第29話 マリー=バレリアンヌは、嘘を告白する(8)
今の俺にできることはなんだ──。
俺の状況は、リリー・コンスタンスに正体を見破られる前に戻ったと言っていい。ああ、任務の進捗についてもだ。
当然、このままではいけない。任務を遂行できないエージェントに、存在意義など無いのだから……。
だが、諜報においては、俺は成果を上げている。
生徒会と、それにかかわる人間の正体と目的──。手に入れた情報は無駄ではない。
であるなら、速やかに実行するべきなのだが、肝心な部分の情報が抜けたままだ。
俺の任務の最大の障害は、まさにそこだ。標的の尻尾を未だ掴んでいない。
いや──。ここは、正確に記録しておこう。掴んだはずの尻尾は、請求書に代わり、嘆願書に代わり、そして消えてなくなった。
マルガレーテ・ナハトシャッテン──。できることなら、あの生徒会長のみを標的としたかったが、出てこないなら仕方ない。
まずはマリー=バレリアンヌ。君から落とす。手足をもげば、頭だけでも動かざる負えなくなるだろう。
仲間になってくれると期待したこともあったが、仕方ない。マリー……。君と、決着をつけるべき時が来た──。
──「マリー。君との舞台を用意させてもらった。授業後、付き合ってくれるかい?」
朝、教室に入る前に待ち伏せし、彼女に声をかけた。理由は簡単だ。
リリーにも、誰にも聞かせられない。一対一の決闘に、誰の邪魔も入れさせはしない。
「そんなに急がなくても、よろしかったのに……」 彼女は目を丸くした。だが──
「ええ、喜んで。お付き合いさせていただきます」 俺の真剣な眼差しから、目を逸らさずにそう応えた。
話は決まった。俺はせめて最後に、彼女を教室までエスコートした。
明日──またこの教室に入れるのは、どちらか一人となるのだから……。
──俺が決着の場に選んだのは、彼女と上った市庁舎展望台のすぐそばにある教会。聖ヤコブ教会。
夕暮れ、誰にも怪しまれないように、二人別々に落ち合う手筈を整えた。
場所を決めたのは俺。だから、待ち構えるのは彼女。でなければ、フェアじゃない。
俺は、彼女が学院から出ていくのを見送ってから、教会に向かった。その矢先──意外な人物から声を掛けられた。
「鞘楯君。このような場所で会うとは、奇遇だね」 学院を出る直前に、俺はスー・ジンに捕まった。
確かに、図書館以外で彼女と会うことなど、これまで一度もなかった。だが、今はそれどころではない。
「そうですね。立っているあなたを見るのは、初めてかもしれません」
この人には、恩がある。”恩”と言えるのかは微妙だが、無下にはできない。
適当に話を合わせて、早めに話を切り上げて教会に向かおう。
「お出かけする予定かな。呼び止めて悪かったね。また今度、ゆっくり話しましょう」
そんな思惑を見透かすように、彼女の方から会話を終わらせた。彼女が聡明な人で助かった、これがロッカだったらどうなっていたか。
ただの偶然の巡り合わせは、ただそれだけの意味の無いものだった。
そのはずだったのだが……。彼女は言葉を付け加えた。 「──実は、私も生徒会に呼ばれているんだ」
──! なんだと……。
その最後の言葉を、俺は無視できなかった。探しても見つからなかった尻尾が、こんなところから……。
本当に、偶然というものは恐ろしい。
だが、部外者の俺が、 「連れて行ってください」 とは、頼めない。
彼女は聡明な人だ。この状況で呼び止めて、探りを入れれば、俺の考えを読まれかねない。
俺は平静を装って、一旦スー・ジンと別れた後、彼女を尾行することにした。
マリーには、恨まれることになるかもしれないな。
だが、生徒会まで辿り着くことができるなら、そもそもマリーと決着をつける必要もない。
