46話 玩具箱
ノルベルト元参謀大佐がある噂を聞いたのは局長に就任して間もない時の事であった。その内容は『ルネサンス』という過去に名を馳せた宿屋が再開したらしい、というもの。
部下といっても戦争を共にした同志とは違う、ダンジョン局に元から務めていた局員達だ。
自分たち異動組とは違うこの街の出身である彼らは、穴場の酒場や娼館を嬉々として教えてくれる。
そんな田舎特有の濃い情報網と男所帯特有の下品さを兼ね備えた彼らに、ノルベルトは少なからず好感を抱いていた。
対してそんな彼らの情報網によると『ルネサンス』への感情は決して芳しくない。直接的に言うなら気に食わないらしい。
過去の名声に縋り高い金を要求する不遜な宿屋。それが長たらしい悪評の要約だ。
だが悪評の是非に問わずダンジョン区域内の商業施設はダンジョン局の管轄に含まれる。そうなると気に入る気に入らないに関わらず、一度は目を通しておく責任が発生するのだ。
しかし同時に発生したのは誰が調査に行くかの押し付け合い。ただでさえ仕事が立て込んでいる以上、そんなつまらないことに時間を取られている暇はない。
ノルベルトは書類の山が三つほど立てられている机に向かいながら、溜息をついた。
深夜まで続いた仕事にようやくケリをつけ、時計を見れば日付の変更時刻が差し迫っていた。
ノルベルトは重苦しい軍の規定制服である外套を乱雑に羽織り、職場を後にする。
革靴の硬い音が無音の灯の少ない通りに反響した。
向かう先は噂の『ルネサンス』。
開店時間が遅すぎることを理由に局員たちは誰一人として足を運ぼうとしなかった宿だ。
ならば統括責任者である自分が見てくるしかない。
────そう思ったのが半分。
残り半分は、そこまで評判の悪い宿がどんなものか少し興味があった。
『常時最悪に備えよ』とは戦の常識でもあるが、己のこれは半ば性癖に近いものなのだろう。
出歯亀精神に似た心持ちのまま、宿屋のある住所まで歩を進めた。
着いた頃には、宿屋の入り口らしき場所に男が一人立っていた。『open』と描かれた看板を翻し、軽く入り口の清掃を行っている。
「こんばんは、ボーイ。宿屋ルネサンスはこちらで合っているかな?」
ノルベルトの声に反応した男は持っていた掃除用具をピタリと止め、ゆっくりと視線を寄越した。入り口の光に照らされた彼の服装は、貴族の礼装を簡略化したような見慣れない様式であった。ここらの出身ではないことが伺える。
「……ルネサンスはここです」
看板を軽く指で叩き、青年は眉尻を下げた。
「ですが一般客室は全部屋埋まっていまして。スイートルームしかご案内出来ないのです」
「すいーと?」
聞き慣れない言葉に聞き返すと青年は一拍置き、あぁと何かに気付いた。
「"Sweet"ではなく"Suite"。一揃いという意味です。ちなみに俺が今着てる服もスーツと言って同じ意味が由来になっています」
カジュアルな礼装の名は"スーツ"と言うらしい。全体的には貴族的な形式だったものでもあるが、あくまで装飾らしきものは首元に巻かれているスカーフの様なもののみ。しかしシルエットが見栄えする形で作られているのか、スラリと伸びた長身が見窄らしさを全く感じさせなかった。
現在の軍学校に取り入れても良いかもしれない、と頭の隅に留めておく。
「スイートルームは一揃い、つまり複数の部屋が連結している客室を指します。客室の中でグレードは最上位です」
「へぇ、初めて耳にしたよ。この宿屋は珍しいシステムを採用しているんだな」
その言葉に青年は持っていた箒に顎を預け、何かブツブツと思案し出した。
聞き取りづらいが、この世界にはプライベートルームも珍しいのか、と一人言を呟いている様だ。初めて聞く単語にノルベルトはますます興味を示す。
今にも仕舞われそうになっている看板を盗み見ると、確かに価格帯はそう安くはない。しかしここで思い切った買い物が出来るのが国務めの数少ない強みだ。
ノルベルトは笑みを浮かべ、一歩照明の照らす入り口に歩み寄る。
「その部屋を一晩借りたい」
「え」
「なんなら前払いでも良い。件の『スイートルーム』を一部屋頼むよ」
てっきり断られると思っていたのか、素面の声が深夜の通りに反響した。男は何処か気まずそうにしながら、また後頭部を摩る。
「僭越ながら受付では身分証をご提示願いますが」
「ははは!踏み倒そうなんて思っていないさ!……ほら、これで良いかな?」
差し出された身分証には大剣を背負う鷲のマークが記されており、その上には彼の軍位と名前が記されていた。枠には銀箔の囲いが施され、国からの正式な発行を見せつけるかの様に光を反射する。
「……失礼致しました。ご案内致します」
扉の看板を裏返し、青年はゆっくりと一礼した。それから彼は重苦しい扉に手をかけ、ゆっくりと開いていく。
最初に目に入ったのは太陽と見間違う様な豪華な灯火であった。ノルベルトは戦後に会食はいくつかこなして来たが、ここまで細工の凝った灯りは見たことがない。貴族宅でも大抵はランプを使っている為、もう少し暗い光になるはずだ。しかしこの宿屋の灯火は部屋全体を隅々まで照らすほどに明るい。
