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30話 ダンジョン・ホテル





同じ頃。


宿の裏手、石壁に背を預けながら、ユーマは唯一の現世からの持ち物である煙草に、切れかけのライターで火をつけた。


オレンジの光が鼻先を照らし、やがて先端が赤く灯る。


一口、吸う。

肺に流れ込む煙と一緒に、どっと疲労が押し寄せてきた気がした。煙を吐き出すと、白昼夢の様に白い煙がゆっくりと視界を覆っていく。その揺らぎをぼんやりと眺めながら、ユーマは思い出していた。


────この宿の形を、決めたすべての始まり。

あの会議室での、話を。





「────休息超特化型ホテル、っすか?」


黒板に書かれた文字を見上げ、ダンが眉をひそめる。露骨に納得していない声音だった。

その隣で、アンジェラも片眉だけを下げ、小さく手を挙げる。


「少しいい?ホテルで休息を取るなんて普通のことなんじゃないの?その点で差別化出来るのかしら」


もっともな疑問だ。ユーマは肩をすくめる。


「だろうな。でもさっきの話を聞いていて思ったんだよ。ここらって普通に休める場所って、案外ねぇんじゃねぇか、ってな」


ダンから奪ったチョークを指先で回しながら、黒板を軽く叩く。


「さっきまでのお前たちの話を聞いてた限り、ここらのホテルってのは“何かのついで”なんだよ」


コツ、と音が響く。


「自分の故郷の飯を食うため。外来での社交の確保ため。」


ダンが「あー……」と気の抜けた声を漏らす。


「確かに、言われてみれば。休むそのものが目的って他の宿屋でも併合型が多いんで、あんまないっすね」


ユーマは黒板に書かれた文字の下へ、一本線を引いた。


「だったら完全休息専門特化型の宿屋ってのは大分武器になるんじゃねぇかって思うんだ」

「完全休息って簡単に言うけれど。……それって、具体的にはどういう状態なの」


ユーマは一瞬だけ視線を落とし、言葉を選ぶ。


「うーん。……例えばだな」


ユーマの頭の中には幼い頃に友達がやっているのを見せてもらったゲーム画面が浮かび上がる。魔王や大事な戦闘に行く直前には宿屋に立ち寄り、hpと mpを最大まで回復させていた。つまり────


