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巨人の国へ婿入りした不遇の王子は、大きな姫君と愛を育む  作者: 犬柳


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「それでは殿下、お話を伺いましょう。……ですが」


 ニラスは歩を進め、控えの間の扉を開けた。


「ここでは人目があります。互いに腹を割って話すとあらば、他人の目など無粋でしょう?」


(露骨に私と他の者を分断しようとしているな……むしろ敢えてこちらの警戒を煽っているのか? しかしここで拒んだら、彼は別行動に出るかもしれない)


 シリウスは逡巡し、やがて表情を変えぬまま頷いた。


「……そうだな、移動しよう」


 ニラスに導かれるままシリウスは控えの間を出る。

 部屋を出る直前、背後のジェレミーに視線を送った。ジェレミーは心得たとばかりに小さく頷く。


(ジェレミーはニラスに悟られない程度の距離でついてくるはず。さて……どこへ連れて行かれるのやら)


 長い長い回廊を進んで行く。こちらに歩幅を合わせる気のないニラスについて行くのには、シリウスも難儀した。途中で階段を挟み、気付けば精霊殿の最奥部に到達した。


「精霊殿のこのような場所まで来るのは初めてだ……」

「このフロアは精霊司の私室しかありませんからね。ここ、一番奥が大精霊司室となります」


 「さあ、中へどうぞ」と言いながら、ニラスは大精霊司室の扉を開いた。

 シリウスは覚悟を決めたように頷く。そして敵の懐の中へ自ら入り込んで行った。扉の外には、後からついてきたジェレミーが控えているはずだ。


 踏み込んだ大精霊司室は、非常に整然とした空間だった。

 人が生活している場というよりは、美術館の展示室に足を踏み入れたかのような静けさがある。

 壁に据え付けられた棚には、書物がきっちりと高さを揃えて並べられている。

 重厚な造りのデスクの上には羽ペンとインクがいくつも置かれていた。ペン立てに立てられた羽ペンの高さは定規で測ったかのように平行で、複数置かれたインク壺は数ミリのズレも許さないように均等に並べられている。

 ふと、ソファ脇に置かれたサイドテーブルに目を向けた。塵ひとつないそこには花瓶が置かれていた。大振りの花卉から細かくあしらった小さな花卉まで、すべて同じ方向を向くように整えられている。

 シリウスは昨晩のノーティカの話を思い返していた。「正しさにこだわってしまう」というニラスの性質を。

 正しさで揃えられた空間。シリウスは、まるで自分がそこに入り込んだ異物のような錯覚を覚えてしまう。


「どうぞ、シリウス殿下」

「ああ、ありがとう」


 ソファに座るシリウスの前にティーカップが置かれる。ニラスが手ずから淹れた紅茶だ。

 向かいに座ったニラスがカップに口を付けるのを確認してから、シリウスもカップを手に取って紅茶をひと口含んだ。


「さて、シリウス殿下。お話ししたい事とは?」

「そうだな……この際だ、腹蔵なく言ってほしい。貴殿の私への対応に少々厳しさを感じているのだが、何か納得のいかない事でもあるのだろうか」

「ふふ、では率直にお話ししましょう」


 ニラスはティーカップをゆっくりと置いた。カップの底がソーサーに触れる音だけが、静かな空間に鳴り響く。


「あなたは巫女姫様に相応しくありません」


 包み隠す事の無い言葉がニラスの口から発せられる。

 想像通りだな、とシリウスは内心呟いた。


「相応しくない……か。私の未熟さゆえにそう思われるのであれば、これより努力邁進していくほかないな」

「いいえ」


 ぴしゃりと言い放たれた否の声に、シリウスは一瞬身じろいだ。ニラスは尚も言葉を続ける。


「その必要はありません」

「何故? ノーティカと精霊殿との関係性もある。ならば婚約者である私も、精霊殿とは努めて良き関係を築いていきたいと思っているのだ」


 ノーティカの名前を出した途端、ニラスの唇の端が一瞬だけぴくりと動いた。


「私の望む事はただ一つ。巫女姫様が神聖な存在であり続ける事です」

「神聖……」

「その為にあなたは必要ない。……ですから」


 ニラスはスッと立ち上がった。ソファに座ったままのシリウスは、高い位置にある顔を見上げる。こちらを見下ろすニラスの昏い目は、シリウスを見つめているようにも、どこも見ていないようにも見えた。


