第35話 マルガレーテ・ナハトシャッテン は、真実を妨害する(5)
スー・ジンは、たった一つの嘘だけで、すべてを破壊した。
俺の覚悟を粉々に打ち砕くだけでなく、これまで積み上げてきたすべてを、無慈悲に奪っていった。
「誠──!」 マリーが心配そうに駆け寄ってくる。
──止めてくれ。俺は君に合わせる顔がない。”任せて”と、言っておきながら、こんな様……
俺にはもう、君と踊る資格など無い。
”ガシャンッ──!” 彼女が手を伸ばした瞬間、会場のすべての照明が落ちた。
一切灯りの無い暗黒が広がる。まるで俺の心を映すかのように。すぐそばにいたマリーすら、どこにいるか分からない。
音楽は止まり、代わりにどよめきが広がる。それに紛れて、悲鳴のような声も小さく上がった。みんな、突然のことに混乱していた。
ああ、これは間違いなく、生徒会の仕業──闇に乗じ、何か仕掛けるつもりなのは、分かっている。分かっているのに……俺は動けなかった。
”──カッ!” 天井から、一点に光が落ちた。スポットライトが照らすその光は、壇上に立つ一人の少女に当てられた。
闇の中にただ一人影を持つのは、生徒会長マルガレーテ・ナハトシャッテン。このダンスパーティーの主催者だった。
「──生徒の皆さん、【ナイト&プリンセス 仮装ダンスパーティー】にようこそ」
皆が動きを止め静まり返る闇の中、その第一声は良く響いた。それは、これが演出であると知らせる。
「マリー=バレリアンヌ。このパーティーに花を添える、素晴らしいダンスをありがとう」
彼女の拍手に合わせ、マリーを讃える拍手が闇の中からも上がった。
だが、口にした感謝の中に、俺の名は無かった。当然、か。見る奴が見れば、分かることだ。
「さあ、パーティーはまだこれからです。皆さん、存分にお楽しみください──」 その姿と共に、ライトは消えた。
──それだけ? 馬鹿な。何をしに出てきた。
いや、馬鹿なのは俺だ。何を置いても狙うべきは、マルガレーテ。千載一遇の好機だった。それなのに、俺は……。
「しかしながら──折角集まってくれた騎士と姫たちだ。ダンスだけでは勿体ない」 闇から声だけが響く。
「そこで、一つ余興を用意させてもらった」 別の位置にライトが灯る。
その光が照らすのは、生徒会副会長アナスタシア・イスクレノヴァ。帝国都市祭でみた全身鎧を纏った凛々しい姿に、黄色い声が上がった。
「ここにいる、副会長のアナスタシアと決闘して勝った者には、どんな願いも一つ、叶えてあげよう──」
少しの静寂の後、マルガレーテの言葉は、地鳴りのように徐々に会場を沸かせた。
──そういうことか、マルガレーテ。お前がやりたかったのは、これか……。
全生徒を巻き込んでの公開決闘──ここで決着をつけようというのだな。
『どんな願いも』なんて、とても額面通りには受け取れない言葉だ。だが、あのマルガレーテが言うと、得体のしれない真実味がある。部外者を巻き込むには、これ以上の餌は無い。
しかし、そのために乗り越えなければならないのは──あの銀髪の騎士。
俺が今、最も避けたい人。そして──絶対に避けては通れない宿敵となった人。
「よっしゃ! 俺がやるぜ!」 どよめきの中、聞き覚えのある一人の男の声が響いた。
誰よりも早く大声で名乗りを上げたのは、自前の鎧を着たカイン。彼は勢いよく壇上に駆け上がると、アナスタシアの前に立った。
カインの挑戦と共に、壇上が明るく照らされた。するとそこには、それまで無かった決闘の舞台が姿を現した。
「勇気ある挑戦者よ、ありがとう。君のような真の騎士のために、古式に則った決闘方式を用意した──」
その舞台は、バレエのボレロを思わせるような真っ赤な円台だった。どう見ても、決闘者の二人が対峙するのでやっと。動き回るほどの余裕もない。
