第33話 マルガレーテ・ナハトシャッテン は、真実を妨害する(3)
ただ、ただ、無様だった。
スー・ジンを卑怯と罵ることも、憎しみに身を焦がすこともなかった。俺の中に芽生えた感情はむしろ、真逆だった。
敵の手際の見事さに、感動すら覚えた。明確な、エージェントとしての敗北だった。
最初の、あの図書館での出会い──
もしあの時、スー・ジンが殺意を持って俺に接していたのなら、ワセリンに遅効性の毒でも仕込ませて、それで終いになったはずだ。
しかし、彼女はそうはしなかった。それどころか俺に情けをかけ、”ダンスの約束は楽しみにしている”、とまで言ってのけた。
──屈辱。今の俺は、彼女の”お情け”で生かされている。
今にして思えば、おかしなところは、いくらでもあった。美術室もそうだ、あのラブレターの一件もそうだ。
『図書館の麗人』スー・ジン──俺を弄んでいただけ、なのか……。いやそれも、もうどうでもいい。彼女は生徒会側だ。それだけのことだ。
この学院に来て、敗北の屈辱はこれで何度目だろう。
エージェントとしてこの学院に潜入したはずの俺が、一般の女生徒たちにこれほど翻弄され続けるなんて……。
拳を握りしめる。歯を食いしばる。
ああ。だが俺は、その度に、這い上がって来たはずだ──。
これまでの敗北が、俺を強くした。敗北は、もう俺を止める障害にはならない。
──いいだろう……スー・ジン。俺を生かしたことを、必ず後悔させてやる。
俺は衣装を取ってクラスに戻ると、すぐに行動を開始した。
「マリー。このあとのダンスパーティー。ぜひ、俺と一緒に来て欲しい」
教室に残っていたマリーを見つけると、迷わず駆け寄り声をかけた。
何の躊躇もなかった。今、置かれている状況を、素直に認めなければならなかった。
あの生徒会三人を相手に、俺一人では勝ち目はない──その冷徹な分析が、俺を動かしていた。
マリーには、生徒会など眼中にはないのかもしれない。けれど、俺には君の力が必要なんだ。
「誠──。ええ、お受けします」 彼女は突然のことに驚くでもなく、とても落ち着いた表情を見せた。
有難い。正直引き受けてもらえる自信はなかった。彼女が俺に手を貸す理由を、俺は用意できていなかった。
「では、私も準備をいたしますので、またあとで、お会いしましょう」
そう言って、彼女は颯爽と教室から出ていった。その姿は、彼女の正体を知る者として、秘密を共有する者として、とても頼もしかった。
だが──まだだ。まだ足りない。ああ、打てる手はすべて打つ。
マリーを見送ったあと、俺にはまだやるべきことがあった。覚悟を決め、一度は決別したリリー・コンスタンスの前に立つ。
「リリー……」 しかし、声をかけた途端、彼女はすり抜けるように教室から出ていった。
──聞く耳持たず、か。
完全な拒絶。聞こえているはずの俺の声を露骨に無視する態度は、追いかけたところで無駄だと悟らせるのに十分だった。
できることなら、生徒会に合わせて人数を揃えておきたかった。だが、それも仕方ないか、彼女を拒絶したのは、俺の方なのだから……。
しかし──リリー。君は一人でどうするつもりなんだ……。
「──あのさぁ、なにやってんのよ。鞘楯誠」
リリーにそっぽを向かれた俺に、ロッカが絡んできた。
「見ての通りだよ。リリーも誘おうとしたんだけど、聞いてすらもらえなかった」
俺はありのままを話した。今、躊躇っている暇はない、取り繕う手間も惜しんだ。
「も、って……」 ロッカは呆れたように、大きくため息をついた。
「あのさあ、何考えてるわけ?」 彼女は俺に詰め寄った。
「せっかくだから、派手に騒ぎたいだけだよ。今日一日だけのパーティーなんだから」
俺は、虚勢を張りつつ誤魔化した。ロッカにはすべてを話してはいるが、これから始まるのは正真正銘の生徒会との決戦だ。その戦いに巻き込む訳にはいかない。
「大丈夫? カインに変なものでも飲まされてない?」 そんな俺の態度を、ロッカはいぶかしむ。
確かに、らしくないことを言ったかもしれない。でも、半分は本当だ。
生徒会は舞台を用意した。目的は見えないが、意図は見えた。折角だ。望み通りに付き合ってやる。
だけど──そうだな。君になら、リリーに伝言ぐらい頼めるか。
「ロッカ。君からリリーに、会場で待ってるよって。それだけ伝えてもらえる?」
ああ、それだけで十分だ。共闘はできなくとも、リリーは俺と同じことを考えているはずだ。なんとしても、マルガレーテを止める、と。だから、そのためにリリーが俺を利用するなら、それでいい……。
「ふん……、ま、いいけど。でも、条件が一つあるわ」 人差し指を立てて、俺に見せた。
──条件? この際だ、もう何でも言ってくれ。
「──その中に、私も入れてもらうから」 ロッカはすぐさま背中を向けた。
その表情は見えないまま、要求だけを押し付けて、リリーを追いかけて教室を出ていった。
ロッカ……。生徒会は確実に、このダンスパーティーで何か企んでいる。だが、そうか。もし、無差別に危害を加えるつもりなら、俺の傍にいた方が安全なはずだ。
それに、俺は彼女に一度救われている。案外、こちらの切り札となってくれるかもしれない。
俺が取れる手は、すべて打った。
時間も無く、とても盤石とは言い難いが──マルガレーテ。必ず、お前の企みは止めてみせる。たとえ、どんな罠が待っていようと……。
──そして、それぞれの想いを乗せて、ダンスパーティーの幕は上がった。




