第二十六話
「……誰だ」
「本日より、第二王子殿下の侍従となりました"呂 範"と申します」
黒い髪を灰色に染め、老斑を皮膚に施し、皺のない皮膚を隠す革の手袋。
「……そうか」
チラリと向けた視線は、すぐに興味なさげに逸らされた。
「第二王子殿下……朝食のお時間です」
「第二王子殿下……お着替えをお持ちしました」
「第二王子殿下……講師がいらっしゃっています」
"呂 範"は、従順で静かな侍従の一人。
「……そうか」
全てに対し、"そうか"の一言で終わらせる十二歳の少年。
感情を凍らせた……いや、押し殺した少年。
「……やはり、お前か。」
――厚い雲に覆われた月の光も届かない夜の闇。
「……いつから、お気付きに?」
――闇夜に紛れて忍び込んだ暗殺対象者の寝所。
「……私にまともに仕えようとする時点で……怪しさしかない」
――己を殺そうとする相手を見詰める凪いだ瞳。
「左様ですか。
では……御命、頂戴します」
――簡単にへし折れる少年の首に、手を添える。
「……そう、か」
――気道が狭まり、苦しいだろうに。
「…………」
――変わらぬ返答。
「………………っ」
何故……何故、なのか?
全てに心を閉ざし掛けているだけの少年を……恐れるのか?
冷酷無比?暴虐武人?
第二王子の暗殺を依頼した高官は言っていた。
『心優しい人徳の君である王太子の心に影を落とす。
……だから、第二王子は……生きているべきではないのだ。
野心家な第二王子が、素晴らしい王太子を害する前に…………争いの目は摘むに限る。』
――噂とは真逆の……恐れられることを諦め、簡単に死を向け入れる少年。
「っ……」
「……ッ……は……けほっ……」
範の手から力が抜け落ちる。
首に残った痣が痛々しい少年が、勢いよく入った酸素に咳き込む。
「……何故……っ……殺さない……?」
生理的な涙で潤んだ少年の赤みがかった瞳が、範を捉える。
「……何故、貴方様は抵抗しないのですか?」
質問に質問を返したことが気に食わなかったのか、少年の眉が寄り、範から不機嫌そうに視線を外した。
「……お答え、を」
逸らされた瞳が気に食わなくて、範は少年の顎を掴んで無理矢理に視線を己へと向ける。
「っ……離せ」
「……お答えを」
首を絞めた時は抵抗しなかった少年が、顎を掴む範の手を外そうと身じろぐ。
「……私の生を望む者など、いない。」
理解している事実だけを述べる淡々とした口調。
「抵抗しなかったのは、まともに私へと仕えた褒美だ。
……この命が欲しければ、くれてやる」
だから気が変わる前に殺せ、と主張する瞳に…………囚われた。
「……下さるのですか?」
「そう、言っている」
「……わかりました。
その御命、有り難く頂戴しました。」
少年、黎深から離れ、深々と一礼をした範は、そのまま背を向けた。
「………………」
「……黎深様、明日は午前中に乗馬の訓練が御座います。
しっかりとお休みになりますよう。」
範の背中に注がれる、黎深の訝しげな視線。
「……殺さぬのか?」
「……殺します。
ですが、それは……今では有りませぬ。
貴方様が死ぬ以外の道が無くなった、その時に……」
振り返った範の瞳に仄暗い炎が燃え上がる。
「……その息の根を止める役目は、私のモノです。」
「……好きにしろ」
寝台の上に片膝を立てて座る黎深。
厚い雲に覆われていたはずの空から、月の光が差し込んでくる。
「……"呂 範"か。
他の侍従はいらぬ。
……今宵より、私の侍従は貴様だけだ」
「我が君の思うが儘に」
――その夜を境に、黎深の侍従は範だけとなった。
「"呂"と"範"ですか……。
私の経歴がバレぬように、一から完璧に作って下さったこと、そして……我が唯一の主に出会わせてくれたことには、感謝を致しましょう。」
黎深の暗殺を依頼した高官の屋敷。
「"呂"とは、背骨という原義を持つ。
まさに、凶手集団・窮奇という一族を背負う私に当てはまっている。」
徹底的に、蹂躙する。
黎深の元に仕える以上は、完璧に"呂 範"として生きる必要がある。
「"範"とは、枠や型などに嵌め込み整えるという原義を持つ。
皮肉な物ですね……範という侍従の型に収まることにしたのですから。」
依頼者だった高官の首を片手に範は呟く。
「……比べるモノでは有りませんが、我が主に比べ……なんと醜い散り際でしょう」
数秒前まで命乞いをしていた首を、範は火の中へ放り込む。
「……我が一族、すべての忠義を貴方様に捧げましょうぞ」
誰もが恐れる死の影に怯えることなく、死神のような暗殺者に息の根を止められかけてなお……揺らがぬ心。
――だからこそ、王位を簒奪すると決めた……周囲の望むように振る舞うと決めた"黎深"を止めなかった。
「……挨拶は不要。
その命、我が唯一の主のために頂戴します」
侍従服を脱ぎ捨て、闇に溶ける暗殺者としての衣装に身を包み。
「我が君、我が命。
貴方様の御命……何時の日か、頂戴するお役目を果たせず、申し訳御座いません。
……お先に、地獄にてお待ち申しております」
第三王子達に立ち塞がる凶手集団・窮奇の棟梁として……主人公の大きな壁の一つとして散った"呂 範"。
「…………」
その死を皮肉ることも、嗤うことも無かった原作ゲームの黎深。
「……そうか」
ただ一言。
"呂 範"の死の知らせを受けた黎深は、静かに月の消えた夜空を見上げるのだった。
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