第2話 その言葉、どういう意味ですか?
野盗が去ったあとも、村のざわめきはしばらく収まらなかった。
「アオイくん、すごいじゃないか!」
「いや、だから違いますって」
「さっきの一言で形勢が逆転したんだぞ!」
囲まれて、逃げ場がない。
褒められているはずなのに、なぜか責められている気分になるのはどうしてだろう。
「ほらほら、こっち来て!」
リナに腕を引かれて、半ば強引に輪の外へ連れ出される。助かった。
「ありがと」
「どういたしまして! ……っていうかさ、ほんと何なの? あれ」
「僕が聞きたい」
「えー……でもさ、結果的にうまくいったじゃん」
「うん、それはよかったけど」
「じゃあいいじゃん!」
いいのかな。
よくない気がするのは、たぶん僕だけだ。
視線を感じて振り向くと、あの白い外套――ミラが、少し離れた場所でこちらを見ていた。相変わらず落ち着いていて、さっきの騒ぎが嘘みたいだ。
目が合うと、彼女はすっと近づいてくる。
「少し、話せるかしら」
「僕にですか」
「ええ。あなた以外に用はないもの」
さらっと言うけど、それはそれで困る。
リナが横でじっとミラを見ていた。
「ねえ、誰この人」
「ミラさん、だそうです」
「ふーん……なんか、変な人だね」
「否定はしないわ」
本人があっさり認めた。
「でも、あなたたちも十分に変わっているわよ」
さらっと言い返されて、リナがむっとする。
「どこが!」
「言葉と意味の距離が、普通じゃない」
よくわからない。
でも、リナはなぜか言い返せずに黙り込んだ。
ミラはそのまま僕の方へ向き直る。
「さっきの発言、もう一度いいかしら」
「『前に出すぎないほうがいい』ってやつですか」
「ええ。それ」
別に隠すことでもないので、もう一度そのまま言う。
「守るなら、前に出すぎないほうがいいと思っただけです。隙ができますし」
「隙、ね」
ミラは小さく繰り返して、少しだけ目を細めた。
「あなたは、それを“ただの状況判断”として言ったのよね」
「はい」
「では、もし相手がそれを“戦術の核心”として受け取ったら?」
「……さっきみたいに?」
「ええ」
少し考える。
でも答えは簡単だ。
「それは、その人の受け取り方だと思います」
「そう」
ミラは、なぜか楽しそうに笑った。
「やっぱり面白いわね、あなた」
面白がられている。
「僕は普通に話してるだけなんですけど」
「ええ、知ってる」
あっさり肯定された。
「だからこそ価値があるのよ」
「価値?」
「普通の言葉が、普通じゃない意味になる。そのズレが、ね」
ズレ。
それは、たしかに感じている。
「でも、それって僕が何かしてるわけじゃなくて」
「ええ、あなたは何もしていない」
きっぱり言い切られた。
「じゃあ――」
問題ないじゃないですか、と言おうとしたけれど、ミラは続ける。
「だから厄介なのよ」
その一言で、少しだけ背筋が冷えた。
「厄介?」
「あなたの言葉は、あなたの手を離れて動く」
意味が、すぐには入ってこない。
「さっきもそうでしょう?」
「……まあ」
「あなたは“守るために前に出るな”と言ったつもり。でも、あの人たちは“守りの本質を見抜いた”と受け取った」
村長の顔が浮かぶ。
確かに、そんな感じだった。
「それが広がったらどうなると思う?」
問いかけられて、少しだけ考える。
「……同じように受け取る人が増える?」
「ええ。そして、その意味はどんどん膨らむ」
ミラは、指先で空中に何かを描くように動かした。
「やがて、“ただの言葉”だったものが、“絶対の意味”になる」
「そんな大げさな」
思わず笑ってしまう。
でもミラは笑わない。
「本当に?」
その一言で、笑いが止まった。
「だって、さっきのだって」
「さっきは、ただの村よ」
静かに言う。
「もっと大きな場所で、もっと多くの人が、同じように受け取ったら?」
答えに詰まる。
考えたこともなかった。
「……そんなこと、起きませんよ」
「もう起きてるわ」
ミラは軽く肩をすくめた。
「少なくとも、この村ではね」
その通りだ。
現に今、僕は理由もわからないまま持ち上げられている。
「でも、それって……」
止めればいいんじゃないか、と思う。
違うと言えばいい。
「じゃあ今、みんなに“違う”って説明できる?」
「それは……」
できなくはない。
でも、さっきから何度も言っているのに、誰も納得してくれない。
ミラはそれを見透かしたように言う。
「言葉はね、一度意味を持つと、簡単には戻らないの」
その言い方は、どこか確信に満ちていた。
「……詳しいんですね」
「仕事みたいなものよ」
さらっと言う。
「さっきも言ったでしょう。言葉を集める者だって」
「それ、どういう意味ですか」
「今はまだ、説明しないほうがいいわね」
またそれだ。
ミラは一歩だけ近づいてきた。
「ひとつだけ、聞かせて」
「はい?」
「あなた、自分の言葉が怖いと思ったことはある?」
思わず、言葉に詰まる。
怖い、というのは。
考えたことがなかった。
けれど――
さっきのことを思い出す。
あの一言で、人の動きが変わって、状況が変わった。
もし、あれが違う方向に転んでいたら。
「……少しだけ、あります」
正直に答えると、ミラは満足そうにうなずいた。
「いいわ。それなら大丈夫」
「何がですか」
「まだ、引き返せるから」
その言葉の意味を聞き返す前に、広場の方からまた声が上がった。
「おい、アオイくん!」
村長だ。
さっきよりもずっと明るい顔で、手を振っている。
「ちょっと来てくれ! 相談がある!」
嫌な予感しかしない。
「ほら、呼ばれてるよ」
リナが楽しそうに背中を押してくる。
「行きたくない」
「なんで!?」
「なんかまた変なことになる気がする」
「もうなってるよ!」
それはそうだ。
仕方なく歩き出すと、ミラが横に並んだ。
「逃げないのね」
「逃げても無駄そうなので」
「賢い判断よ」
褒められている気がしない。
村長の前に着くと、彼は深くうなずいた。
「アオイくん、さっそくなんだがな」
「はい……」
「さっきの“守りの本質”について、もう少し教えてくれんか」
やっぱりこうなる。
周りには、さっきより多くの人が集まっていた。
期待の目で、こちらを見ている。
逃げ場は、ない。
「……そんな大したことじゃないですけど」
そう前置きして、口を開く。
ただ思ったことを、そのまま言うだけだ。
それなのに、なぜか胸の奥が少しだけざわついた。
――この言葉も、またどこかに行ってしまうのだろうか。
そんな予感だけが、はっきりしていた。
言葉は、言った瞬間に手を離れていくのかもしれません。
次は、その“離れていった言葉”を、誰かがどう使おうとするのか。
少しだけ、方向が変わり始めます。




