第16話:事故の真相
レオンハルトの調査は、二日で結果を出した。
「陛下、重大なご報告があります。お覚悟ください」
執務室の扉を閉めた時のレオンハルトの表情は、いつもの無表情ではなかった。鋼色の瞳の奥に、怒りがあった。静かな、しかし深い怒り。この男がこれほどあからさまに感情を見せるのは、初めてだった。
「兄君方の馬車事故について、二つの物証が出ました」
レオンハルトが卓上に並べた資料を見た。
一つ目。事故現場から回収された遺留品の中に、シュヴァルツェン家の徽章が刻まれたカフスボタンがあった。小さなものだったこともあり事故当時の混乱で他の残骸に紛れて保管されていたが、レオンハルトの再調査で発見された。
二つ目。事故当日、現場付近でシュヴァルツェン家の使用人が目撃されていたという証言。当時は取り上げられなかったが、レオンハルトが地元の村を訪ね歩いて、証人を見つけ出した。
「シュヴァルツェン家の徽章入りのカフスボタンを、兄君方や側仕えの者が持ち歩くはずがありません。使用人の証言と合わせると、事故の日にシュヴァルツェン家の人間が現場にいたことになります」
書類を持つ手が震えた。
「お兄様たちの事故は……事故ではなかった、ということですか」
「まだ断定はできません。ですが、すべてがシュヴァルツェン家を指し示しています。そして──クリストフ殿はこの計画を事前に知っていた可能性がある」
初恋の人が、兄たちを殺した。
その言葉が、頭の中で何度も反響した。
兄たちの顔が浮かんだ。笑っている顔。私を抱き上げている顔。図書室で一緒に本を読んでいる顔。
「レオンハルト殿……これは、何を意味するの」
自分でも驚くほど、静かな声だった。
「陛下、この件は私に任せてください。証拠を完全に固めます」
レオンハルトの表情が激しく動いた。この男が、私のために怒っている。冷徹で合理的で、感情を見せない男が、兄たちの死の真相に触れて怒りを隠せなくなっている。
「……ありがとう、レオンハルト殿」
「礼には及びません」
いつもの台詞。けれど今日だけは、声が硬かった。
◇
レオンハルトが去った後、私は図書室に向かった。
兄たちが使っていた書架がある。王太子だったルートヴィヒ兄様は科学書を好み、第二王子のハインリヒ兄様は歴史書を、第三王子のフリードリヒ兄様は詩集を集めていた。三人の蔵書は今も整理されないまま、図書室の一角に並んでいる。
ハインリヒ兄様の蔵書の背表紙を指でなぞった。『ヴァイスブルク戦史概論』『王国法制度史』──真面目な兄だった。幼い私を膝に乗せて、「この国の法律は面白いんだぞ」と教えてくれた。当時の私には難解で面白くはなかったが、兄の声を聞いているのは好きだった。
フリードリヒ兄様の詩集を一冊引き抜いた。ページをめくると、余白に兄の字で書き込みがある。
──この節の韻律は素晴らしい。妹に読ませてやりたい。
涙が零れた。
私が図書室で一人本を読んでいたのは、兄たちの影響だった。兄たちが本を好み、私に読むことを教えてくれた。あの時間が、今の私を作った。
そしてその兄たちは、事故ではなく、殺されたのかもしれない。
蔵書を胸に抱いて、しばらく動けなかった。
◇
薬草園に足が向いたのは、自然なことだった。
フェリクスは畝に水をやっていた。私の顔を見て、何も聞かずに隣の石段に座るよう促した。
「フェリクスお兄様」
「ん」
「お兄様たちのこと、覚えていますか」
フェリクスの手が止まった。如雨露をゆっくりと地面に置いた。
「もちろん覚えているよ。王宮の薬草園に僕専用のスペースを作ってくれたのはルートヴィヒ殿なんだ。それを知ったハインリヒ殿は、僕に植物図鑑をくれた。『フェリクスの好きそうな本だ』って。そしてフリードリヒ殿は、珍しい薬草の苗をくれた。『フェリクスなら育てられるだろう』って」
「知らなかった」
「三人とも、僕みたいな変わり者を面白がってくれていた。……いい人たちだった」
フェリクスの声が、少し低くなった。
「あの時、僕は何もできなかった。薬師だと言いながら、誰も救えなかった。あの後、僕は本気で薬学を学ぼうと決めた。次こそは誰かを救えるように、って」
毒殺未遂の夜。フェリクスは断崖で薬草を探してくれた。あの行動力の根にあったのは、兄たちを救えなかった悔恨だったのか。
