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38話 依頼書




広間には沈黙が落ちた。


そしてその静寂を埋めるように、無数の視線がユーマへ集まる。

値踏みする者。興味を抱く者。胡散臭そうに眉をひそめる者。


まるで市場に並べられた商品になった気分だ。髪の一本靴の先まで値札をつけられる様な感覚に寒気が走りながら、それをあえて黙殺する。


「とまぁ、派手に見栄を切った訳だが」


声を潜め、ユーマは受付人へと身を寄せた。


「開業にかかりきりで、このギルドに登録したきり放置してしまっていたんだ。ここらでその貢献度とやらを貯めたいんだが良い案件はあるか?」


受付の男は一瞬だけ瞬きをする。


先ほどまで伝説の宿を継ぐ若き支配人として名乗りを上げていた人物と、目の前で初心者向け依頼を探している青年が同一人物だと脳が処理しきれなかったのだろう。片眉を下げ苦笑いをする彼には先ほどの泰然自若な空気は感じられなかった。しかしすぐに営業用の完璧な笑みを取り戻し、自らの職務を全うする。


「良い案件の条件とは具体的にどの様なものでしょう」

「そうだなぁ。単価より依頼内容で決めたい。宿屋業務と並行出来そうなものはないか」


どれだけ報酬が良くても本業を圧迫しては意味がない。可能なら仕事の前後、あるいは業務の合間にこなせるものが望ましい。


要望を噛み砕いて伝えると、受付は初めて営業用の笑みを崩した。


「探してはみますが、少し難しいかもしれません。ここには新人の商人の方に向けた市場調査や商品の運搬補助、帳簿整理といった仕事が中心ですから」


他に提供できる要素はありますか、と尋ねられユーマは首を捻る。


「んー、あとは場所ぐらいだな。奥の大広間が使われずに残ってるからそこを有効活用したい」


現在は冒険者向けの簡易宿泊施設となっている為、基本的に使われるのは個室のみだ。しかし前代のホテルは貴族や富裕層向けだった事もあり、娯楽施設や広間が手付かずのまま放置されていたのだ。活用しようにも深夜にチェックインし、早朝にはダンジョンへ向かう冒険者には客層が合わない。

日々の宿泊で貯まるポイントと共にこうした施設はユーマにとって手に余る状態となってしまったのだ。


「確かに部屋を余らすのは惜しいね。いっそ美術館でも設けるかい」


突然の心地よい低い声は耳元のすぐ近くから発せられた。

ユーマは肩を上げて驚き、振り向きながら距離を取る。


そこには質の良い服に身を包んだ男が立っていた。

色合いは深い焦茶と灰銀。派手さはないが、一目で上質と分かる仕立てだ。長めの外套は肩から背にかけて幾重にも布が重なり、まるで翼を畳んだ大鳥を思わせる。


猛禽類の様な黄金の瞳は逸れる事なくただ一人の男を見つめていた。


「頭取っ……!?」


受付の男は余程驚いたのか手に持っていた依頼書を床に散らばさせてしまう。


「おや、驚かせてしまったかな?これは失礼」


言動とは裏腹に全く悪いと思っていない態度を取る男にユーマは眉を顰める。

青年より等身が一つ上の優男は井戸を覗き込む様な体制を取り、目線を相手へ合わせた。


「僕の名前はローレンス・メディナ。しがない銀行家さ。ごきげんよう、オーナー殿」

「……これはどうも、親切に。あいにく名刺は持っていないんだが」

「先ほどの派手な自己紹介で十分さ。マルティーニ氏の名前も久しぶりに聞けたから嬉しいよ」


ローレンスは口元だけで笑みを作る。


「もっとも、あれほど大きな看板を掲げるなら、いずれ誰かが声を掛けると思っていたが」


まさかそちらから来るとはね、と続けるローレンスにユーマは目を丸くした。


「……知っていたのか」


ルネサンスの開業はダンジョン入り口前に貼り付けたチラシ一枚のみでしか知らせていない。毎日そこを通る冒険者ならともかく何故銀行家がルネサンスの情報を知っているのか。

