第五十四話
修練場を後にして、執務室へと戻ることなく無言で歩く黎深。
「……っ………!」
……耳元で何かが聞こえる気がする。
「(……僕は、馬鹿だ……!
王太子殿下と仲良く出来るなんて、少しでも思うなんて……!)」
浮かれていたんだ……と、黎深は心の中で力なく笑う。
「(……周囲から見れば、僕は極悪な野心家なんだよ……。
だから、僕が何を言ったって…………信じてもらえるわけ無いじゃん……)」
自嘲の笑み。
「……っ……おい……!」
黒龍、範、黄河……。
得られないと思っていた黎深のことを信じてくれる他人。
「(……僕は馬鹿で、欲張りだっ……!
だから……罰が当たったんだ…………)」
黎深を信じてくれる他人が三人も居るんだ……!
それなのに、まだ手を伸ばそうとしたから……!
黎深が欲張ったから……!
「(……ごめんなさい……もう、これ以上は望まないから……)」
黎深の身体は涙も流さず、表情も変わらない。
「(……せめて……王太子殿下の邪魔にならないように…………これ以上、嫌われないように……)」
心の中でだけ、ポロポロと涙を流す黎深。
誰にも見えないけれど、その姿は痛々しい。
「おいっ……!」
……いや、一人だけ。
その痛々しい心に気付ける者がいた。
「黎深っっ!!」
「っ?!」
いつかの東屋。
幼い黎深がいつも泣いていた、そして……黒龍と出会った場所。
「お前なっ!
何回も呼んでいるのに無視するんじゃねえっっ!!」
「(……く、ろ……さん……?)」
人間の姿になった黒龍が、いつの間にか黎深の目の前に立っていた。
「………………私、は……」
悪い夢から覚めたように、目を瞬かせながら周囲へと視線を走らせる黎深。
「(え……いつの間に、東屋に……)」
「お前なぁ…………あ゛あ、くそっ……!」
黎深の様子に深いため息を吐きながら、黒龍は自分の頭を掻き回す。
「黎深、お前今すぐに泣け。
そして、怒れ。
ついでに、王太子とかいう兄貴をぶん殴って来い。」
「(え……えぇぇぇぇぇぇっっ?!
急に何を言ってるのっ黒さんっっ!!)」
額に青筋を浮かべた黒龍が、ムスッとした顔で言い放つ。
「安心しろ。
邪魔な人間どもは地面とお友達にしといてやる。
だから、安心して心行くまで兄貴と殴り合え。」
「(意味が分からないよっ?!
何で殴り合いっ?!
これ以上、嫌われるような真似なんて……)」
「嫌われちまえ」
「(え……)」
真顔の黒龍の言葉に、黎深は傷付いたように茫然とする。
「弟の気持ちを受け止められないような兄貴なんざ、捨てちまえ。」
「黒龍……」
「嫌われるのが怖くて、手を伸ばせない程度の兄貴なんざ必要ねぇだろ。
泣きたいのに泣けねえ弟の手を掴んでやれない兄貴なんざ、いらんっ!」
「………っ………」
怒りに任せた乱暴な黒龍の物言い。
目を見開いて固まった黎深を見て、黒龍はバツが悪そうな表情でフイッと顔を反らした。
「…………わりぃ。
言い方が悪かったな。
なんつーか……殴り合わなくても良いから、せめて……腹を割って話せ。
その邪魔をする奴らは、俺が地面のお友達にして、気絶させといてやるって……言いたかったんだ」
「(……黒さん……)」
「……お互いの気持ちを言い合えなけりゃ……分かり合うもクソもねえだろ。」
言葉を探すように目を泳がせる黒龍に、黎深は俯いてしまう。
「(……もう、良いんだ……。
僕のことを大切だって言ってくれる人達が三人も居るんだから……独りぼっちだと思っていた頃に比べれば……)」
「っ……だから……!」
「その不器用な男は、貴方一人が自分を責めて、傷付いていることが気に食わないのですわ」
「(……だれ?!)」
「………………」
突然聞こえた女の声に、黎深は心の中で狼狽え、黒龍は顔を顰める。
「見守っておりましたが…………他の人の子に比べ、何と面白く哀れで可愛らしいものでしょう。」
「おい……コイツは俺のお気に入りだと言っただろ。
いらん所で出しゃばるな…………六花」
クスクスと機嫌良さげな女の声に、眉間に盛大にシワを寄せた黒龍が苦虫を噛み潰したような表情で答える。
「(え……え?)」
「御機嫌よう、異界の魂を持つ人の子よ」
「(ぴっ?!)」
困惑して周囲を見回し、声の主を探す黎深の前に白い衣の美しい女が突然現れた。
「ふふふふふ……!
