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31話 葛藤



時は代わり、新人冒険者のベアトリスが宿泊した明朝。別室の清掃を終えたユーマは1人、新設されたホテルのバルコニーにて煙を吹かしていた。夜風に何度か煙をかき消され、周りに四散してしまう。


「ひどい面っすね」


夜風に紛れて、気の抜けた声が落ちてきた。縁に背を預けていたユーマは、振り返らない。


「……盗み見とはいい趣味してんな」

「まさか。婦人ならまだしも、野郎の腑抜けた顔を見たいとは思えないっす」


軽い足音が近づき、隣に止まる。ダンは同じように縁へ寄りかかり、夜空を見上げた。


しばらく、風の音だけが続く。白い煙が、ゆっくりと空へ溶けていった。


「考えてること当てましょうか。『なんでこんなに頑張ったのに、客は来てくれないんだろう』」


途端に瞬きの増えた瞳がダンを捉える。瞳孔にはイタズラが成功した様な笑みを浮かべる青年が映った。


「っだはは!あんた腹芸向いてねぇっすね」

「うるせーな。笑いに来たなら帰れよ」

「失礼、失礼。確かに今まで商売に触れてないと、そんな風にも思うかもっすね〜」


ダンは一通り笑いしきると、今日の状況をユーマから聞き出し、納得した様に柵に背を預ける。


「要は客足が少ないってのが現状すか。オープンしてからどれぐらいでしたっけ」

「4日。客は昨晩来た冒険者の女性だけだ」


ユーマは短い前髪を乱雑にかき、項垂れる。


「4日働いて、客がこれだけだとどうしても不安になってきてな。内装がおかしいか、それとも間取が変か、なんてキリがねぇ」

「実も蓋もない話をするっすけど、商売ってのは原則初期に損をするのが土台になってる行為っすよ。むしろこれでも、兄さんのおかげで初期費用はだいぶ抑えられてる方っす」


元来宿屋経営というのは設備投資や人件費の問題から、かなりの先行投資が必要になのだ、とダンは語る。


「つまり最初は赤字で普通ってことっすよ」


むしろここまで銀行の援助を借りずに宿屋再建までこじつけられたのは、アンジェラの類稀なるホテルの営業能力と、ユーマの魔道具という飛び道具抜きにしては実現不可能だった、という点に関してはダンは喉奥に飲み込んだまま、話し続ける。


「今日、1人来たのは大進歩じゃないすか。これをとっかかりにしていきましょうよ」

「そっ、か?いや、でも。う〜ん。もうちょい人が来ても。いや、忙しいのは勘弁なんだが」


ダンは横で煙草を咥えながらブツブツと黄昏るユーマを盗み見る。彼は経営のことについては素人も良いとこだが、宿屋の目の見張る様な設備や聞いたことのないサービスを提案することがある。特に個人用の浴室、浴槽など、どこの国にも取り入れられていないであろう設備をこうも上手く実現させるとは正直思わなかった。


────俺と同じで元資産家出身だと思ったんすけどねぇ。


何度かそれとなく出身地の鎌をかけたが、出てきたのは聞いたことのない地名やありえない文化の話ばかり。魔法道具の詳細といい、正体があまりにも不透明すぎるのだ。


「まぁ、もう少し様子見しましょうや。不安なのはわかるっすけど、商売において焦りは厳禁っす」


まるで自分に言い聞かせる様に放った言葉。ダンはそれを自覚しながらも、内心に含んだユーマへの疑念にも近い畏敬を表には出さず、ゆっくりと微笑んだ。

空はもうすぐ夜が明けるのか、ぼんやりとした光が混じり始める。朝とも夜とも見分けられない背景を背に、何も知る由もないユーマはダンの言葉に応える様に力なく微笑んだ。












別室の清掃も終わり、最後に残るは唯一使用された客人の部屋のみになった。伝えられたモーニングコールの時間から、客人はそろそろチェックアウトする頃だろう。廊下から見つからない様に部屋前を覗き込むと、一つの人影が見えた。


