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第3話 鞘楯誠は、エージェントである(3)

 ──無様だ。


 俺は、なぜ生きている。なぜ殺されなかった……。

 いや、そんなこと、分かっているんだ、俺は、ただ、認めたくないんだ。


 俺には、その価値も無い──あの二人はそう判断した。それだけの事。


 もうとっくに日は落ちたというのに、俺の脳裏には、二人の視線がまだ離れない。

 例えるなら、二人の瞳はサファイアとエメラルド。その最高峰の宝石からしてみれば……俺は、屑石に過ぎなかったというわけだ。


 何とも滑稽な話じゃないか。

 正体を知られたエージェントが、その不手際を埋め合わせるためにターゲットを狙い、まんまと敵の誘いに嵌る。

 本当に、笑える。擦り倒されたB級映画のシナリオだ。


 そして俺はそれ未満の、映像化すらされなかった、落ちこぼれのC級(ポンコツ)エージェント。

 無様に醜態をさらした俺に、もうこの学院に、残る資格は無い。すぐにでも、お役御免となるだろう。


 ならいっそ、自分の手で──。

 全てを諦めた俺は、見慣れた寄宿舎の天井を見上げた。

 シミひとつない、手入れの行き届いた、そして退屈な天井。そんなものを、できればずっと眺めていたかった。


”ドーーン……!” 突然、大きな音が天井を揺らした。

 ──何の音だ? 天井鑑賞を邪魔された俺は、反射的に音のした方を見た。

 すると、窓から差し込む七色の光が顔を照らし、同じ音が再び響いた。


 花火? なぜ? 俺は窓を開け、外へと目を向ける。

 ああ、そうか。ちょうど今日は、帝国都市祭の開催日だった。

 

 外を歩く人々はみな楽し気で、大きな声て笑っている。

 気楽なもんだな、俺の任務のことなど、何も知らない大人たちは──。

 俺はしばらく、窓からその花火を眺めた。大したことじゃない、天井よりは花火は綺麗だった。ただ、それだけだった。


 それからしばらくして、俺は、寄宿舎を抜け出し、帝国都市祭の会場へ足を向けた。


 自分でも、どうしてそんなことをしたのか、分からなかった。

 何か目的があったわけじゃない。最後の思い出、それも違う。しいて言うなら、これは──運命。

 落ちこぼれた男の最後の運命が、どこに行き着くのか。俺自身が見てみたくなったのかもしれない。


 寄宿舎から続く石畳は、当時を再現して荒いまま。それを照らす街灯も、LEDなんて使っちゃいない。

 ローテンブルク・オプ・デア・タウバー。ここは、現代に中世の街並みを再現させた虚構の街。

 その街では、毎年この時期になると、ゲオルク・ヌッシュの伝説を讃える帝国都市祭が開かれる。


 虚構の都市の虚構の物語が、俺の運命を終わらせる、か。──それも、いいかもしれないな。


 街を進むと、中世の服装をした住民たちとすれ違った。

 それは、ハロウィンの仮装と一緒。祭りに浮かれた人たちの、悪ふざけだ。

 だが、そのために作られたこの街に、そんな人間が溢れれば、本当に中世の世界に迷い込んだ気持ちに誘われる。


 よくできた偽物が、本物の力を宿す──それが、この街の魔力。


「おや? こんなところに、我が学院の生徒が紛れ込んでいるじゃないか」

 その声は、人ごみに紛れた当人に、背後から聞こえるように放たれた。


(早かったな──。思ったよりも、ずっと)

 俺は足を止めた。ひとつ、息を吐く。C級エージェントの逃走劇なんて、こんなものか……。

 そして、ゆっくりとその声の方を振り向いた。


「君は──二年の鞘楯誠君だね。こんなところで、何をしているのかな?」

 俺の顔を見上げてくるのは、町娘の格好をした黒髪の少女だった。


 ──誰だ、こいつは?


 てっきり、教師に見つかって、連れ戻されると思っていた。

 だが、こんな小柄な教師は見たこともない。俺と同じ珍しい黒い髪は、記憶にも残るはずだ。

 しかし、ならば──どうして、俺の名前を知っている? それに、「我が学院」と言わなかったか?