どちらが重要なのかは明らかだ。そこに私情を挟むなどあり得ない。ああ、彼女からどれほど罵られることになろうと構わない。俺に迷いはなかった。
そのあと、スー・ジンは校舎の中に入っていた。俺は距離を取りつつ、その後を追った。
尾行といえば、あの帝国都市祭を思い出す。あまり、いい思い出じゃないが……。
あんなへまを二度とする訳にはいかない。たとえ対象が誰であろうと、油断したりはしない。
彼女が向かう先は、生徒会室ではなかった。
階段を上がり、上級生の教室を通り過ぎて、彼女が入っていたのは美術室だった。
あり得ない事──ではない。
スー・ジンは、図書委員長だ。生徒会から行事の装飾や、展示に意見を求められて、ここでそのデザインをする。そんなことがあっても不思議じゃない。
だがそれは、あくまで”普通”の生徒会であるなら、だ。
中で何が行われているのかは、この際問題じゃない。知りたいのは、マルガレーテがいるのかどうかだ。
ただそうなると、この学院の美術室というのは中々面倒な場所だ。外部から中の様子はうかがいにくく、気付かれずに進入するのは困難な構造になっている。
スー・ジンは、”生徒会に呼ばれた”、と言った。それだけでは、中にマルガレーテがいるとは限らない。
その確証が欲しい。それさえあれば、多少強引に踏み込んでも言い訳はできる。だが、もし生徒会に声を掛けられた者たちが集まっているだけで、マルガレーテがいなかったら、俺の立場はとても悪くなる。
特にスー・ジンからは、ストーカー容疑を掛けられるかもしれない。都合が悪いことに、無実だとは言い張れないことを俺は今している。
──さて、どうするか。
こちらが発見されることだけは、避けなければならない。俺は、中に入ることは一旦諦め、入口を監視できる離れた場所に陣取った。
生徒会の業務であるなら、他にも人の出入りはあるはずだ。そうでなくとも、スー・ジンが出て来れば、俺に掛けられた容疑は有耶無耶にできる。
──だが、どれだけ待っても、美術室の扉が開くことはなかった。
相手は、マルガレーテだ。ひょっとしたら今の俺の動きも、捕捉されているかもしれない。
どちらも先に動くのを待っている──我慢比べなら負けるつもりはないが、日が落ちてくれば、状況は俺に不利に傾くだろう。
刻一刻と、決断の最終期限は近づいていた。
そんなとき、美術室の扉は開いた。出てきたのは、スー・ジン。たった一人。
どうやら、俺は我慢比べに勝ったようだ。彼女の姿が完全に見えなくなるのを見計らって、美術室に踏み込んだ。
そこで俺は、生徒会の闇の深さを思い知った──。
美術室には誰もいなかった。生徒会も、他の誰も、人がいた形跡すら、何一つ残っていなかった。
──生徒会室のような隠し部屋がある? いや、それはない。
礼拝堂と違って、この美術室に大掛かりな仕掛けを作れる余地は無い。
ならば、スー・ジンは嘘をついた──いや、そうだとしても、彼女は確かにここにいた。それは間違いない。それだけでは説明がつかない。明らかにおかしいことが起こっている。
正規の生徒会の活動であるのなら、隠す必要はない。むしろ、隠すこと自体が不自然になる。
痕跡まで消し去る理由があるとするなら、それは──非正規の活動であるから……。
──『図書館の麗人』スー・ジンは生徒会側なのか?
──いや、ならなんで、スー・ジンは俺に態々あんなことを言ったんだ?
まるで、何一つ分からなかった。
彼女がここで何をしていたのか。生徒会がいたのか。俺の行動は察知されていたのか。
敵からの反応は何一つなく。俺は暗闇の美術室に一人残されていた。
マリーとの約束を裏切っておいて、何の成果も得られないとは……。
いや、ダメだ。なら尚更、俺は彼女から目を背けてはならない。今日の俺にはまだ任務が残っている。
この謎は、明日にとっておく。スー・ジン……できることなら、君を信じたい。




