほどの低い声の主は、ビガ国の王、ファーレンであった。
玉座にどっかりと座り込んだその身体は、ビガ族でも随一の大きさだ。玉座に収まっているというよりも、巨体を預けているといった様子に見える。その姿はこの国を統べる者たる威厳に溢れていた。
シリウスは国王を前にしながら、壮大な王城に思わず見惚れてしまっていた。頬を赤く染めながらも、咄嗟に礼の姿勢を取る。
「申し訳ございません、陛下。あまりにも壮麗な城に思わず目を奪われておりました」
「はは、よいよい。興味を持ってもらえたなら幸いだ。貴国とは文化も風土も……何より大きさが違うであろう。難儀な事も多いと思うが、少しずつ慣れていってほしい」
「はい、お気遣いありがとうございます」
厳めしい顔つきにがっしりとした頑強な肉体のファーレン王は、ともすれば威圧感を感じてしまう存在だ。
けれどかけられる言葉はどれも優しい。他国からやって来たシリウスを気遣うような言葉に、心が解れるような感覚を覚えた。
「アストラ王国の国王は如何であろうか。ここ数年直接お目にかかる機会が無くてな」
尋ねるファーレン王の言葉に、シリウスは一瞬言葉を詰まらせる。そして少し困ったような笑みを見せながら答える。
「実のところ……国王は長患いをしており、療養に励んでおります。現在は第一王女が統治代行を務めております」
「病を得たとは聞いていたが、そうか……。数年前に国交の儀で相まみえた時は、健勝であったのだがな……」
ファーレン王は残念そうな表情を見せ、首を小さく横に振った。
「はい。ですが国王は、『自分が息災なうちに』と言って、今回の婚約を調えました」
「息子の行く末を案じてくれたのだろうな。良き父ではないか」
「ええ。こうして無事にビガ国とご縁を繋ぐ事が出来たのですから、ありがたい事です」
シリウスは病床の父の姿を思い返す。
父王は二年ほど前に臓腑を患ってから、日に日に弱っていった。第一王女のベラトリックスが立太子してからは彼女に執政のほとんどを任せ、療養を続けている。
父の私室に呼び出されたシリウスは、寝台に横たわる父の弱々しい姿に思わず顔を背けてしまう。
かつて頑強だった身体はやせ衰え、頬もげっそりとこけていた。食事の量が目に見えて減ったと父の侍従から聞かされていたが、実際にその変化を目の当たりにすると悲壮感がこみあげてくる。
「シリウス……我が息子よ。おまえには苦労ばかりかけてきたな」
「……いいえ。庶子にすぎない私を、父上は王族として迎え入れてくださったのです。感謝の気持ちしかありません」
シリウスは首を横に振りながらそう答えた。
その言葉の半分は嘘だ。
王位継承権を与えられた事で、シリウスは異母姉や王妃に疎まれるようになったのだ。ただの婚外子として王城の外で育ててくれていたら、シリウスはもう少し生きやすい人生を歩んでいただろう。
けれどそれは病に倒れ、弱り切った父にかけるべき言葉ではない。
「此度、ベラトリックスが立太子した。次期女王の立場となった事で、おまえへの当たりも弱くなると良いのだが……難しいだろうな」
「……はい」
幼い頃からシリウスに対し強い憎しみを募らせてきたベラトリックスだ。むしろ次期女王としての立場を確実にした事で、強権的にシリウスを亡き者にするかもしれない。
あるいは敢えてろくでもない婿入り先を選ぶか、逆に一生王城に閉じ込めて飼い殺しにするか。いずれにせよ良くない未来が目に見えている。
父は僅かに目を伏せた。そしてシリウスにひとつの提案を授けた。
「王としての私の立場が盤石なうちに、おまえの婚姻相手を決めておこうと思っている。ビガ国を知っているな?」
「ビガ国……巨人族の国ですか?」
