第6話 鞘楯誠は、エージェントである(6)
生徒会長マルガレーテ・ナハトシャッテン。ならびに、副会長アナスタシア・イスクレノヴァ。
二人の事は、昨日のうちに調べておいた。
これから向かうのは、いわば敵の本拠地。本来なら、万全な調査の上で臨むべき場所なんだが、生徒会の名簿から顔と名前を照合しただけだ。それ以上の個人情報を探るには、時間が足りなかった。
──マルガレーテは、なぜ俺にあんなことを……。
考えたところで、足りないピースの答えは出ない。想像で埋めたところで、意味は無い。
生徒会の活動などこれまで興味がなかった俺には、この二人の事などまるで知りもしなかった。
──だが、向こうは俺を知っていた。
それだけで、警戒するには十分だ。
いや、そんなレベルはとっくに超えているか。こっちは襲撃までされたからな。
俺の尾行が原因なのだとしても、問答無用で、ってのは物騒な話だ。二人は、”ただの”生徒会役員じゃない。
マルガレーテは本当に、このすべての疑問の答えを持っているのか──?
そんな考えを巡らせながら、俺の足は生徒会室の扉の前で止まった。
一瞬考えた。素直にこの扉を開けていいのか、どうか。自覚はある。ここまで来て、女々しいと。
だが、この選択は俺にとっての、”赤い薬と青い薬”だった。
多分、”青い薬”を飲んで帰る方が、賢い選択なんだろう。だが、そうはいかない。なぜなら、俺は、エージェントなのだから。
扉を開ける──その時、目に飛び込んだ光景を見ての俺の第一印象は、「あ、部屋間違えたか」だった。
そこは、他の教室のどれとも異なる様式をしていた。
生徒会室というには広い部屋。いくつも並ぶ長椅子と、壇上の祭壇にはキリスト像。
周囲には書類やら雑貨が積まれているが、ここは礼拝堂に違いなかった。
(こんな場所があったのか、RoTIAに……)
ローテンブルクの歴史を考えれば、昔の礼拝堂が残っているのはあり得る。
だがそれも宗教色の薄い学院では、使われることなく生徒会室に転用された、ということか。
「──待っていたよ。鞘楯誠」 突然、声が響いた。
間違いなく、マルガレーテの声。だが姿は見えない。周囲を見渡したが、どこにもいなかった。
「こっちだよ。こっち、こっち」
彼女を見つけられない俺を、馬鹿にでもするかのような声だけが聞こえる。
つまり、こちらの姿は見えている。隠れているのか? 人を呼んでおいて、失敬だな。
俺は探すのを止め、祭壇まで歩を進めた。
こういった悪戯じみた真似をするのは、構って欲しいから──だったら、その悪戯に付き合ってやろう。
「マルガレーテ! 人を呼びつけておいて、随分な挨拶じゃないか」 虚空に向かって文句を言った。
”ガタッ!” その途端、小さな物音がした。気付かないふりをして、その音の方に近づく。
「気に入らないかね、鞘楯君。悔しかったら、どこにいるか当ててみ給え」
自信に満ちた声だった。恐らくは、マイクを使った遠隔音源。声を辿っても、ハズレを引かされるだけだろう。
「こんなかくれんぼが、お前の言った真実なのか? その見た目どおり、お子様だな。マルガレーテ!」
”ガタタッ!” と再び音がする。今度は、はっきりした音。
安い挑発──俺がこの”悪戯”に乗ったのはそのため。だがそれは、マルガレーテに向けたものではない。
恐らくはその隣にいるであろう、彼女を守る騎士に向けて、だ。
音に近づく。おおよその当たりはついた。だが当然のように、そこには誰もいない。あるのは、祭壇のキリスト像だけ。
「どうしたね、私はキリストではないよ。誠君」
三度目の挑発は必要なかった。彼女は、答えを教えてくれた。
1631年のゲオルク・ヌッシュの伝説は作り話だ。
彼はカトリック軍を追い返してなどいない。大軍に成す術なく、この地は占領の憂き目にあった。
だから、キリスト像も、大窓にはめ込まれたマリア様のステンドグラスも、カトリックの様式に則っているのは不思議じゃない。
だが、ウェストファリア条約による1624年の基準に照らせば、この地はプロテスタントとなったはずだ。
──なぜ、キリスト像は片付けられていない?
「神様は、答えを教えてくれたかい?」 像を前に、立ち尽くす俺を煽る声。
迂闊だなマルガレーテ。それは、俺に確信を与えた。
ステンドグラスの方は、まあ分からなくもない。これほど荘厳なものを叩き割るのは、惜しいと思うのが人情だ。でも、キリスト像は違う。撤去すればいいだけなのだから。
こんな”悪戯”をされなければ、疑問に思うことすらなかった違和感。それに繋がる、マルガレーテの言葉。
答えは簡単だ。片付けたのだ、一度。そして、その後に置き直された。
──いつ? 誰が? 何のために?
俺は、キリスト像に手を置いた。何の変哲もないブロンズ像。だが一カ所だけ、気になった。
足元に打ち付けられた釘だ。これは、いただけない。キリスト像の劣化と比べて、明らかに浮いている。時代考証から考えても、こんな整った形の釘はあり得ない。
俺は、釘に手を伸ばした。あとは、簡単な事だった。
”ガチャン” 釘を押し込むと、それが上手く嵌った音がした。
そして、祭壇は動き出す。隣の壁の中へと引き戸のようにスライドを始めた。
──こんなものが、本当にあるのか……。
笑ってしまうほど”いかにも”な、大仰な仕掛け扉に、俺は感心すらしていた。
「ハッハッハッ。ナーシャ、言ったとおりだろ。賭けは僕の勝ちだよ」
「マルガレーテ様。その賭けは成立していません。私も、嫌々彼に賭けましたから」
開けきる前に、マイク越しでない声が、祭壇の向こうから聞こえる。
その登場は、”いかにも”な、生徒会長の登場に相応しかった。
俺は期待してしまった。マルガレーテとアナスタシアに。「この世の真実」を本当に知っているのかもしれない、と。




