第34話 マルガレーテ・ナハトシャッテン は、真実を妨害する(4)
会場はすでに多くの生徒が集まっていた。
それぞれに騎士と姫の装いを揃えて、思い思いにダンスに興じていた。
そんな彼らを照らすのは、どこから用意したかも分からない巨大なシャンデリア。近代的だった講堂は、ワーグナーのオペラを思わせる舞台に置き換わっていた。
俺は、すぐには動き出さなかった。
できることなら、会場となる講堂の様子を事前に把握しておきたかったが、扉は硬く閉ざされ、関係者以外の立入りは許されなかった。
となれば、仕方ない。開場すぐの行動は控え、なるべく目立たずに敵中に飛び込むしかない。
叶うなら、マルガレーテの姿を確実に捉えてから動き出すのが望ましい。だが、生徒会も馬鹿ではない。そんなことは許さないに決まっている。
それに、今回は単独行動ではない。俺の行動にも制限がつく。協力関係にあるとはいえ、信頼できる仲間とは呼べない者たちとの任務達成には、きっと困難が待ち受けるだろう──。
会場近くでマリーを待つ間、俺は考えを巡らせていた。あまりいいアイディアは、浮かばなかったが……。
「誠──お待たせ致しました」 突然の背後からの声──。俺はすぐに振り向いた。
その目に移ったマリーの姿は、そんな俺の姑息な考えを、ものの見事に打ち砕いた。
煌びやかなドレスを身にまとい、髪までセットし直した姿は、本当にプリンセスのようだった。
いや、訂正しよう。それもそうだ、マリーは本物のプリンセスなのだ。優雅で、気品に満ちたその姿は、否応なく周囲の視線を集めていた。
そうだ。俺は彼女に声をかけた時点で、覚悟しておくべきだった。隅に隠れて目立たぬようにコソコソと、などという作戦を彼女が了承するわけがない。
正々堂々、正面突破──マリーに、それ以外はありえないのだ。
俺は、晴れやかにほほ笑むマリーの手を取り、ダンス会場の扉を開けた。
そしてそのまま颯爽と、会場中央を陣取る。すぐに、ワルツが鳴った。まるで、俺たちのためだけのように──
音に合わせて一歩踏み出す。もうこの歩みは止まらない。引き返すこともできない。
俺は多分、緊張していた、この瞬間を。体のどこかに、無意識に恐れが現れていたのかもしれない。
”──大丈夫。任せて” マリーは耳元で囁いた。そして、優しくその手を握り返した。
その手が示す。俺の行く先を。まるで舵を取るように、微細な手の感触が、俺を導いた。
右、左、ここでターン。そして、一回転──俺の動きのすべてを掌握していた。
マリーのダンスは見事だった。ただ、上手いというだけではない。
当たり前のことだが、二人で踊るダンスは、常に目の前に相手がいる。ただ、上手いだけで相手を置き去りにしたのでは、成り立たない。
俺もエージェントとして、ダンスの心得は身に着けている。だが、マリーはその俺の技量を瞬時に見抜き、俺に合わせて踊っていた。このダンスの支配者は彼女であるのに、男である俺がリードしているように装って──。
曲が終わった時、会場に拍手が上がった。誰しもが、踊っていたはずなのに上がったそれは、俺たちに向けられたものだった。
そして、すでに開演していたはずのダンスパーティーにそれは、一番の歓声を連れて来た。
それは、この場の支配者が誰なのかを告げる、高潔なる宣戦布告に他ならなかった。
”ありがとう。マリー” 耳元で感謝を伝えた。
本当に、マリーを選んでよかった。俺に足りなかった覚悟を、彼女は見せつけてくれた。
生徒会も、ここまでの事をされたら、無視はできないだろう。──それでいい。それこそが、生徒会の企みを打ち砕く雷槌の一撃となるのだから。
二曲目のワルツが鳴る。
一曲目は、生徒会に向けた挑発だった。だが、この二曲目には感謝を込めて、俺はただマリーのためだけに捧げた。
彼女に傅き、彼女を守る、騎士として──。
その二曲目が終わった時、一曲目以上の割れんばかりの歓声が巻き起こる。次の曲を始めるのが困難になるほどの。
──己惚れちゃいない。その拍手が誰に向けられているのか、よくわかっている。