「そうだ。ビガ国のファーレン王とは旧知の仲でな。あちらの第一王女との婚約を調えているところだ」
父から告げられた思いもよらぬ婚姻相手に、シリウスは驚いて目を見開いた。
「とても豊かな土地で、国力もある。国王もよく出来た人間だ。縁を繋ぐのに申し分ない相手だと思っている」
「父上……」
「私はもう長くない。父として、斯様な事しか出来なくてすまないと思っている。だがおまえの未来を案じての事だ」
「……ありがとうございます。父上の想い、しかと受け取りました」
シリウスは布団の上に投げ出された父の手にそっと触れた。幼い頃、シリウスを抱き上げて頭を撫でてくれた手。いつの間にこんなに小さくなったのだろう。
シリウスは堪らない気持ちになりながら、痩せた手を優しく握った。
「……お父様、そろそろわたくしを紹介してくださいませ」
突然、鈴の音のような愛らしい声が広大な玉座の間の隅々まで響き渡った。
シリウスは過去を顧みる思考の渦から戻り、ハッとして視線を上げた。
カツカツと床を打つ足音と共に、大きな影がゆっくりと伸びてくる。
視線を上げた先。まず目に入ったのはたっぷりとボリュームのあるドレスの裾だった。光沢感のある淡い黄色のドレスは、一目見ただけで質の良さが分かる物だ。
また視線を上向ける。ふわりと揺れる髪の毛先が見えた。陽光を紡いでそのまま織り上げたような、温かみのある淡い茶色の髪だ。
更に視線を上げる。柔らかな頬と瑞々しい唇。緑色の瞳は、春の森に差し込む木漏れ日のようにきらめいていた。
シリウスの視線はその美しい瞳に吸い込まれる。
ふと視線が交差する。その瞬間、彼女はふわりと微笑んだ。穏やかで愛らしいその顔に、シリウスの心臓がわずかに高鳴る。
「おお。待たせてすまないな。シリウス殿、我が娘ノーティカだ」
ファーレン王はシリウスの前に立つ女性に手を向ける。
ノーティカと紹介された女性は優雅に礼の姿勢を取り、口を開いた。
「ビガ国第一王女、ノーティカと申します。此度はアストラ王国とのご縁を繋ぐ事が出来、とてもうれしく存じます」
「お初にお目にかかります、ノーティカ王女殿下。アストラ王国第一王子、シリウスと申します」
シリウスは姿勢を正し、ビガ国のやり方で礼を返した。両手を重ね、腰から身体を折って頭を下げるのがビガ国式の挨拶だ。
顔を上げる。そこにあるはずの視線は、思っていたよりもずっと上にあった。
港や街中で見た他のビガ族の女性も上背があったが、ノーティカはそれ以上だ。シリウスが首を上げて仰ぎ見て、なお見上げるほどの大きさだった。頑強なファーレン王の血を色濃く感じる偉躯である。
その存在感は圧倒的だ。だが、不思議と威圧感はない。ただ目を逸らせなかった。
「わたくしの声、遠くありませんか?」
そう言ってノーティカはわずかに膝を折り、腰を屈めた。それでもなお見上げる程の高さであった。
「ノーティカ王女殿下、そのままで大丈夫です」
シリウスは柔らかに首を振り、手を差し出した。ノーティカは一瞬虚をつかれたような表情になる。わずかに躊躇い、それから導かれるようにシリウスの手の上に自らの手を乗せた。
その手のひらは、シリウスの手をすっぽりと覆う程の大きさだ。けれどシリウスは構わず、エスコートをするように彼女の指先を優しく掴んだ。
そのままそっと手を持ち上げる。それにつられてノーティカの身体もゆっくりと伸びた。
「身を屈めたままではおつらいでしょう。どうか楽な姿勢のままでお話しください」
「……はい」
シリウスを見下ろすノーティカの頬に、微かに赤みが差した。
二人の間に、春の日差しのようにあたたかな感情が芽生える。その気配に気づいたファーレン王は、満足げに微笑みながら大きく頷いていた。