「そこの者。マルガレーテ様の質問に、速く答えなさい」

 隣の騎士の格好をした奴が、俺に刺すような視線を送る。少女の保護者のようにも見える身長差。

 いやそれ以前に、男かと思っていたその出で立ちから意外にも、凛とした水晶(クリスタル)のような声が響いた。


 この謎の少女に”様”付けとは──ますます、何者なんだ、こいつは?


「……はい、鞘楯です」 だが、黙ったままというわけにもいかない。

「楽しそうなお祭りに、つい寄宿舎を抜け出して来てしまいました」

 ここで取り繕ってもしょうがない。少なくとも、祭りを見に来た動機の部分に嘘はない。


「そうかい。では、帝国都市祭を楽しんでくれ給え」

 黒髪の少女は、軽い調子でそれだけ言うと、俺の横を通り過ぎる。


 ──それだけ? 何のお咎めもなく?


 彼女の正体だけでなく、何故、声をかけられたのかも分からない。

 この無意味なやり取りに呆けていると、意外にも、騎士姿の方から声をかけられた。


「自由な精神や個性を尊重する校則には門限もない。ただその代わり、決して破ってはいけない決まりが、一つある」

 職務上の義務を果たすような、冷たい響きの説明言葉。

RoTIA(ロティア)で過ごす三年の間、この街を囲む城壁を超えて、外に出てはいけない」

 それは、俺の行動を抑止する警告だった。


 言われるまでもない。最初からそんなつもりはない。──今までの俺だったなら……


 だが、騎士の言葉は、それだけでは終わらなかった。

「だけど──あなたには、いらぬ世話ね。そこまで踏み込む勇気など、持ち合わせてなどいないのだから」


 顔が固まる。いきなりのことに、理解が遅れる。

 ──何だってんだ。何でそこまで言われなくちゃならない。

 騎士を睨む。しかし、相手はこちらを見向きもしない。


 俺は分かっていた。この憤りの源泉を。

 心の内まで見透かされたからだ。その水晶の刃に脳天を割られて。


 ──お前は、俺の何を知っている?

 悔しさに、俺は拳を握り込んだ。


「アナスタシア~」 そこに、銀髪の騎士の名を呼ぶ少女の声。

 騎士は少女の背を追って去っていく。絶えず無表情だったその顔に、笑みが零れたように見えた。

 残された俺は、拳を握ったまま、何も出来ずただ立ち尽くしていた。


 ──何だったんだ、今のは……。


 その口ぶりや態度から、おそらくは学院関係者。しかし、教師ではない。

 にもかかわらず、外を一人でぶらつく学院生に、校則を指導するような立場の人物。

 この短いやり取りから推理するに、今の二人は──生徒会、か。


 おそらく、そう。それが最も可能性が高い。

 だが、そうだとしても、そうでないとしても、だからなんだというのだ。

 今の俺には、もう何も関係がない。いや……正確には、明日にはもう、関係がなくなる。

 ぶつける相手のいなくなった拳を、自分の顔に当てる。


 ──だがなぜ、マルガレーテは俺の名前を知っていた?


 なのに、そんな些細な疑問が引っかかる。もうどうでもいいことのはずなのに。

 生徒会だから、学院生の顔と名前を憶えていたのだろう。心の中で、そう言い訳をする。

 だからって、そんなことあり得るか? 心の中で、そう問いただす。


「……祭りどころじゃないな」 俺は諦めた。

 たったあれだけの、短いやり取り。そこで交わした、僅かな言葉。理由は、この握った拳、ただそれだけ。

 それだけのことが、俺に祭を楽しむことを諦めさせた。


 あの二人の正体を探る。──あの騎士の顔、絶対に忘れない。

 握った拳に、再び強く力を込める。エージェントとしての、燻ぶっていた誇りに、あの二人は火を付けた。


 いいだろう──。この任務(ミッション)を、俺の最後の仕事にしてやるさ。


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