第36話 マルガレーテ・ナハトシャッテン は、真実を妨害する(6)
「カイン! 大丈夫!?」 どこからか、ロッカも駆けつけてきた。
普段冗談を言い合っているときには見せない、とても狼狽した顔をして。
「ああ、この通り。平気だよ」 カインは斬られた左手を何度も握ってみせる。
籠手の下から滲む赤色は、ロッカを安心させるより、むしろ呆れさせていた。
相手との力量差を悟り、一瞬の攻防の中、鎧を武器としたカインの機転は素晴らしいものだった。しかし、それすらも凌駕したアナスタシアの剣は圧倒的だった。
カインは本気だった。本気でアナスタシアに勝とうとした。だから、アナスタシアも手を抜かなかった……。
この勝負の裏にある二人の意思は、俺を酷く悩ませた。
「さぁっ! 次の挑戦者は!」 マルガレーテは観衆を煽る。その声はいたずらにざわめきを生んだ。
この決闘に参加するつもりなどない者。冗談半分に仲間に挑戦を促す者。マルガレーテへの不満を口にする者。
その誰もが名乗りを上げなかった。俺も、例外ではなかった。
この会場に、血が流れた。それはあまりに大きな問題だった。
大怪我にならずに済んだのは、カインほどの力量があったからだ。危険過ぎる代償は、願いの対価に釣り合わない。
騎士の誰もがそう考えた。
「君たちはまさか、血を流す勇気もなく願いを叶えられる、と思っているのか──」
そんな考えを見通すように、マルガレーテはさらに煽った。だが、それは逆効果だった。
この会場に描かれる時代では当たり前だった価値観は、現代ではもう通用しない。
ごっこでなら映えもする古式の決闘も、実際に命を賭けるとなれば、進んでやる馬鹿なんていない。優秀なRoTIAの生徒なら尚更だ。
彼女の狂気に、会場が醒めていくのを感じた。
マルガレーテ自身が、その空気に落胆を見せたその時──ひとり、静かに壇上に上がる者がいた。
それは、騎士ではなかった。彼女の登場に観衆は沸き立つ。だが、俺は唇を噛んだ。
「──まさか、騎士でなく姫が立つとは……手加減は無し、だよ」
マルガレーテは、その赤いドレスを着た彼女を見て笑っていた。
余興を終わらせずに済んだためか、それとも、仕掛けた罠に思い通りに食いついて来たからか、どちらとも分からなかった。
「さあ、リリー・コンスタンス。君の願いは何だい──?」 壇上の、マルガレーテは問う。
「……オスカーを返しなさい」 リリーは絞り出すように呟いた。
隙あらば、勝負など関係なくマルガレーテに飛び掛からんとするほどの気迫が溢れている。
その彼女を咎めているのは、マルガレーテの約束と、アナスタシアの剣だった。
──決闘が始まる。
俺は止めることができなかった。左手でサーベルを握り構えるリリーを。
その状態で、あのアナスタシアを相手に勝ち目など、あるわけもないのに……。
最初に打ち込んだのはアナスタシアの方からだった。容赦のない力強い攻撃が、リリーを襲う。
鎧を纏っていない彼女を守るのは、サーベルのみ。それも、利き腕ではない左手に握られた。
──マルガレーテ。いくらお前でも、これだけの大衆の面前で、命を奪ったりはしないだろう。
俺は、この勝負が一瞬で終わることすら願っていた。
”ギャリン──!” リリーは寸前で、アナスタシアの攻撃を弾いた。だが、それがやっと。
アナスタシアの力に姿勢は大きく崩され、とても反撃には繋げられない。隙だらけとなったリリーに、好機を得たのはむしろアナスタシアの方だった。
だが──アナスタシアは追撃をしなかった。体勢を戻し、リリーが剣を構え直すのを待った。
一瞬の静止。しかし、すぐさまリリーは攻勢にでた。
敵から掛けられた情けは屈辱──それを晴らすかのように、あらん限りにサーベルを振るう。
”ギィン!、ギィン!、ギィン!……” 力強い金属音が何度も鳴る。
だが、リリーの連撃は、一つとしてアナスタシアには届いていなかった。そのすべてを、彼女は余裕を持って捌き切った。その気になれば止めを刺せる、十分な機会を何度も逃して。
……そういうことか、マルガレーテ。この決闘のルールは、”最初に血を流した方が負け”。ならば、血が流れない限り勝負は続く。なんて残酷なことを考えるんだ。
これは公開処刑だ。生徒会の力を誇示し、歯向かうリリーを見せしめとするための。
──もう止めろ、リリー……君に勝ち目はない。
しかし、俺の願いが届くことなど有り得なかった。
ただひたすらに繰り返される攻撃から、彼女の輝きは消え失せていく。何度仕掛けようと、精彩を欠いた攻撃がアナスタシアに通じる訳もない。
それでも、まだ諦めない彼女から漏れる荒い呼吸音と、衝突音が合わさって、光景は異様なものに変わっていった。
「リリーを止めて……」 隣で見ていたロッカが、俺に懇願した。
だけど、俺にはできなかった。ロッカの期待に応えることが、どうしてもできなかった。
関係ない。リリーはもう、俺の最重要任務じゃない。どうなろうと、関係ない。
彼女だって、俺の助けを得られないのを承知で決闘に臨んだはず──
俺は言い訳ばかりを考えていた。だって……ああ、俺は怖い。アナスタシアが。彼女の前に立つのが。
「ねぇ、誠。あんたは、それでいいの!?」 動こうとしない俺に、ロッカは不満をぶつけた。
彼女の叱咤と、リリーの戦う姿は、俺を一掃惨めにさせた。
俺はこんなにも、弱く、臆病で、矮小な存在だったのか──いっそ、ここから逃げ出してしまえば、どんなに楽だろう。
「──私が参りましょう」 突然、俺の背後から声がした。それは、サーベルを手にしたマリーだった。
彼女の差し出した手は、俺にとって救いだった。──ああ、マリー。君はいつだって。
リリーに勝ったことのあるマリーなら、あるいはアナスタシアにも勝てるかもしれない。そんな打算が頭を過った。
でも……だけど……。ほんとうに、いいのか──? それで?
──ああ、怖いよ……。でもな。それでも……。俺は、何だ──言ってみろよ、鞘楯誠。
お前は──エージェントだろうがっ!!!
俺は、前を通り過ぎようとしたマリーの肩を掴んだ。何も言わない俺を、彼女はその所作だけで理解してくれた。
「いってらっしゃい」 マリーは、手にしていたサーベルを差し出した。
「行って来い! 鞘楯誠!」 ロッカは、そんな俺の背中を押した。
俺はサーベルを手に、舞台へ駆け上がった。俺を突き動かすもの、それは……
──リリー・コンスタンス……お前は、俺の──!