”古式の決闘”とは、互いの剣が確実に届く至近距離での斬り合い、を意味していた。
「この決闘のルールはシンプルだよ。最初に血を流した方が負け。いいかい?」
カインに確認を取るマルガレーテの言葉に、本人よりも、周囲がざわついた。
ダンスパーティーに血が流れるなんて、普通に考えたらあり得ない。それは真っ当な反応だ。だが、カインは黙って力強く頷いた。
──この勝負は、危険だ。
カインはあれで強い。たぶん、俺よりも。だが──それ以上に、アナスタシアは強い。
礼拝堂でリリーと斬り合った姿が脳裏に過る。
かすり傷程度で済ませる度胸試しだ、とカインは思っているのかもしれないが、どうなるか分かったもんじゃない。
俺は暗がりの中、人ごみをかき分け、止めさせるために壇上に向かった。
「カイン・アンヘル。君の願いは何だい──?」 壇上の、マルガレーテは問う。
「そうだな……アナスタシア・イスクレノヴァ。俺と、付き合ってくれ」
問いの答え、カインの願いは、俺の足を止めさせた。疑問、意外性、どちらでもない。
カインの告白には、笑いと、冷やかしと、罵声と、拍手が飛び交った。
俺は、そのどれもに賛同できなかった。カインを応援することも、かといって、止めることもできなくなった。
カインは、マルガレーテからサーベルを受け取った。その手に握られたサーベルは、光を反射して眩しく輝いていた。
真紅の円台に二人が立つ。
告白をした相手に刃を向ける。相手もまた、その返答として刃で返す。
もし、カインの願いが、アナスタシアの願いでもあるのなら、この決闘は成立しない。だから、この決闘が意味するのは──
最初の一閃は、カインからだった。
手加減など一切しない──そう宣言する、アナスタシアの顔を目掛けた一撃が走る。
彼女はその刃を、難なく弾いた。そして受けた勢いをそのままに反撃に転じた。
鋭く伸びるサーベルの切っ先が、カインの顔に向けられる。
お返しと言わんばかりのその一閃は、早い決着を予感させた。──が。
”ギィィン──!” 飛び散ったのは血ではなく、火花だった。
カインは、籠手を付けた左手でアナスタシアのサーベルを殴りつけた。軌道を変えられた切っ先は、彼の顔を逸れ通り過ぎた。
鎧を用意していたからこその戦法。にしても、無茶な戦い方だ。だがそれが、彼に千載一遇の勝機をもたらした。
腕が伸び切り、体勢が整っていないアナスタシアの顔目掛け、カインの一撃は再び走る。
守るものが無くなった彼女の顔を、傷つけてまでも手に入れたいカインの願いは、叶うかに思われた。
”ヒュルン” と、アナスタシアは真剣勝負の最中だというのに、そっぽを向いた。
──ように思われた、次の瞬間。彼女の後を追うように、赤い血が円台に飛び散った。
「ッ──!」 カインは、その場に蹲った。それは、あっけない決着の証だった。
歓声と悲鳴が同時に上がった。しかし、何が起こったのか、誰にも分らなかった。
唯一、滴る血の出所が何が起きたのかを物語る。彼は左手を押さえていた。狙われたのは、籠手を付け武器とした左手だった。
「大丈夫か」 俺は、壇上から降りて来たカインのところに駆けつけた。
「ああ、鎧のおかげだな。傷も残んねえよ」 彼は強がってみせた。
だが、その表情は普段の陽気さとは、かけ離れたものだった。それは敗北以上に、この決闘が意味していたことが何なのかを、痛感させていた。
俺は、それ以上何と声をかけていいか、いや、何を言うべきか、分からなくなった。
「さて、次の挑戦者は誰かな──」 壇上で、マルガレーテは問う。
この戦いを見た後で、誰も名乗りを上げる者はいなかった。
俺は──まだ、迷っていた。カインほどの決断ができずにいた。
今この時こそが、エージェントとして任務を果たすべき時だというのに……。