「フェリクスお兄様が私を守ってくれたのは、お兄様たちの分も……ってこと?」
「そうかもしれない。よくわからない。ただ、あの夜は体が勝手に動いた」
しばらく無言で並んで座っていた。秋の終わりの風が、薬草の香りを運んでくる。
「フェリクスお兄様」
「ん」
「ハインリヒお兄様とフリードリヒお兄様の事故は、事故ではなかったかもしれない」
フェリクスの横顔が、強張った。
「……そうか」
それだけ言って、フェリクスは再び如雨露を手に取った。手が、かすかに震えていた。
◇
夜、執務室に戻った私は、引き出しからあのメモの切れ端を取り出した。
──契約──履行──期限──
クリストフが落としたメモ。ずっと引き出しの奥にしまっていた。
翌朝、私はディートリヒを呼んだ。
「ディートリヒ殿。以前お渡しした、ホルツマン商会の帳簿の写しはまだお持ちですか」
「ええ。部屋に保管してあります。何か」
「この紙を、帳簿と照合してほしいのです」
メモの切れ端を差し出した。ディートリヒは一目見て、目を細めた。
「これは……」
「クリストフ殿が落としたものです。以前、執務室の椅子の下に」
ディートリヒは頷き、メモを受け取って去っていった。
結果が出たのは、その日の夕方だった。
「陛下。一致しました」
ディートリヒが帳簿の写しとメモを並べて見せた。
「まず紙質。このメモに使われている紙は、ホルツマン商会が契約書に使用する高級紙と同じロットのものです。透かし模様が一致しています」
指先が冷たくなった。
「次に筆跡。メモの文字と、帳簿に記載されたシュヴァルツェン家側の署名を比較しました。筆圧と筆線の癖、特に『契約』──"contractus"の文字のつなげ方が酷似しています。同一人物が書いたものと考えて差し支えないでしょう」
「そして、決定的なのはこちらです」
ディートリヒが帳簿の特定の頁を開いた。
「メモに書かれた『期限』の日付が読み取れました。端の方にわずかに数字が残っています。その日付は、穀物寄贈の申し出のあった三日前です」
穀物寄贈の、三日前。
「つまり、寄贈が『契約の履行』だったということですか」
「はい。クレールモン側からの資金で小麦を買い占め、それをシュヴァルツェン家の備蓄と偽って寄贈する。その手順と期限が、このメモに書かれていた可能性が極めて高い」
穀物寄贈は善意ではなかった。
自作自演だったのだ。
自分たちで問題を作り、自分たちで解決して見せ、民の感謝と宮廷の評価を手に入れた。
あの日、パンの値段が下がったことは嬉しかった。母親が子どもにパンを丸ごと渡せるようになったことを喜んだ。
その裏で、パンを奪ったのも同じ人間だったのか。
「ディートリヒ殿」
「はい」
「この証拠は、王配選定の儀まで厳重に保管してください」
ディートリヒは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに理解した。
「……選定の儀で、公開されるおつもりですか」
「まだ、わかりません。でも、その時が来たら使えるようにしておきたい」
ディートリヒは深く頷いた。
「承知しました。レオンハルト殿の調査結果と合わせて、証拠一式を整理しておきます」
◇
ディートリヒが去った後、一人で窓の外を眺めた。
デビュタントの夜。震える私に手を差し伸べてくれた少年。「大丈夫ですよ、アイリス様」と微笑んでくれた翡翠の瞳。
あの笑顔は、嘘だったのだろうか。
あのハンカチは。あの温もりは。すべて計算だったのだろうか。
「レオンハルト。あなたは、最初から知っていたの? クリストフ殿のことを疑っていたの?」
先ほど聞けなかった問いを、空の部屋で呟いた。
レオンハルトの声が聞こえた気がした。
あの無表情の奥にある、静かな怒りを帯びた声。
──すべてが終わった後に、お答えします。
答えは、まだもらえない。
けれど、もうすぐだ。
半年の期限が、迫っている。
王配を選ばなければならない。そして、その前に──真実を明らかにしなければならない。
ハーブティーのカップに手を伸ばした。今夜の香りは、兄たちが好きだった花の香りに似ていた。
偶然だろうか。それとも、この淹れ主は私の心を読んでいるのだろうか。
一口飲んで、涙を拭いた。
明日から、最後の戦いが始まる。