ローレンスは肩をすくめ、おどける様に片方の口角を上げた。


「僕のテリトリーで同業者が、しかも同じ経営業態なら耳に入れない訳にはいかないからね」

「へぇ……。ってことは、あんたもか」


御名答、と言うように彼は長い腕を風切の様に動かし優雅に一礼した。


「会員制サロン『パトロヌス』のオーナーとしても貴殿の来訪を歓迎するよ」


パトロヌス────東の大陸語で父という由来を持ち、保護者や庇護者としての意味合いがある。

ユーマはアンジェラから教えられたことを思い出し、正面から彼を見据えた。


元は芸術を重んじる貴族たちの社交場から始まったサロンが源流となる。


時には王侯貴族すら会員に名を連ねた由緒ある集まりであったが、共和制への変化と共に貴族の権威は衰退し、その影響で組織もまた力を失っていった。


しかし、その転換期にサロンを富裕層の交流拠点として再編し、今日まで続く巨大組織へと育て上げたのが初代メディナ家だとアンジェラは語っていた。


「マルティーニ氏は前代サロンの主要メンバーの一人でね。私も小さい時は彼の話に心を踊らせたものだよ」


ローレンスは懐かしむように目を細めた。


「身分や国境に縛られず、人の価値を見出せる人物だった。経営者というより芸術家や創造者と言うべきか」


そこで一度言葉を切り、黄金の瞳をユーマへ向ける。よく磨かれた革靴が硬い音を立てて、青年へ一歩歩み寄る。


「だからこそ彼の名を汚すものは僕にとっては害悪も同じなんだ」


害悪という言葉を強調する様に、優男は睥睨する。悪意や見下しとは違う、いっそスマートな程の拒絶の色が瞳の中にあった。


「……へぇ。残された看板を再利用してるのは否定しないが、随分な言い草だな。上品な口が汚れちまうぜ?」


ユーマの皮肉もローレンスは笑みを深めるだけ。


「君はあの看板を背負うに見合う価値があるのか僕には疑問でね。伝説の継ぐということは生半可な覚悟では成し得ないことをここに忠告しておきたいんだ」


その言葉は代々続くメディナ家の名を継ぎ、巨大な組織の舵を握る男だからこそ口に出来る重みがあった。


継承とは財産を受け取ることではない。先人が積み上げた成功も失敗も業全てを背負うことになる。


「継ぐとか継がないとかよくわかんねぇよ。俺はそこまでオツムが良くないんでな」


でもよ、と青年は付け足し相手を見上げた。


「あの場所が今無くなるのは嫌なんだ。それだけじゃあんたの勘定は足りねぇかい」


アンジェラの願いも、俺の利益も秤にかけて。それでも足りないのなら残るはエゴという名の感情を添えるしかない。それはこの世界に来て初めて会った彼と一方的に交わした約束。この場所をより良くするというもの。


ローレンスは一度目を見開き、しばらくして大きく口を開けて笑った。笑い終わるまでしばらくかかり、ようやく終わった頃には目尻に笑い疲れか小さく涙を浮かべていた。


「まったく……」


ローレンスは肩を震わせながら目元を押さえた。


「思い出したよ。そういう理屈にもならない話をするから、あの人は厄介だったんだ」


一人で納得した態度を取るローレンスは自らの額に手を当て後方に髪を撫で上げる。


そうして何かを思い立ったのか依頼通りの前に立ち、目を数えきれないほどの依頼書へ向けた。

深夜の森で獲物を探す様な目つきは依頼書が貼り付けてある壁をぐるりと一周し、やがて一箇所に目を止めた。

受付の男に小さく耳打ちし、ある一枚の依頼書を取り外させる。


「喜劇を見せてくれた対価さ。この依頼を終えたら僕のもとに尋ねてくると良い。ディナーでもご馳走しよう」


待っているよ、と言い残し彼は奥に控えていた従事人と共にギルドの本部がある奥へ消えていった。


その後ろ姿が完全に消えた後、緊張の糸が解けた周囲は徐々に元の調和の取れた和やかな雰囲気に戻りつつある。

騒ぎの前後で変わったことといえば、ユーマの手の中に握られている依頼書のみであった。


「……乞食にパンでも恵んだつもりかよ」


握り込められた依頼書には多くの皺を刻まれ、彼の心中を否が応でも代弁してしまう。その時ユーマは生まれて初めて屈辱という感情を身をもって理解したのであった。


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