第4話 鞘楯誠は、エージェントである(4)
慣れたものだ、問題ない。尾行はエージェントとしての必須スキルだ。
気配を消し、モブになりきる。コツはそう、尾行対象を見ないこと。
相手の行動を観察する必要は無い。足取りを追えば、相手の行動は自ずと予測できる。慣れれば簡単な事さ、尾行なんて──
マルクト広場に近づくにつれて、中世の格好をした人々が増えていく。そして、それを目的にした観光客も。
人々の熱気に紛れながら、俺はこの祭りの中心点へと、二人を追って向かっていった。
──あの屈辱の史学科の知識が、ここで役に立つとはな。
この街には二つの栄光の歴史がある。
一つは1631年、ローテンブルクを包囲したカトリック軍を追い返したゲオルク・ヌッシュの伝説。
そしてもう一つは、1274年。神聖ローマ帝国皇帝の直属都市として、独立国家のような自治権を認められた自由帝国都市への昇格。
その輝かしい栄光の時代を忘れないための祭りが、この帝国都市祭だ。
栄光の時代の再現──聞こえはいいが、それはつまり過去の肯定、未来の否定。
俺は赦せない。ノスタルジーに染まり、まだ見ぬ未来の可能性を搾取するなんて、絶対に。
だから俺は、この虚構の世界に隠された真実を解き明かす。エージェントとして……。
──決して向こうに気取られないように、俺は近くのカフェの二階に上がった。
高所から周囲を見渡すと──見つけた。こういう時、特徴的な髪色の組み合わせは本当に助かる。
しかし、黒髪の方は、本当にただ祭りを楽しんでいるようにしか見えないな。
周囲に溶け込み、祭りに浮かれダンスする姿は、ああいう町娘が当時もいたのだろうとさえ思わせる。
そうなると──やはり、警戒するべきはあの騎士の方か。
少女を見守りながら、周囲の警戒を怠っていない。本当に騎士のような振る舞いだが、そこまで気を使った演技をしている者など、周りには誰もいないよ──アナスタシア。
マルクト広場に、溢れるほどの人が集まって来る。それと同時に、祭りは最高潮に達しフィナーレを迎える。
二人が行動を起こすなら、この時。──さあ、何を考えている? 見せてみろ。
正面市庁舎が赤く輝いた。炎が上がったように煙を上げ、幾つもの花火が撃ち上がる。
ファンファーレが鳴ると共に、ライトショーが始まった。
誰もが、待ちわびたショーに目を向ける。俺もほんの一瞬、視線を向けた。
そして、目を戻したとき──銀髪の騎士の姿が消えていた。
……消えた? 俺は思わず、立ち上がる。有り得ない。ほんの一瞬だぞ。
──なぜ? どこに行った? マルガレーテを残して……。
首筋を冷たいものが伝った。
こういう時ってのは、たいてい映画じゃ、気付いた時には背後に回られてたりするもんだ。
だったら、ターゲットを見失った時、まず取るべき行動は、対象を探す事じゃない。
今すぐここから離脱する。相手がこちらに気付いたことを前提に、強襲をかけられる前に、速やかに。
俺は、出口に向かおうとした。が、止めた。
ああ、これもダメだ。狭い階段で待ち伏せされていて、バッサリ。なんてことも、よくあるオチ。
となると、他の脱出ルートは、窓から飛び降りるぐらいしかない。だけど、それこそ映画じゃないんだ、そんなスタントできるわけもない。
だから俺は咄嗟に、トイレに駆け込んだ。
都合よく、対象は女だ。男性用トイレには、入りたくても入れまい。ここならば、絶対に安全なはずだ。
幸いトイレには誰もいなかった。皆、祭りに夢中な証拠だ。となると、やはり騎士が姿を消した理由が気にかかる。
その狙いが、二人を尾けた俺だったとしたら──。その僅かな可能性のために、息を殺し、様子をうかがう。
馬鹿げているかもしれない。だが、こういう悪い予感というのは、世の中大抵当たるもんだ。
”ガチャリ” と、入口のドアの開く音がした。
足音に、金属音が混ざる。おそらくは、鉄靴の音。可能性が跳ね上がる。
その音は、トイレをする気配もなく、真っすぐにこちらに近づく。俺は、覚悟を決める。
ノックが2回──。有り得ない。他も空いている男性トイレで、それは無い。
俺は言う。 「入ってます」 返ってくる。「ああ、分かってる」
それは、紛れもなくあの、水晶のような声。
”ドガン!” それと同時に、ドアは破られた。
「本気かよっ!」 思わず声が出た。分かっていたのに。
