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36話 商業ギルド







「収益ゼロ。赤字前線異常なし」


ユーマは修復したばかりのイスにどさりと腰をかけ、帳簿を睨みつける。


宿屋を開店してから丁度一ヶ月。宿屋の状況は複雑化していた。


営業自体は上手く回っている。初のお客様である冒険者の少女を筆頭に数は少ないがお得意様も出来た。嬉しいことにこの時代には珍しい個室での浴室と高機能ベットが功を奏した様だ。


難所であったバスグッズも最初は使い方がわからないという意見もあったが、やり方を丁寧に教えればそれ以上の不満の声は上がらなかった。


ダンの言葉を借りるなら一定期間のすべての事業活動で得た総収入である売上はそこまで悪くはないのだ。


ホテルの消耗品や掃除は自分でなんとか賄える。従業員も自分、アンジェラ、ダンしかいないため人件費も安く済む。その為自ずと全体に対する純利益の割合が多くなるだろうというのが最初の目論見であったはずだ。


しかしその目論見を立てた時点で大きな問題を見落としていた。青年は帳簿の最下段に書かれた赤字の数字にげんなりとする。


「まさかこの世界でも税金があるとはな」


そこはファンタジーであって欲しかった気持ちと、市政が規制されていて安心する気持ちが混ざり合う。


基本的な国税もそうだが、細々とした細かい税も重なれば大きな負担となる。加えて物価高での男二人分の就業内での食費を合わせれば、いとも簡単に赤字財政の出来上がりだ。

近くで宙に浮きながら日記を記してしたアンジェラは、ふわりと地面へ降りた。


「でも私の利権書が生きてて良かったじゃない。普通だったら開業登録から何から凄く面倒くさいってお父様の記録帳に記してあったわ」

「登録?なんの話だ」


あぁ、と真っ直ぐ艶のある髪を揺らしアンジェラは答えた。


「ギルド登録のことよ。その登録が無い者が勝手にその仕事に就くことは禁じられているわ」

「え」


厳しくねぇか、と言おうとした口をユーマはなんとか縫い止める。よく考えれば現代でも開業するには市区町村の許可が必要だ。あまりに開業知識が不足しているため今の今まで気付かなかったのだ。


現代より職業の自由が保障されづらいこの世界。詳しく聞くと登録だけでなく製品の価格帯、品質、規格などを厳しくギルド内で統率される、らしい。


「よく出来てんなぁ」

「必要な書類や許可は私が調整して、もう一人の坊やに提出させたわよ」

「ダンにか。マジかよ。二人ともありがとな」


宿屋全体の間取りや設備に時間を追われ再建中の細かなやり取りなどほとんど覚えていない。確かにやけに価格帯などに口を出してくるな、とは思ったがまさかそんな意図があったとはついぞ思えなかった。

これからは必要な許可や制度についても知っていかなければとユーマは小さく心の中で拳を握る。


「その制度や許可ってのはどこで知れるんだ」

「それはもちろんギルドに行くのが手っ取り早いけれど……」


言葉を濁したアンジェラに男は首を捻る。いつの間にか止まってしまった羽根ペンをくるくると回し、しばらく言葉を選んでいる様に見えた。


「良くも悪くも敷居が高いのよ。何もわからない素人が一人で行って良い目に遭う場所じゃないわ」

「確かに知識を無償でくれってのは厚かましいか。なら手土産でも持って挨拶しにいこーぜ」

「そういう問題じゃないわよ!」


アンジェラは僅かに眉を寄せ、やがて苦々しく口を開いた。


「ギルド本部の手前にある『依頼通り』までだったら行っても良いわ。あそこは外部向けの依頼や募集が多いから受付の人間も優しかった、はず。少なくとも10年前は」

「『依頼通り』だな!行ってきます!」

「え?今!?」


驚くアンジェラを他所にユーマは宿屋を飛び出した。慌ただしい足音がスタッフルームで一階から遠のき、やがて再び近くなった。扉の前で足音が止み、ほんのり赤くなった耳を隠しながら扉から顔を出す。


「……ギルドの名前と場所をお聞きしてもよろしいでしょうか」









アンジェラの地図を頼りに馬車に乗りやってきたのは、ダンジョンから東にある市街地だ。交通費である数少ない金銭を握りしめてやってくるには不釣り合いな程、その街は栄えていた。


ダンジョンの周辺も人の行き来や交易が行われていたがこの街を見ると、人が多い場所と栄えている場所の違いが明確に理解できる。全てのニーズに応えるべく様々なブティックが列をなし、訪れる客を歓待していた。


ドアマンの常駐する店も多く、その店のブランドに身を包んだ美男美女が姿勢よく扉の側に配置されている。


日頃スライムを抱きタバコを吸いながら宿屋の呼び込みをしている自分が居た堪れなくなり、彼彼女らから目線を外す様に地図を覗き込んだ。


ギルドは大通りの突き当たりに位置する、いわゆる一等地に門を構えている。ここから徒歩で30分ほどだそうだ。


しかし歩き始めてすぐに敷き詰められた厳かさに気が滅入りそうになる。磨き抜かれた石畳には泥一つなく、通りを行き交う人々も皆どこか余裕を纏っていた。生活の余裕が心の余裕につながるとはよく言ったものだ。

かたや自身の財布には全くゆとりはない。


すれ違う人々の視線が一瞬だけこちらへ向き、何事もなかったように逸れていく気がした。


別に嘲笑されたわけではないが、自分がこの場所の客ではなく異物であることだけは嫌というほど伝わってくる。

気付けばユーマは鞄の先を小さく握りしめ、無意識に歩みを早めていた。


しかし遠目に見えた建築物を見た瞬間、足がぴたりと動かなくなる。目が震え、鏡を見なくても自身の瞳孔が開き切っているのをユーマは感じ取った。


大通りの突き当たりに鎮座していたのは、一つの巨大な石造宮殿だったのだ。


三階建ての建物は周囲の商館を見下ろすように広がり、外壁は巨大な切石によって隙間なく積み上げられている。


下層ほど荒々しく、上層へ行くほど滑らかになる石積みは、まるで「富を積み上げてきた歴史」そのものだった。重厚な青銅製の門が迎え入れるものを選別するかの様な雰囲気を醸し出す。まるで地獄の門そのものだ。その奥には規則正しく並ぶアーチ窓の上部には壁面を飾る海鳥の紋章。


陽光を受けた石材は鈍く光り、近付く者へ静かな威圧感を放っている。


思わず止まりかかった息を無理やり吐いた。


見せびらかす様な余計な装飾は一つもない。余裕ゆえの品を感じ取れるまさに最高級の造り。入り口近くにある古い石板にはこう彫られていた。


────台風より早く、稲妻より鋭く。この富と名誉は未来のために。ギルド『海の鳥』───オーシャン・バード。


それが、ここら湾岸都市一体を統括する国家公認商人ギルド。ユーマが所属することになった組織であった。

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