19章 業と霧
その夜、菊と剣剥は紫月に指定された「例の場所」へ向かった。薄暗い森の奥にひっそりと佇む古びた屋敷が見えてくる。近づくにつれ、異様な気配が濃くなるのを感じた。
「ここか……」菊が低くつぶやくと、屋敷の中から不意に声が響いた。
『よく来たわね。さぁ、これからが本番よ。』
屋敷の扉がゆっくりと開き、中から紫月の姿が浮かび上がる。後ろには、見慣れない二人が控えていた。どちらも、異常なほどの霊圧を放っている。
「……ずいぶんと歓迎が過ぎるじゃねぇか。」菊は戦闘態勢を整えながら一歩前に出た。
『歓迎だなんてとんでもない。ただの試練よ、菊。あなたがどこまでやれるか、それを試しておきたかったの。準備はいい?』
「上等だ。来いよ。」菊の目が鋭く光る。その隣で剣剥も笑みを浮かべた。
「これ、ちょっと楽しくなりそうだねぇ〜」
紫月が不敵な笑みを浮かべると、背後の二人がゆっくりと前に出てきた。
一体は身の丈を超える長槍を握り、まるで戦場の亡霊のように鋭い眼光を放っている。もう一体は仮面をつけ、しなやかな動きで宙に舞う。どちらも異質で、ただそこにいるだけで周囲の空気が凍りつくような圧を感じさせる。
『この二人、私の手駒の中でも優秀なのよ。名前はそうね……左が「業」、右が「霧」。あなたたちの力を測るのにちょうどいいわ。』
「ふざけた名前だな。」菊は肩をすくめたが、その目は二体の動きを見逃さないようにじっと見据えている。
『ふざけてなんかいないわ。この二人、手加減はできない性分なの。さぁ、始めましょう。』
紫月が手を軽く振ると同時に、「業」が槍を地面に叩きつけた。衝撃波のような霊圧が菊と剣剥に襲いかかる。
「っく!」菊は咄嗟に後ろへ跳んで衝撃を避けたが、余波で足元の地面が砕け散った。
「結構やるねぇ〜」剣剥は飄々とした態度を崩さないまま菊の背後に滑り込む。
「どうする?先にこっちが仕掛けちゃおっか?」
「いや、俺が行く。お前は霊圧の調整を頼む!」
剣剥がにやりと笑って頷くと、菊の体がわずかに青白い光を帯び始めた。剣剥が霊力を共有し、菊の身体能力を強化しているのだ。
「行くぞ!」菊は一気に間合いを詰め、剣を抜いた。槍を構える「業」に向けて鋭い斬撃を繰り出す。しかし、業はそれを難なく防ぎ、逆に槍を振り回して菊を押し返した。
「さすがに硬ぇな……でも!」菊は剣剥の霊圧をさらに引き出し、剣に強烈な力を込めてもう一度斬りかかった。今度は業の槍を弾き飛ばし、その胴体に浅い傷を与えることに成功した。
『ほう、やるじゃない。』紫月が興味深そうに呟く。
しかしその瞬間、背後から「霧」が音もなく接近してきた。その動きは速く、菊の反応が間に合わない。
「菊、後ろ!」剣剥が叫ぶ。
菊が振り返るが、霧の攻撃はすでに目前だった。だが次の瞬間、菊の周囲に透明な防壁のようなものが現れ、霧の一撃を弾き返した。
「なんだ……?」菊が驚きの声を上げると、剣剥が満足げに笑う。
「これも、あの服のおかげみたいだねぇ〜霊圧を防御に回す機能もあるなんてさすが紫月だねぇ。うざぁ」
『ふふ、褒め言葉として受け取るわ。それを活かせるかどうかはあなた次第よ。』
「ありがてぇことだな……」菊は深く息を吸い込み、再び剣を構えた。「じゃあ、遠慮なくぶっ潰す!」
こうして菊と剣剥の本格的な戦いが始まった。霊圧が交錯する中、紫月は微笑みを浮かべながらその様子を見守っていた。
『さて、どこまでやれるかしら。楽しませて頂戴。』
激しい戦いが続く中、菊の剣と剣剥の霊圧の融合は次第に洗練されていった。剣の一振りごとに空気が震え、「業」の槍を弾き飛ばし、「霧」の鋭い動きを封じるほどの勢いを見せ始める。
「だんだん調子が上がってきたな!」菊が汗を拭いながら叫ぶ。その目はますます鋭さを増していた。
「ほんとぉ〜?でもまだ二人とも元気そうだけどねぇ?」剣剥が軽口を叩くが、霊的な力の共有をさらに高めていく。菊の体はそれを瞬時に受け入れ、まるで一つの存在として完全に調和しているかのようだ。
その時、「業」が初めて低い声で呟いた。「なかなかのものだ……だが、まだ足りぬ。」
次の瞬間、業の霊圧が急激に高まる。槍の先端から黒い閃光が放たれ、まるで空間そのものを裂くような威力で菊に向かって飛んできた。
「くそっ!」菊はその攻撃を剣で受け止めようとするが、その圧力は想像以上で、膝が地面に沈み込むほどの衝撃が走る。
「菊〜、大丈夫?」剣剥がすかさず声をかける。
「問題ねぇ……ただ、ちょっと全力を出させてもらう!」菊は叫びながら剣を振り上げる。その刃から溢れ出る霊圧が、周囲の空気を震わせた。
「業」の黒い閃光と菊の霊圧が激突し、両者の間に爆発的な衝撃波が広がる。
一方で、「霧」が静かに動き始めていた。その身が霞のように薄れていき、いつの間にか完全に消え去っている。
「菊、注意して〜!あいつ、何か仕掛けてきてるぅ」剣剥が警告する。
「わかってる!」菊は素早く周囲を見回すが、「霧」の姿を捉えることはできない。その時、足元から冷たい気配が感じられた。
「下か!」菊が叫ぶと同時に、「霧」が地面から現れ、鋭い刃を突き立てる。その攻撃は寸前で菊の霊防壁に阻まれるが、その衝撃でバランスを崩した菊に対して、「業」が追撃を仕掛ける。
「まずい!」剣剥が霊圧を集中させ、菊をサポートしようとするが、その前に紫月の声が響いた。
『そこまでよ。』
突然、空間全体が凍りついたように静まり返る。業と霧の動きがピタリと止まり、二体は紫月の方を向いて一礼する。
「なんだよ……まだ終わってねぇだろ!」菊が苛立ったように声を上げる。
『十分よ。あなたの力も剣剥との連携も、想像以上に仕上がっているわ。この程度で負けるようでは計画に支障が出るけれど、その心配はなさそうね。』
紫月が手を叩くと、業と霧は静かに後退し、再び紫月の背後に控えた。
「ふざけんなよ……せっかく乗ってきたのに!」菊は悔しげに剣を鞘に納めた。
『乗せられるくらいがちょうどいいのよ。まだ決行の日まで時間があるのだから。焦らずにね、菊。』
紫月は意味深な笑みを浮かべながら、ふっと身を翻した。
『さぁ、今日はここまで。帰って休むといいわ。その体、意外と負荷がかかっているでしょう?次に会う時はもっと厳しくしてあげるから、楽しみにしていて。』
そう言い残し、紫月の姿は薄闇の中に溶け込むように消えていった。残された菊は、拳を握りしめたまま悔しそうに地面を見つめていた。
「……次こそ、絶対に叩きのめしてやる。」