初めまして、人の子よ。
妾は創生の時代に生まれし双龍が片割れ。
陰陽の陽を司りし白き龍。」
月の光を集めたような銀色の髪に、白磁のような肌を持つ美しいという言葉では足りぬ美貌の女が微笑む。
「我が番である黒曜が契約した人の子よ。
そなたには、妾の名を呼ぶ権利を与えましょう」
「(はく、りゅう……って……え゛っ……?!)」
「妾の名は、六花。
そなたの記憶で言うならば、原作ゲームで主人公である第三王子と契約する白龍でしてよ。」
「(…………う、うえぇぇぇぇぇぇぇっっ?!)」
心の中で盛大に悲鳴を上げる黎深を、機嫌良さげにコロコロと笑う白龍。
「……お前な……黎深が飛び上がって驚いてんだろ。」
「ふふ!
そのお陰で悲しみは吹き飛びましてよ」
「吹き飛ばして、どーすんだよ。
泣いて、怒って、感情を爆発させとかねーと、コイツはまた溜め込んじまうだろ」
「ならば、溜め込む前にさっさと人の世という俗世から切り離してしまえば良いのです。
妾達の眷属としてしまえば、人の世も、人の縁も、有って無きようなもの。
長い時が経てば、忘れ去ってしまう儚さですもの。」
「おい、巫山戯んな。
泣きそうな心を叱咤して、やっと手を伸ばしかけたコイツの想いを軽く扱うんじゃねえよ」
「軽く扱ってなどおりませんわ。
ですが、所詮は人間など愚か極まりないもの。
権力に媚び、表面だけを見て判断する。
どれほど優しい心を持っていても、面の皮一枚で判断する愚かさ。
……どんなに手を伸ばしても、その周囲が邪魔をするならば、その努力は無意味でしょう」
優しげな微笑みで黎深を見詰める白龍の視線には、慈愛すら感じてしまう。
「(……っ……無意味…………僕、は……僕の言葉は……無意味……)」
胸が締め付けられたように苦しくなる。
無表情のままに、黎深は胸元を強く握り締める。
「無意味なんかじゃねえっっ!!」
「(……くろ、さん……)」
「コイツの、黎深の言葉を勝手に無意味なものにしてんじゃねえよっっ!!」
「まあ、怖い。
ならば、言葉を交わすべきは一方だけでは無いでしょう?」
「あ゛?」
「いくら妾達が千の言葉を尽くしても、人の子が絆を取り戻したいと願う相手の誠の言葉には敵いません。」
「…………」
「向き合うべき相手の首根っこを捕まえてでも、強制的に向き合わせるべきでは有りませんか?」
ふわりと微笑んだ白龍の言葉に、黒龍は数拍だけ何かを考えるように黙り込む。
「…………おい」
「ええ」
「黎深を任せた」
「承りましたわ」
阿吽の呼吸で何かを分かりあった黒龍と白龍。
「黎深」
「(え、なに……)」
「ちょっと饅頭を買いに行って来る。
俺が居ない間は、六花が側に居るから安心し……六花、黎深は俺のお気に入りだからな!!」
「分かっておりますわ。
ふふふふふ……いくら饅頭を百個食べられた恨みがあっても、人の子に手を出したり致しません。」
「…………百個……?」
状況が分からずに困惑する黎深に一言残し、黒龍の姿が掻き消える。
「(黒さん…………)」
姿を消した黒龍の居た場所を見詰め、黎深は立ち尽くす。
「人の子、いえ……黎深」
そんな黎深へと白龍が優しく微笑みかけるのだった。
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