俺はいち早く、トイレを踏み台に上へと逃れていた。
この展開、予知はできていた。でもな、ホントにやるかよ、こんなことっ。
(B級ホラー映画じゃあるまいし……) 位置が入れ替わり、背後から騎士を見た俺の感想はそんな感じだった。
その鎧姿は間違いない。アナスタシアだ。だが、頭にはフルフェイスの兜を被っている。
こちらを振り向く完全武装の鎧騎士。その腰の剣を抜かないのは、慈悲か、それとも偽物だからか。
そんなことを確認するまでもなく、俺は逃げ出す。だが、騎士は俺に突進してきた。
鎧を着ているはずなのに、とんでもなく素早いタックル。
剣道と、柔道の心得は多少あっても、レスリングは無い。俺はトイレの床に組み伏された。
女とは思えない凄い力。跳ねのけるどころか、身動きが取れない。肺が潰れる。息ができない。
(このまま、殺される……?) だが、なぜ、何のために……。何も分からない……。
……くそっ、女相手と油断した。最後の手段をここで……使わざる負えない、のか……。
”ガチャリ” と、音がした。見知らぬ男がドアを開ける。そして生まれる、一瞬の空白──。
そうだった。ここは、カフェのトイレ。いつ人が入って来てもおかしくない。そういう場所だ。
だが、男に助けを呼びたくても、手足は動かず、声も出ない。
「ぅ……」 助けを呼びたかったのは、男も同じだったらしい。
数瞬の戸惑い。そして、トイレの床で組み合う俺たちを、見て見ぬふりをするかのように、慌ててドアを閉め直した。
”ガチャンッ!” その勢いよく閉じたドアの角が、顔を上げた彼女のフルフェイスに引っかかった。
”カン、カン、カン──” と、兜が脱げ床に転がる。薄れゆく意識の中、最後に視線が合った。
全身鎧の中身は、正真正銘、まごうことなきあの時の女、アナスタシア。
その眼光は鋭く、そして銀色の髪によく合う白い肌が、徐々に赤くなる。──赤くなる?
「ぅ~~~~」 怯えた子犬のような声が聞こえる。どこから?
その声の出所を探し当てるより早く、サッと彼女は立ち上がると、そのままトイレから走り去った。
拘束が解放され、俺はやっとのことで身を起こした。その後を追う余裕などなかった。
「何でぇ、アイツは。顔真っ赤にして飛び出してったぞ」
俺にとっての命の恩人は、ドアの向こうで笑っていた。
アナスタシアを、男だと思ったのか。そりゃそうか、男のトイレから出て来たんだ。あの風体だけを見たなら、無理もない。
ん──? ならなんで、フルフェイスが脱げただけで、出ていったんだ?
俺は辺りを見回し、転がる兜を拾い上げた。
彼女の残した痕跡は、このフルフェイスの兜と、破壊されたドア……。ひとつ、息が漏れた。
俺は、アナスタシアの代わりに店主に頭を下げて、その店をあとにした。その手に、兜と請求書を持って。
祭りは──。いや、もうどうでもいい。
最悪だ。俺は一刻も早く、トイレの床に組み伏せられた体を洗いたかった。
しかし、帰路に向かうその途中で、黒髪の少女が俺を待っていた。
そうだな。黒幕は、”じゃない方”。これも、何回と使い古されたオチだ。
「ナーシャは、泣いていたよ」 マルガレーテの第一声。
俺は、なんかもう、どうでもよくなっていた。
「ああ、泣かしてやったよ。やられっ放しの訳にはいかないからな」
他に言いたいことは山ほどあったが、ここは強気なセリフで押し通す。無駄な時間は不要だ。
「──そうかい」 それだけ言って、彼女は両手を差し出した。
抱っこ──じゃあないよな。やり取りからも、それはない。ああ……、これか。
俺は、アナスタシアが残したフルフェイスを返した。
「そっちの手のやつも、貰おうか」 彼女は兜を抱えて、更に片手を差し出した。
「代わりに頭を下げた分は、負けといてやる」 ドアの請求書を渡す。
両手に兜と請求書を抱えて、マルガレーテは背中を見せた。
「君は、見込みがありそうだ」 その小さな背中越しの声。
「明日、生徒会に顔を出し給え。君に、この世の真実を教えてやろう」
俺はそのまま、彼女が去っていくのを見送った。
──この世の真実とは、大きく出たな。あんな小さな体のくせに。
自然と、顔が緩んだ。何故だろう。馬鹿らしかったのか、それとも、この学院でようやく、「勝てた」からか。
自分でも分からなくなって、可笑しくなって、笑った。今日までの敗北のことなど、綺麗さっぱり忘れて……。




