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女王陛下の夫選び  作者: 宗像 凪


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8/11

第7話:対等の条件

 祝典四日目。今日は議会がある。


 建国記念祭の一環として毎年開かれる臨時議会だ。通常は形式的な行事で、各領主が領内の報告を行い、国王が追認するだけの儀式に過ぎない。少なくとも、ここ数年はそうだったらしい。

 だが今年は違った。即位したばかりの女王を値踏みしようと、各領主が手ぐすね引いているのが目に見えるようだった。


 朝の執務室で、レオンハルトが議事次第を読み上げた。


「本日の議題は六件。そのうち注目すべきは第四議題、グリューネヴァルト侯爵の東部税制改革案です」

「ディートリヒ殿の?」

「はい。事前に提出された改革案を精読しておいてください。陛下が壇上で恥をかくことのないよう」


 いつも通りの辛辣さだった。けれど最近、この男の言葉の棘に慣れてきている自分がいる。いちいち傷つく余裕がなくなっただけかもしれないが。


 レオンハルトが差し出した書類の束を受け取った。ディートリヒの改革案は二十頁に及ぶ。議会まであと三時間。厳しいが、読めない量ではない。

 執務室の椅子に深く腰を下ろし、一頁目を開いた。


    ◇


 議場は王宮の西棟にある半円形の広間で、階段状に並んだ席に各領主や高位貴族が座る。壇上には女王の玉座が据えられ、その隣にレオンハルトが控えていた。

 改革案は朝の三時間で二度読んだ。数字は頭に入っている。問題は、それをこの場で使いこなせるかどうかだ。


 最初の三議題は予想通り形式的なもので、滞りなく終わった。


 第四議題。ディートリヒが壇上に立った。

 赤銅色の髪を短く刈り上げた長身の男。実用的な軍服に近い装いで、宮廷では浮いている。けれどこの場に立つと、不思議な存在感がある。領地経営で日に焼けた肌と、真っ直ぐにこちらを見据える焦茶色の目が、この男の言葉に嘘がないことを物語っている。


「東部の税制改革案について、ご説明いたします」


 ディートリヒの声は議場によく通った。

 改革案の骨子はこうだ。東部地域の産業基盤を強化するため、鉱業と製造業に対する税率を五年間引き下げる。同時に、商業路の整備に国庫から投資を行い、東部と王都を結ぶ物流を改善する。雇用の創出と税収の長期的な拡大が見込める、というのがディートリヒの主張だった。


 論理的だった。数字も整っている。各項目が相互に連関していて、改革案としての完成度は高い。議場の貴族たちも、感心した表情を隠そうとしない者がいた。


 レオンハルトが隣で小さく頷いた。「よくできた案です」と言いたげな顔だ。この男が認めるということは、この改革案に致命的な欠陥はないのだろう。


(……けれど、ちょっと引っかかるのよね)


 朝の三時間で、私は別のことに気づいていた。


「グリューネヴァルト侯爵」


 ディートリヒの説明が終わり、質疑の時間に入った途端、私は声を上げた。議場が静まった。隣のレオンハルトが、わずかに眉を動かした。


「改革案を拝読いたしました。全体の構成は見事だと思います」

「恐縮です、陛下」


 ディートリヒが一礼した。その目に警戒や不満の色はない。むしろ、私が何を言うのかに純粋な興味を持っている顔だ。


「ただ、一点お伺いしたいことがあります。第三項の産業税優遇と、第七項の移住制限緩和。この二つを合わせて読むと、ある問題が浮かび上がるように見えるのですが」


 ディートリヒの表情が変わった。警戒ではなく、集中。政策の議論に臨む者の目だ。


「第三項で東部の鉱業・製造業に税優遇を設ければ、当然雇用が増えます。それ自体は良い。しかし第七項で移住制限を緩和すれば、東部の求人に応じて他地域から労働力が流入する。特に南部の農村部から若い労働者が流れることは、容易に予測できます」