「巫女姫様との婚約を取りやめていただきたい」

「……それは無理な話だ。これはビガ国とアストラ王国、二国の王が取り決めた婚姻。貴殿の私情でどうこう出来るものではない」


 ニラスの言葉はまるで道理が成っていない。『正しい事』にこだわっていながら、結局のところ己の私欲を優先している。


「私情ではありません。これは精霊様の御心なのです」

「精霊様の……?」

「精霊様は巫女姫様が神聖であられる事を望んでおります。清廉で神秘的で、汚れなど寄せ付けぬ尊き存在。それが巫女姫様のあるべき姿なのです」


 立て板に水のごとく、ニラスは巫女姫の神聖さを語る。先ほどまで昏く淀んでいたニラスの瞳が、途端に爛々と輝きだした。その異常な様子に、ぞわりと怖気が走る。


「それではまるで……精霊の巫女は人にあらずといったところではないか」

「そうですね。巫女姫様は人ではございません。尊き存在ですから」


 シリウスの非難めいた言葉など気にしていないのか、ニラスはあっさりと言う。あまりにも当然の事のように言うものだから、シリウスは思わず唖然としてしまった。


「あの方はただの人ではございません。人間は私を導いてなどくれません。正しくないもので溢れたこの世界で、巫女姫様は私に本当の正しさを示してくださいました」


ニラスはさらに言葉を続ける。


「ですがその神聖さが汚されようとしている。……矮小な、ただの人間によって」


 ニラスの視線が下へと向けられる。ビガ族の高い目線から見下ろされる圧に、シリウスは一瞬気圧されてしまう。腹の底が冷え、肌がざわりと粟立つ。けれど、ここで恐怖に呑まれてしまう訳にはいかない。

 それに――なんだか無性に腹立たしかった。


「精霊様が私をお認めにならないと貴殿は言うが……それは本当に精霊様の御言葉なのだろうか」

「……何?」

「ノーティカから聞いたよ。精霊様の声を聞く事が出来るのは精霊の巫女の素質がある者だけだと。そしてノーティカは、精霊様からそのような御言葉を賜っていないと」

「なんだと……」

「ニラス殿……貴殿は本当に、精霊様の御言葉を聞いたのか?」

「黙れ!」


 ニラスは突然激高し、拳を振り下ろす。

 拳はテーブルを打ち、紅茶の入ったティーカップがガシャンと大きな音を立てて倒れた。


「……っ!」


 突如として豹変したニラスの様子に、シリウスは思わず身を竦めた。心臓がバクバクと大きな音を立てる。

 自分よりも遥かに大きな身体から繰り出される暴力的な行為に、シリウスは圧倒的な恐怖を感じた。


「殿下! シリウス殿下! ご無事ですか!?」


 大精霊司室の扉が外から叩かれる。ジェレミーの声だ。室内の様子が外にも聞こえていたのだろう。


「あなたの従者ですか」

「……すまない。私の事が心配で、様子を見に来てくれたのだろう」


 シリウスは必死で思考を巡らせる。

 今のニラスはひどく頭に血が上っているようだ。ジェレミーの存在がニラスを更に刺激してしまうかもしれない。遠ざけるべきか、いやしかし……。

 悩んでいる間にも、ニラスは扉の方へと歩を進めて行った。そして扉をわずかに開く。


「……何か?」

「ニラス大精霊司……貴様、殿下に何をした?」


 ジェレミーは憎悪に歪んだ顔でニラスを睨みつけた。ニラスの目に宿る光が不穏なものになる。


(まずい……刺激するな)


