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35話 国家





何かが壊れる様な、鋭い音が鼓膜を揺らす。


張り詰めていた空気が、一息に崩れ去っていくのを肌で感じながらバルトロは音の発生源を一瞥した。

そこには褐色の局員が冒険者に肩を掴まれ、背後には粉々になった磁器が散乱している。場所は遠く声は聞き取れないが、冒険者側は顔に血を集め憤怒していた。

周りの冒険者は怒りを増長する者と収めるものが混ざり合いカオス状態に成り果てた。


乱闘はいよいよ収拾がつかなくなるな、と言う気持ちと、随分都合の良いタイミングで身の隠れ程度の騒動が起きたものだと感心する心がバルトロの中で両立する。


そんな何処か楽観的な思考に意識を飛ばし、目の前の現実から情けなく逃亡した。自らも無駄な行為だとは自覚していたが、そうでもしなければ目の前の事実という名の毒杯は仰げそうにもなかった。


喧騒をBGMにノルベルトは子守唄でも聞かせるような穏やかな口調で事実を語り続ける。

だがその一言一句は、聖杯に満たされた毒酒のようにバルトロの喉を焼いた。


「確認出来ている転機は二度。二週間前と二日前です」


全ての始まりは、異変と呼ぶにはあまりにも些細な兆候だった。ダンジョン内部での微細な魔力量の変化だ。

と言っても過去の記録から見てみれば稀にある事例なのだという。ダンジョン内部で大魔術の使用などや爆発などで大きな損壊が発生した場合、自己修復する機能がある。その時にダンジョン内部では蓄積された魔力を使用することでその機能を行うのだ。


しかし二週間前に変化が観測された時点で、修復を行うほどの実力者が探索に出た記録は無かったのだと言う。


「本来ならここで登録されていない外部組織による無断探索、密猟を予想し調査を入れる手筈にはなっているのですが、不思議なことに前局長ライオスはそうしなかった」


大方自ら座っているイスに目が眩んだのでしょう、とノルベルトは歯を見せて笑った。バルトロはその笑みを見て少しの間を置き苦笑した。心中で慌てふためく前局長を想像し、ようやく現実逃避から帰還する。


「しかし2回目の異変。すなわち二日前の異変ではそうも言ってられなくなってしまったのです。こちらではダンジョンの5%の魔力量の消滅を観測したのですから」


消滅。

その言葉を耳にしたバルトロは目の前の相手に灰皿を投げつけたくなる衝動に駆られた。


魔力量の変化、そして消滅。二つの異変はほぼ同じ事例として挙げられがちだが、魔術学で言えば全くの別物となる。


一般的に魔力量の変化とはサイクルの中での比率が変わる様に、いずれ魔力量が元に戻ることをを前提に組まれている術式だ。

修復などがその最たる例で、『元の形に戻せ』と命令された術式は一度魔力を使い修復を行う。しかし術式に使用されている魔力は術式が完遂すればダンジョンに還元され、また別の魔術で使われる。よってダンジョン総体で観測される魔力量は一定となるのだ。


しかし魔力量の消滅となると話は変わってくる。消滅とは魔力の還元が不可能、もしくは観測できない外部でのダンジョンの魔力が使用されたことと同義なるのだ。

つまり何者かが無断で膨大な魔力を使用していることになる。


そしてダンジョンの魔力を使用できる者はこの世界においてただの1人のみ。ダンジョンの魔力に繋がる魔法道具、いわゆる聖遺物を手にした者のみに与えられる特権なのだ。

そしてその特権は、各陣営各組織が喉から手が出るほど欲しがる特級レベルの魔法道具だ。そしてそのダンジョンから一つのみしか生成されない聖遺物が、誰かの手中に下った。


これから先の未来を予想し、バルトロは胃を締め付けられる。最低でも世界程度の常識は一変するのだろう。少なくとも今まで発見された6つの聖遺物は世界に大きな変革をもたらした。


遠くの喧騒を奏でる冒険者達に悟られない様、声を落としながらバルトロは目の前の余裕そうな伊達男を糾弾した。


「信じらない失態だ。明らかにそちらの落ち度でしょう。聖遺物どころか攻略者も見つけられないなんて、ダンジョン局の面子も安くなったものだ」


いわゆるこれはジョーカー探しだ。人も社会も吹っ飛ばす爆弾を見失い、そのカードを引き当てた犯人の目処もたっていない。表面化すれば想像以上の混乱を招くだろう。ようやく教会側が黙認していた意味を理解できた気がする。


「その件に関しては言い訳のしようがない。こちらとしても恥を晒してでも職務を猛進していく所存です」

「飲み込めと?」


ノルベルトは無言で肯定する。その様子にバルトロは青筋を額に浮かべ、下から見上げる様に睨み返した。要は局の不始末をこちらにも請け負って欲しいという目論見なのだろう。これはそのために設けられたお粗末な会談もどきだったのだ。


「随分と都合の良い話だ。貴方達の取るに足りないプライドのために私達を働かせようとは傲岸無知とはよく言ったものだな」

「とんでもない誤解が生まれている様ですね。我ら公僕にプライドたる贅沢品は存在しません。あるのは公平な職務遂行に必要な知能と行動力のみゆえ」


伊達男は背もたれに重心を置き、視線を遠くへ向ける。


「国家のために組織があり、我らが居る。個人の面子は潰しても国家の尊厳は守護しますよ」


法衣の紋章に窓からの日光が当たる。その真上に位置する不気味なほど真っ直ぐな瞳と同じ色が反射しバルトロに降りかかった。眉を顰めながら男はその色を跳ね除ける。


「国家の処女性など私には興味がない。下手な愛国歌に巻き込まないでくれ」

「承知しております。我々は強制致しません。これはいわゆる宣誓に近いのですから」


伊達男は姿勢を正し、襟を改めこちらを見た。ここから言う言葉は国家の声だとお思いくださいと付け足した上で、ノルベルトはその角ばった手を、バルトロへ差し出す。


「法の下、自由意志の立場においてお互いの職務を全うしましょう。祖国に栄光あれ、戦友」


────法に大きく逸脱しない程度なら、多少の行為も黙殺する。なので今回の事件解決へ協力してくれ。


官僚語から得られたのはそんな上から目線の、問題の押し付けであった。


「随分容易く言ってくれますね。栄光は高くつきますよ?後から泣き言を言うのなら、私は売国奴になってしまいそうだ」

「栄光についての対価は確約致しますのでご安心を。祖国は栄光や安寧には股が緩い。加えて栄光が他に浮気をした場合、地面にキスするのはこちら側ということをご理解頂きたい」


目の前に出された手を眺めながらバルトロは塾考する。視界の脇には暴れる冒険者とようやくそれを取り押さえる局員の姿。喧騒はようやく終わりに近づいていった。


時間の流れがゆっくりと日常に戻っていく様な、逆に非日常に突き落とされる様な相反した不信感を同時に感じる。

やがてバルトロは差し出された手には触れずに、もう一度監査の最初の頃に戻った様な笑みを浮かべた。


「……我らが未来に栄光を。隣人殿」


こうして荒々しい会談は密に幕を閉じた。


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