俺はその空白を利用し、主役のために周囲に向けて一礼した。その間、主役は俺の手を決して離さなかった。次の曲も当然のように俺と踊るために。
だが──それは許されなかった。
ちょうど生まれた静寂に、見覚えのある黒いドレスが、俺の視線に侵入した。
ああ、それは俺が選んだ黒いドレス。そして、着ているのは言うまでもなく──『図書館の麗人』スー・ジン。
彼女は俺たちのダンスを妨害するように、立ち塞がった。
「どういうおつもりですか──?」 マリーは権利を侵害され、不機嫌に尋ねた。
「……うん。彼を貸してくれないか?」 スー・ジンは穏やかに、ただそれだけを要求した。
だがそれは、表面上は平静を装っていたマリーを激怒させるのに十分だった。
「──『図書館の麗人』スー・ジン。その御噂は、耳に届いています。聡明な貴女なら、御自身がなさっていることが、どれほど破廉恥か、お分かりではなくて?」
しかし、その強い言葉を前にしても、スー・ジンは引き下がらない。
「ああ、彼が帰れというのなら、すぐに立ち去ろう。そんな破廉恥な男には、用はないからね」
マリーから簡単に目を逸らし、俺を見据えた。
もう少し、搦め手を使ってくると思っていた。こんな風に正面切って姿を現すとは、思っていなかった。
あるいは、マリーの蹂躙が、生徒会にも火を付けたか。俺たちは、やり過ぎたのかもしれない。
──ああ、その方が好都合だ。それをこそ、待っていたのだから!
生徒会が強引に介入した今この時こそ、千載一遇の好機。必ず、スー・ジンを仕留めてみせる。
「マリー……。必ず、戻ってくるよ」 俺はマリーから手を離した。
だが、その腕を彼女は掴んだ。痛いほど強く。その意味は、言葉にしなくても十分に伝わった。
”──大丈夫。任せて” マリーの耳元で囁いた。そして、優しくその手を解いた。
三曲目が始まる──その曲は、スローワルツだった。
スー・ジンの手を取ると、ゆったりと大きく、一歩を踏み出した。
マリーのダンスは、俺の感性を引き上げていた。たとえそれが敵だろうと関係なく、俺はダンスをリードした。
「信じていたよ。君は、約束は守る男だと」 彼女は俺の腕の中で呟いた。
「──何を狙っている?」 ステップを踏みながら、俺は彼女に問う。
「狙い……か。最初はね、お嬢ちゃんに頼まれた」
「やっぱり、最初からだったんですね」
「ああ、面白い子がいて、引き入れたいから手を貸して欲しい、と言われてね」
「……酷い人だ。俺を弄んで楽しかったですか?」
「それは──秘密かな。君にも、人に言えない秘密の一つや二つはあるだろう?」
「──。どうして生徒会に手を貸すんですか?」
「それは、私が生徒会役員だからだよ。……でもね、実は今は違うんだ」
「どう違うんです──?」
「あのラブレターの返事に、私は心を打たれた。君を渡すのは惜しくなった……」
「────」 最後の言葉に、俺は何を言うべきか分からなくなった。
あのラブレターは、スー・ジンに宛てたものではない。彼女に書かされたものではあるが。それを理由にされても、俺はどうしたらいいか分からなかった。
そして──彼女もそれ以上、何も言わなかった。
曲が終わる。足を止めた時、手を離したのは彼女の方からだった。
それは、約束を果たした俺に、これ以上を望まない意思表示でもあった。しかし──
「──君に一つ、嘘をついた」 この時を待っていたかのように、言葉を継ぐ。
「あの嘆願書は、確かに──アナスタシアのものだよ」
……──!! その一刺しは、俺の心臓に深く突き刺さった。
血液が逆流する。呼吸が浅くなる。その場に立っていることすら、ままならなくなった。たったそれだけの一言で、周囲の声も、顔も、ぼやけ遠くなった。
それほどに、スー・ジンの嘘は、致命の毒を孕んでいた。
そんな俺を残し、黒いドレスは消えるように去って行った。俺はその影だけを、ただ睨みつけることしかできなかった。
この嘘を解毒できるのは、彼女ではないというのに……。




