第25話 マリー=バレリアンヌは、嘘を告白する(4)
次の日を、俺は新たな気持ちで迎えていた。
悩まされた難題から解放されただけじゃない。答えに至る過程は、俺に自分が何者であるかを再認識させてくれた。
もう何にも惑わされることはない。エージェントとしての確固たる信念があれば、必ず道は開ける。何も恐れることはない。
ああ、まだ任務は山積みだ。だが、問題にならない。困難が待ち構えていることは、今の俺にはもう、足を止める理由にはならない。
朝、いつものようにクラスに顔を出す。そんな当たり前の日常すら、俺には新鮮だった。
そして迎えた今朝の授業は──文学科【自由議論での作品の探求】、の続き。優れた文学作品を多角的な視点で分析する連続授業。
決意を新たにした俺に、まさにピッタリだった。前回の落第ギリギリだった評価を、ものの見事に覆してやるよ。
「──鞘楯君。ここ、どう? 空いてるよ」
空いた席を指さし、俺に声をかけて来たのは、栗毛のアンチューサ・ロッカ。
そして、俺の対面には──リリー・コンスタンス。
──デジャヴ。まさに、これは過去の自分と対峙する試練。生まれ変わった俺への神の導き。
「ああ、よろしく」 俺はこの予定されていた運命に、二つ返事で従った。
「それじゃあ、人数も集まったことだし、議論を始めましょう。リリー、続きを朗読してくれる?」
進行まで完璧だ、ロッカ。笑ってしまうほど。まさに前回をなぞるようにすべてが進む。
だが、丁度いい。その間に、俺は二人を攻略する作戦を練るとしよう。
ロッカ。前回は君からの横槍にまんまとやられたが、もう油断はしない。
今はもう、君がどんな手を打ってくるか、予想がつくよ。
リリー、君とここで、決着をつけるのもいいのかもしれないな。
生徒会との事は、君を屈服させたあとで、ゆっくりと話を聞かせてもらおう。
「──ありがとう、リリー。とっても綺麗な朗読だったわ」
相変わらず、木漏れ日を抜けるそよ風のような声は心地いい。それも今日で最後と思うと、名残惜しいな。
「さて、今回は、ハイルナーという友人が出てきました。彼が主人公にどんな影響を与えたのか。私はそこに焦点を当てて議論するべきだと思うけど、みんなはどう思う?」
ロッカの提案に、即座に応える。
「──異論はないよ、ロッカ。この物語に、ハイルナーの存在はとても重要だ」
この展開は本当に、天が味方してくれているようだ。このキャラクターを利用し、リリー、君を追い詰めてやる。
「そうね。それじゃあ……リリー。あなたはどう考える?」
いい回しだ、ロッカ。まるで示しを合わせたように、君は望むところに話を振ってくれる。
「──。主人公のハンスにとって、ハイルナーは特別な友人だった。後の人生を変えてしまうほどの……」
僅かな思考のあと、リリーはゆっくりと話し始めた。主人公に想いを重ねながら、言葉を選んでいるようだった。
「つまり、彼は救世主。ハンスにとっての、キリストだったのよ」
俺はすかさず、彼女の意見を牽制する。
「それは少し、いや、かなり、ハイルナーを持ち上げ過ぎじゃないかい?」
その言葉を皮切りに、彼女を攻め立てた。
「勉学以外を禁止され、抑圧されていたハンスから見れば、ハイルナーの自由奔放さは魅力的だった。それは否定しないよ」
「でもね、じゃあハンスは本当に神童だったのか──? まあ、これは結末をみれば明白だけど……違うよね」
「だからつまり、ハイルナーとは、所詮は未熟なハンスを投影した夢幻。虚構の理想像に過ぎない存在だよ」
──どうしてだろう。用意していたわけでもないのに、自然と言葉が溢れてきた。この作品に、俺も感情移入しているのだろうか。
まあ、丁度いい。攻めすぎた気もするが、リリーがどう返すか、見ものだ。
「そうね。ハンスから見たハイルナーは、そうかもしれない。でも、ではハイルナーはハンスを、どう見ていたの?」
矢継ぎ早に浴びせられた反論に、彼女は即座に反応する。
「彼は、優等生としてしか評価してこなかった周囲とは違い、ハンスをひとりの人間として認めた初めての友人だった。これは、決して夢幻などではないわ」
「二人の間には、確かな友情があった。それだけで、この出会いは幸福だったと断言できる」
その反論の反論は鮮やかだった。彼女がこれほど論理立てて俺に反論してきたことは、今までなかった。
だから──というわけでなく、ただ、その最後の言葉が俺の癇に障った。
「幸福?! 彼との出会いが、ハンスを破滅させたのは明らかじゃないか。どう考えたってこれは、不幸な出会いだよ」
思わず感情的になった俺に、リリーは穏やかに、ひとつ確認した。
「ハイルナーと出会ったことが、不幸──。鞘楯君。あなたは本当にそう考えているの?」
──。それだけで、俺を黙らせた。口走ってしまった言葉を後悔したが、でも、結論は変わらない。
この物語は、ハンスの自殺で終わる。その悲劇の結末は変えられない。そこから逆算すれば、その要因となった彼との出会いは、不幸の始まり。そうだろう、リリー……。君は違うのか。
言いよどむ俺に、彼女は言葉を重ねる。
「ハンスがハイルナーと出会わなければ、彼は幸せになれたのかしら?」
そうとはいえない。ハンスは彼に出会う前から、周囲の期待に押し潰されていた。
だから彼はハイルナーに夢幻を見て、その影を追った。そんな理想像など、どこにも有りはしないのに……。
「……つまり、どちらにしろ破滅していた。と、そう言いたいのかい?」
──なぜだろう。俺はリリーを追い詰めるために、対峙しているはずだ。
でも、逆に俺の方が心をさらけ出している気がする。なぜだ、なぜこうなってしまう……。
「──鈍感に生き延びるのと、純粋に死ぬのと、あなたはどちらがお望みなの?」
リリー・コンスタンス──やはり君は、俺の最重要任務だ。そう安々とは、攻略できないらしい──。
だが、絶対に諦めたりしない。ああ、その時まで、その答えは、預けておくよ。
”ゴーーン…… ゴーーン…… ゴーーン……”
授業の終わりを告げる鐘が鳴る。
「ぇー。ちょっと、もう。二人だけで白熱しすぎ」 その合図とともに、ロッカが間に割って入った。
「はぁ、もうちょっと周りにも発言させてよ。まったく……」
彼女のため息混じりの呆れた声に、リリーは笑みを浮かべる。
配られた文学科の評価は──【B】。
総評は、『この作品の本質を突いた良い議論だった。だが、授業中に二人の世界に浸るのは禁止』だった……。
前回の評価を覆す、俺の当初の目的は達成された。
だけど、俺はリリーのように笑っていられなかった。彼女に勝っていないから──。確かに、それもある。
でもそれ以上に──リリーからは俺はどう見えているのか。そのことの方が、俺の心に留まり続けていた。