 私は手元の紙を広げた。朝の執務室で、ディートリヒの改革案の数字を基に自分で検算した一覧だ。


「南部農村の現在の労働人口と、東部の税優遇による雇用創出数を突き合わせて試算しました。第三項と第七項を同時に施行した場合、五年後の南部農村部の労働人口は現行比で約二割減少します」


 議場にざわめきが走った。

 南部農村は王国の穀倉地帯だ。そこの労働力が二割減れば、食糧生産に深刻な影響が出る。東部を栄えさせるために、南部が痩せる。


「つまり、この改革案は東部を活性化する代償として、南部農村の衰退を招く構造になっています。個々の項目は優れていますが、全体を通して読むと、項目間の相互作用が考慮されていない」


 静寂が降りた。

 ディートリヒが壇上で腕を組んだまま、しばらく黙っていた。議場の誰もが、彼の反応を待っている。


(怒るかしら? それとも理詰めで反論する?)


 私の予想は外れた。

 ディートリヒは、笑った。とても嬉しそうに。


「陛下。まさか一晩であの改革案を全項検算なさったのですか」

「……三時間です。読むのは得意ですから」


 議場がまたざわついた。今度は驚きの色が混じっている。

 ディートリヒは笑みを崩さないまま、頭を下げた。


「ご指摘の通りです。第三項と第七項の相互作用は、私の想定が甘かった。南部への影響を織り込んだ修正案を、改めて提出させていただきたい」


 潔い男だった。自分の案の欠陥を指摘されて、言い訳も弁解もしない。ただ認めて、修正すると言う。これができる人間は、そう多くない。


 議場の空気が変わっていた。

 さっきまで「末の姫に何ができる」という目で私を見ていた貴族たちの中に、わずかだが別の表情が混じり始めている。ほんの少しだけ、値踏みの色が薄れ、関心の色が濃くなった。


    ◇


 議会が散会した後、廊下でディートリヒに声をかけられた。


「陛下、少しお時間をいただけますか」


 並んで中庭を歩いた。ディートリヒは背が高いので、隣を歩くと見上げる形になる。レオンハルトも長身だが、あちらは圧迫感がある。ディートリヒの場合は、大きな木の傍にいるような安心感だった。


「改革案の修正は今夜中に終わらせます。陛下の指摘を反映させた上で、南部農村への移行期間の設定と、段階的な制限緩和を盛り込みます」


 もう修正の方向性が見えている。仕事が速い男だ。


「ディートリヒ殿」

「はい」

「先ほどは議場であのような指摘をして、失礼ではなかったでしょうか。あなたの改革案を否定するつもりは」

「否定されたとは思っていません」


 ディートリヒは立ち止まった。真っ直ぐに私を見下ろして言った。


「陛下、政策の議論に遠慮は要りません。指摘されて崩れる程度の案なら、最初から出す価値がない。むしろ、ああいう場で数字を根拠にして論じてくださる方がいることが、どれほどありがたいか」


 少し間を置いて、ディートリヒは付け加えた。


「それに、気づきましたか。あの議場で数字に基づく質問をしたのは、陛下だけですよ。他の連中は反論すらできなかった。怖かったのでしょう、自分の無知が露呈するのが」


 そう言って、少し意地悪く笑った。この男にもこういう顔があるのか。


「陛下」


 ディートリヒの声が、少し柔らかくなった。


「思ったことがあるのですが、率直に言ってもよろしいですか」

「あなたは最初から、率直な方だったと思いますが」

「それもそうですね」


 ディートリヒは苦笑した。


「陛下は、ご自身で思っておられる以上に政治がお好きなのではないでしょうか」


 不意を突かれた。

 政治が好き。そんなこと、考えたこともなかった。望んで玉座に座ったわけではない。レオンハルトに叩き込まれ、書類の山に埋もれ、毎日泣きそうになりながらこなしているだけだ。


(これまで、政治は私に押しつけられたものだとばかり思っていたわ。だけど……)