「次の日の冒険に備えて、体力も精神も完全に回復させる場所、とかか?」


ダンの眉がぴくりと動く。


「連日で潜る冒険者や魔法士にとって、一番欲しいのは“回復”だろ?」

「……まあ、ターゲット層が冒険者なら、実現すれば妥当な商品にはなりそうっすけど。商売として成立させるの相当キツいっすよ」

「キツい?」

「はい。まず前提として」


ダンはユーマからチョークをひったくり、黒板の端に簡単な図を描き始める。


「宿ってのは基本、“回転率”で稼ぐ商売っす」


四角をいくつか並べ、それぞれに×印をつける。


「大抵は安くして客数を増やすか、高くして単価を上げるか。このどっちかっす」


コツ、とチョークを鳴らす。


「でも“休息特化”ってなると、滞在時間は長くなるし、客単価もそこまで跳ねにくい。回転も単価も中途半端になりがちっす」

「……私も質の良いサービスには賛成だけれど、実際に今の状況では難しいわ」


アンジェラは少し悔しそうに拳を握り込む。


「そもそも回転数を上げるにしても人手が足りなさすぎるっすよ。俺は普段本業に行かなきゃらならないし、実質二人でホテルを回せるとはとても思えないっすよ」

「確かにそこなんだよな。参考までに聞きたいんだが、アンジェラはホテルの接客のみに集中したとして最大何人対応できるんだ?」


アンジェラは顔を顰める。


「……意地悪な質問ね」

「営業目線に立てるのはこの中でお前だけだろ。実際開業したらお前に営業部門は頼り切りになると思う」


ユーマは真っ直ぐな瞳でアンジェラを射抜く。じゅ、と言いかけた口を一度閉じ、彼女は口をもごもごとさせ微かに答えた。


「……今の私じゃ接客に集中したとしても5人が限界だと思うわ」

「多いじゃないっすか。なんでそんなに嫌そうな顔してんっすか」

「お父様なら軽く二桁いけるのに……っ!私の未熟者!」


それはお父様が化け物なんじゃ、と喉まで出た意見をダンは押し込む。


「ゔぅん!とにかく、これじゃどのみち回転数よりリピーターを得ないと立ち行かなくなるぜ」

「まとめると経営面だと未集客により収益構造が弱いこと、営業面だと人材不足ってことっすよね」


ユーマは少し間を置いてから、手を挙げる。


「……俺その二つのうちの経営面はなんとかできるかもしれねぇんだ」


ダンの驚いた視線が集まり不安に思ったのか、多分だけどよ、と言葉尻に加えながらユーマは自身の能力を初めて他人に口にした。


「……にわかには信じ難いっすけど。実際目の前で見せられてるからなんとも言えないっすね」

「私は最初怒りしか湧かなかったわ。人の家に何してくれてんのよって」

「悪かったよ。無許可で改築したのは本当に許されないことだ」

「今思い出しても腹立つから一発殴らせなさいな」

「拳はまずいっす!」


アンジェラを宥めつつ、ダンは先ほどのユーマの説明を確認する。


「要はコストと時間を無視して設備改築や消耗品の産出が出来るってことっすよね。なら初期費用が随分と抑えられるし願ったり叶ったりっすよ!」

「ただ能力の行使にはさっき言った通り『ポイント』がかかる。そしてそのポイントは来客の満足度でしか蓄えられないんだ」


ユーマの話にアンジェラは深く頷く。


「ならやはり客数を絞って、リピーターを狙う他ないわね」

「普通は母数取ってから常連を作るのにっすか?常連作ってからそれを契機として集客を増やすなんて博打もいいとこっすよ」

「でしょうね」


アンジェラはあっさりと頷いた。そのあまりに迷いのない肯定に、ダンが一瞬言葉を詰まらせる。


「でもね、今の私たちでは“普通のやり方”じゃ通用しないことぐらい一番わかってるわ」


黒板の前に立ち、指先で軽く叩く。


「安くして客数を集める。──無理よね。人手が明らかに足りないのだもの。なら高くして単価を上げる?──これも厳しいわ。まだこのホテルには実績も信用もないのだから」


アンジェラに賛成するように、つまりだ、とユーマは指を天に向ける。


「俺たちはてめぇの土俵で新たな顧客を新規開拓しなきゃ食っていけねぇ。なら多色厳しくても最初から固定客狙いで行くしかねぇさ」

「……ハイリスクどころじゃなくなるっすよ」

「冒険者のおまえがそれを言うのか?」


うっ、と言葉が詰まるダンにアンジェラは改めて正面から二人の仕事仲間を見据える。


「ハイリターンにはハイリスクが付き物なのも、価値の高い物を提供出来ればどんなに立地が悪くても集客が見込めるのも全てダンジョンが実現済みよ」


アンジェラはずっと、冒険者達をこの廃ホテルから眺めてきた。

山奥だろうが、谷底だろうが人々は長き道のりを越え、冒険者達はダンジョンに潜っていく。確実に利益を得られる保証は無く、最悪命を落としかねない危険な区域にも関わらずだ。

ダンジョンにはそれだけの利益と浪漫、未知の世界が混在している。

そうしてそれを求めて人が集まり、周りに町ができ交易が発展し、商業や文化が発展していく。それはまさに、一種の人智の超えた文化的装置といっても良いのかもしれない。


「なら私たちも、ここの流儀に乗っかりましょう」

「ははは、そりゃあ良いな。それこそ、我がホテルの経営理念にしようぜ」


ユーマは拳を自らの掌で軽く受け止め、目を細めた。


「一度でも来た奴らには脳裏に安らぎという名の浪漫と利益を染み込ませてやればいいのさ。そうすりゃもう離れられなくなる」

「ちょっと!お客様になんて口の聞き方なの!?そういう意味じゃないわよ!」


アンジェラは近くにあった小物をユーマの頭上へ落とす。


「いてて。でもそのくらいの気概なきゃ俺たちは他の競合相手に喰われちまうさ。ホテル経営ってのは弱肉強食だっておまえが一番理解してるはずだろうに」

「……わかってるわよ。もうここを潰したりなんてしない。いや、させるものですか」


アンジェラは唇を強く噛む。


「もう弱者なんて言わせない。この宿屋を国一番の最高のホテルにし、再び頂点に返り咲いてやるわ」


胸に手を当てて宣言するかのように淡々と話すアンジェラ。その瞳にはサービスマンとして誇りと、確固たる意志がのぞいていた。


「……はぁ。わかったっすよ、お二方。あんまり最初から顧客を絞るのは勧められないっすけど、今回はそれ以外に方法もなさそうっすもんね」


今までローリスクな策を起案してきたダンは降参した様に両手を上げる。


「ぶっちゃけ俺は冒険者もあるし、そこまで力になれないっすけど。ダンジョンの様に根こそぎ来訪者を喰らい尽くすホテルってのは面白くて好きっすよ」


物騒な言葉選びに反し、ダンは玩具を見つけた幼児の様に純粋な笑みを浮かべた。


「なら、決まりだな」


冒険者達をターゲットにした経営を行いつつ、極限の癒しという名の宝(餌)で誘い込み、確実に客を籠絡させる。

あまりにも物騒な経営理念から、後に彼らは蔑称としてこう呼ばれることになる。


────ダンジョン・ホテルと。


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