「ん、アンジェラか。何してんだ」

「あら、おはよう。お客様がモーニングコールしても起きてこないのよ。何回かベルは鳴らしたのだけど」


心配だわ、と首を捻る彼女にユーマは少し嬉しそうに言い放つ。


「ほっときゃいいじゃねぇか。それだけ寝心地が良いって────あててててて!」

「馬鹿なこと言ってないで合鍵の一つでも持ってきてちょうだい。もうすぐチェックアウトの時間だし、何より探索開始時刻が迫ってるわ」


ユーマは頬をつねられながら、なんとか合鍵をその場で錬成し彼女に手渡した。アンジェラからは便利な能力よね、と呆れ半分感心半分といった言葉が向けられた。


「申し訳ございませんお客様。中に入りますよ」


アンジェラの言葉にも室内からは何の反応もない。ユーマから受け取った鍵を鍵穴に差し込む。カチリと軽快な音と共に扉が開かれた。


中は特に変わったことは起きていない。昨晩と同じく整えられた部屋に、寝巻きや化粧品など少しの生活感が滲み込む使用済みの客室だった。奥を見るとベットの上に毛布に包まった塊が存在していた。


「……良かったわ。寝ているだけみたい」


アンジェラは密かに詰めていた息を吐くと、室内へまた一度断りを入れ静かに入室した。


「ベアトリス様、ベアトリス様。起床のお時間を当に過ぎております。どうか、お目覚めを」

「……う、うぅん。あと、2分」


ゆっくりと丁寧な口調ながらも、手はベアトリスをゆするのを止めない。しばらくすると、まぶたが、ゆっくりと開いていく。


彼女のぼんやりとした視線が天井を捉え──数秒遅れて、現実に戻ったのか勢いよく跳ね起きた。

毛布がずれ、肩口が露わになる。


「い、今何時ですか!?」

「あと十分でチェックアウトです」

「じゅ、十分!?」


血の気が引く音が聞こえそうだった。

ベアトリスは慌てて周囲を見渡し、慌ててベットから飛び降りた。──そこで、ようやくユーマの存在に気付く。

いつの間にか部屋の中に入ってきていたユーマは視線が自身で止まったのは理解し、軽く頭を下げる。


「ご機嫌よう、ご主人様」


一瞬の静止。彼女は双眼を大きく見開いた。

自らの出立を、肩紐は肩からずり落ち、寝癖はそのまま。そして自らが下着に近いそれしか身にまとっていないことに気づいた次の瞬間。


「きゃああああああああああああ!!」

「いつ入室の許可を出した、この無礼者!」


絶叫とアンジェラの怒号は同じタイミングで室内に響き渡った。ユーマはアンジェラによって即座に扉の外に叩き出され、壁に頭を打ちつける。

ユーマのうめき声を封殺する様に乱暴に扉を閉められ、中からは慌ただしい物音が続いた。


「不躾ながらお着替えのお手伝いをさせていただきます!こちらに腕を!そう、落ち着いてください!」

「あ、ありがとうございます!えーと、こっちの礼装は……こ、こんがらがった!?」

「私がやります、動かないで!」


数分後。

きっちりと身支度を整えたベアトリスがエントランス前で、顔だけは真っ赤にしたまま何度も頭を下げていた。しかし目の前のアンジェラは上品な動きでユーマの頭を掴み、謝罪の礼をさせたまま会話を続ける。


「朝早くす、すみません!ご迷惑をお掛けしました!」

「いえ、こちらこそうちのスタッフが大変失礼致しました。こちら、申し訳程度ですが」


アンジェラは小さく微笑み、どこからか包みを差し出す。


「簡単な朝食です。道中で召し上がってください」

「え……でも、これは……」

「探索の無事をお祈りしております」


ベアトリスは一瞬だけ驚き、それから深く頭を下げた。


「……ありがとうございます!」


そのまま踵を返し、廊下を抜け、階段を降り、外へ駆け出す。そして一度、くるりと黄金の髪を靡かせ振り向いた。


「また来ますね!」


そう言った彼女は今度こそ迷いなくダンジョンの入口へと向かっていった。


見送りが終わり、彼女の姿が見えなくなった途端、ユーマは頭頂部を鷲掴みにされていた手を外され、危うく転びそうになる。アンジェラは客を送り出したばかりの扉を閉める様に取手へ手を伸ばした様だ。


慌てて弁解をしようと顔を上げたが、取手を握りしめる手に血管が浮くほどの力がこもっていることに気付く。彼女の背後からどす黒いオーラを放つ様な威圧感に謝罪の言葉すら呑み込んでしまった。


────長くなるぞ、これは。


そんな思惑を肯定する様に扉は無常にも閉められ、乱雑に『close』の札が左右に揺れた。






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