 あの三時間を思い出す。ディートリヒの改革案を読みながら、数字の整合性を確認し、項目間の矛盾を見つけた時の、あの高揚感。パズルのピースが嵌まっていく感覚。本を読んでいる時と同じ、いや、それ以上の集中と充足。


「好きだなんて思ったことは」


 言いかけて、止まった。嘘はつきたくない。


「……いいえ、わかりません。でも、今日の議会は、少し楽しかったかもしれません」


 ディートリヒは満足そうに頷いた。


「それでいいんです。楽しいと思える分野がある国王は強い。義務だけで動く統治者は、いずれ折れる」


 中庭の噴水が、午後の日差しに輝いていた。水しぶきが風に運ばれて、かすかに頬を撫でた。


「陛下。私は王配の座が欲しいと、最初から申し上げています。それは今も変わりません。ただ、理由を少し訂正させてください」


 ディートリヒが、珍しく言葉を選んでいる。


「最初は、この国にとって最善だと思ったから名乗りました。今は、この国にとって最善であると同時に、あなたの隣で政を論じることが自分にとっても望ましいと思っています。今日の議場で、それを確信しました」


 告白、とは違う。求婚、とも違う。対等なものとして認めた上での、率直な意思表明。

 この男らしい、と思った。甘い言葉は一切ない。けれど、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。


「ご期待に添えるかどうかはわかりませんが、お気持ちは受け止めておきます」

「それで十分です」


 ディートリヒは一礼して去っていった。その足取りに迷いはなく、言うべきことを言い終えた者の清々しさがあった。


    ◇


 自室に戻ると、机の上にいつものハーブティーと、もうひとつ、見覚えのない書類が置かれていた。

 ディートリヒの改革案の修正版だった。もう出来上がっている。議会が終わってまだ数時間だというのに。


 書類を広げた。

 午前中に指摘した南部農村への影響が、きちんと反映されている。移住制限の段階的緩和。南部への農業振興予算の並行投入。東部と南部の人材交流制度。私の指摘を受けて、むしろ元の案よりも良いものに仕上がっている。


 数字を追いながら、感心している自分がいた。

 ディートリヒは私の指摘を「攻撃」ではなく「改善の素材」として受け止めた。だから、こんなに速く修正できた。これが対等のやり取りというものか。


 ハーブティーを一口飲んだ。今日はミントの清涼感がある。頭を冴えさせる効用があると、フェリクスなら言うだろう。

 書類の量は今日も微妙に少ない。誰かが調整している。


 ペンを取り、修正案の余白に自分の意見を書き込み始めた。

 第二項の商業路整備の予算配分に、もう少し効率的な案がある。六十年前の街道拡張工事の記録が図書室にあったはずだ。あの時の工期と費用の比率は、今回の参考になる。

 気がつけば、蝋燭に火を灯す時間になっていた。


 ふと、ディートリヒの言葉が蘇った。


『政治がお好きなのではないでしょうか』


 好き。その言葉を、頭の中で転がしてみた。

 好きかどうかはわからない。でも、数字が噛み合った時の手応えは嫌いではない。書類の向こうに民の暮らしが見えた時、胸の奥が熱くなるのも嫌いではない。


(それを「好き」と呼ぶのかしら?)


 蝋燭の火が揺れた。開けた窓から、夜の庭の匂いが流れ込んでくる。

 明日は祝典五日目。あと二日で建国記念祭は終わる。

 祝典が終われば、本格的な統治が始まる。もう「即位したばかりの新米女王」という言い訳は使えない。


 怖い。でも、三日前より少しだけ、怖さの質が変わっている気がする。

 何もできない恐怖ではなく、まだ足りない自分への焦り。それは前に進んでいる証だと、信じたい。


 ディートリヒの修正案に最後の意見を書き終え、ペンを置いた。指先がインクで汚れてしまっている。侍女に温かい手拭きでも頼もうか。

 もう一口、ミントのお茶を飲んだ。冴えた清涼感が、喉を通り抜けていった。

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