「ジェレミー、私は大丈夫だ。少し声が大きくなってしまっただけで……」


 宥めるように声をかけるが、ジェレミーは開いた扉の隙間からするりと室内に入り込んで来た。


「殿下!」


 ジェレミーがシリウスの元へ駆け寄る。――けれど、背後から伸びる手が、それを許さなかった。

 ニラスの手がジェレミーの服の襟元を掴む。そのまま自身の元へ引き寄せるように、勢いよく引っ張った。


「ぐ……ッ!?」

「ジェレミー!」


 ジェレミーの身体はいとも簡単にニラスの懐に収まった。ニラスはその大きな身体でジェレミーを背後から押さえ込み、首元を腕で締め上げた。ジェレミーは苦しそうに呻く。


「まったく……躾のなっていない飼い犬だ。実に正しくない」

「ニ……ニラス殿、私の従者が申し訳ない。どうか彼を解放してもらえないだろうか、この通りだ」


 シリウスは深々と頭を下げて許しを請う。知らず知らずのうちに、額に汗が滲んでいた。


「いいでしょう。まだ話の途中でしたからね。ですが……」


 そこで言葉を切ると、ニラスは突然ジェレミーの腹に拳を叩き込んだ。


「かは……っ!」


 ジェレミーの身体が、くの字に折れ曲がる。そのまま支えをなくした彼の身体は、柔らかな絨毯の上に崩れ落ちた。


「なっ……、ジェレミー!?」

「やかましい飼い犬に吠えられては敵わない。ここでは落ち着いて話せませんね。静かな場所へ参りましょう」


 ニラスはそう言って、ジェレミーをその場に放って部屋の奥へ歩を進めた。

 床に倒れ込んだジェレミーはぐったりとした様子で目を閉じている。開いた口の端から胃液とも唾液ともつかないものが零れていた。

 シリウスは慌ててジェレミーの元へ駆け寄る。


「ジェレミー! 無事か!?」

「殿……下……」


 ジェレミーの口から掠れた声が漏れ出る。なんとか意識は保っているようだが、呼吸はひどくか細い。

 目の前でいとも容易く振るわれた暴力に、シリウスの足が竦んでしまう。今すぐジェレミーを連れて逃げなければ。そう思うのに、足の震えが止まらない。

 シリウスの脳裏に浮かぶのは、祖国で異母姉から受けた蛮行の数々だ。扇で頬を叩かれた衝撃、戯れのように乗馬鞭を振るわれた痛み……。思い出すたびに呼吸が上手く出来なくなってしまう。


「シリウス殿下、何をもたもたしているのですか?」

「う……っ」


 ニラスは床にへたり込むシリウスの腕を無理矢理引き上げる。そのまま腕を引っ張られ、震えの止まらない足で歩かされた。

 入口から向かって正面の壁には、両開きの扉が据え付けられていた。その扉を開くと真っ白な石で作られた彫像が現れる。

 彫像は女神のように美しい女性の形をしていた。おそらく精霊を象った像なのだろう。だが純白の精霊像の顔には、赤黒い汚れがべっとりと付着していた。

 血だ。それに気付いた瞬間、シリウスは息を呑んだ。

 けれどニラスはそんな事など気にも留めない様子で、精霊像の足元にしゃがみ込む。精霊像の足元にはレバーのような物が隠されていた。ニラスはレバーをグッと引く。


「これは……」


 シリウスは目を見開く。ゴゴゴ……という重い音と共に精霊像の台座が後方に動き、その場所に階段が現れたのだ。

 ニラスは再びシリウスの腕を強く引いた。そしてそのまま隠し階段を下りていく。足がもつれないようについて行くのが精一杯だった。


(まずい、このままどこへ連れ去られるのか……でも)


 瞼をぎゅっと閉じれば、ノーティカの顔が浮かぶ。


(これで、儀式が終わるまでの時間は稼げたはず……)


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