「受付はあちらです」
呆然と入り口で立ちすくんでいたノルベルトだったが、掛けられた声で意識を目の前に向けた。受付の上品な長髪の女性がにこりと微笑み、優雅に頭を垂れる。
「お荷物は先にお預かり致しましょうか。部屋に運ばせて頂きます」
「あ、ああ」
「ありがとうございます。……ユーマ」
「了解」
ノルベルトは男に荷物を預けると宿泊の手続きを済ませた。本来は冒険者向けの宿泊施設の為、朝方にチェックアウトする者が多いらしいが延長をすることも出来るそうだ。
「こちらがルームキーになります。では、良き冒険を」
「ありがとう。お互いにね」
ノルベルトは女性に軽く目配せをした後、受付を後にする。荷物を運び終わった青年が部屋案内をしてくれる様だ。
天まで続く様なとぐろ状になっている贅沢品の様な階段を登りながら、ノルベルトは笑いを堪える様に口を開いた。
「良き冒険って言うのは僕の故郷でよく使われる夜の挨拶でね。訳すなら良い夢見ろよってところかな」
「……顔に出てましたか」
「背中に刺さる視線で謝肉祭でも開催出来ると思った程にはね。熱い視線をどうも」
戯れに恭しくお辞儀をするノルベルトに青年は苦虫を噛み潰した様な表情を浮かべた。彼はようやく男に揶揄われていることに気づいたのだろう。目を細め、不満げな表情を露わにする。
「失礼致しました。聞き慣れない挨拶でしたので」
「と言うと君は東部の出身ではないらしい。だが西部の出身にしては服装が似つかわしくない気もするな」
人によっては不快とも取れる不躾な視線が先ほどの仕返しとばかりに青年へ注がれる。
「答え合わせは?君の出身はどこなんだい」
「こちらの部屋がスイートルームです」
「ははは、無視された」
男の反応を無視し、青年は扉を鍵で開く。次いで扉横にあるスイッチを押し、広い空間に光を灯した。
同時にノルベルトの双眸へ飛び込んできたのは、ひとつの客室とは思えないほど広々とした空間だった。
「これは……想像以上だな」
仄暗い廊下とは別世界のような光が部屋を満たし、磨き上げられた調度品や壁面の装飾が宝石のように輝いている。仄暗い廊下から独立したその光はノルベルトの脳漿を焼き殺す様に贅沢と芸術の後光を差し貫いた。そのかつて体験したことのない衝撃にしばらく動けなくなってさえいた。
青年はその反応に慣れているのか、数秒空白を置いた後咳払いをした。
「サー、案内を進めても?」
「ん。あ、あぁ、頼むよ」
軽く室内の案内を始めようとした青年は彼の視線が部屋全体からある場所に移動していることに気付く。
「そちらは金庫です。貴重品その他の荷物はこちらに仕舞い込むことが出来ます」
「へぇ、随分と凝った造りをしている。せっかくだ、コインの一つでも入れてみようか」
幼子が宝箱を見つけた様な表情を浮かべるノルベルトに青年は小さく首を横に振った。
「いえ、こちらにはもうお客様の貴重品が仕舞われています」
「…………うん?」
骨董品にも見える収納箱はどう見ても手のひらに乗せられる程しかない。巧みに白い外装を守る形で彩られている銀細工はノルベルトの困惑した笑顔を反射していた。
「えーと君の故郷のジョークかな。すまない。白けさせてしまった」
「俺が滑ったみたいに言わないでくれ。……じゃなかった」
青年はもう一度わざとらしく咳き込むと、その金庫と呼ばれる小さな箱に手を翳した。
それを合図として金庫が発光し、上空に先ほど預けられたノルベルトの鞄が表示された。青年はその鞄の画像に触れると目の前に鞄のサイズ程の小さな扉が出現する。その扉を開くと中にはノルベルトの鞄が収められていた。
「……とまぁ、こんな使い方をします」
決してジョークではない、と強調する様な語気で伊達男へ視線が向けられた。それを受けた男はしばらく呆けた後、遅れた様に笑い出した。広い空間に彼の笑い声が反響していく。
「まさに神話の世界だな!まさか本当に御伽話の冒険の様な体験をするとは思わなかった」
「良い冒険を、ですか。確かにこの宿なら、お客様に空想に近い極楽な体験を提供できると自負しております」
「言うねぇ!いいよ、若者の自信はいくらでもあるべきだ」
ノルベルトは興奮した様に青年へ握手を求めた。革手袋に覆われた骨ばった掌が大きくこちらに差し出されている。青年は少しの沈黙の後その手を無碍に出来ないことを察し、自らの手を重ねた。
その対応に満足したのかノルベルトは手を握り返し、目を細める。
眼前の男はやはり無愛想ではあるが、厚意を無碍に出来ないタイプなのだろう。利き手での握手の承諾といい、何処か危うげすらある警戒心のなさだ。
ノルベルトはそんな青年に好印象を持ちながら、背面にて隠される様に握られていた銃を、ゆっくりと背中のホルダーへ戻した。
「……うん。やっぱりおじさん、この部屋に来れて良かったよ」
握手したままノルベルトは初めて本心からの笑みを浮かべた。金庫の銀細工に映る自分の顔は、まるで新しい玩具を見つけた少年のようだった。




