第21話 アンチューサ・ロッカは、嘘をつかない(6)
運命の午後──。
もう、アナスタシアに合わせたりしない。その必要もない。
生徒会の企み。リリーと戦う理由。そして、『この世の真実』について。洗いざらい吐いてもらう。
アナスタシアは今、油断してる。あの時のように、サーベルを帯刀してもいなかった。なら、いける。
隙をついて、動きを封じることができれば──多少、手荒なことになったとしても……。
俺はその覚悟で、生徒会室の扉を開いた。
その先では、いつものようにアナスタシアが待っていた。だが、いつもと違いこちらを向いて立っていた。
──読まれている。 彼女の立ち姿は、俺にそう直感させた。
迂闊だった……。油断していたのは、俺の方。
こちらの動きは筒抜けだったか。午後の授業を休むなんて派手な動きをすれば、警戒されて当然か……。
俺の覚悟に蓋をするように、出鼻をくじく早仕掛け。敵もまた、今日この時に照準を合わせていた。
「──誠。待っていたよ」 水晶のような声が冷たく響いた。
「さあ、何をしている。こっちに来たまえ」 手を開き招く。
その手には、何も無い。嘆願書もサーベルも。何一つ。
白々しい──。俺など素手で十分、と。そういうことか。相当な自信の表れ、舐められたもんだな……。
だが──だからといって、この勝負、逃げることなどできない。
まずは後手に回らざる負えないが、反撃のチャンスは必ず来る。それまで、待つんだ──。
アナスタシアの招きに従い、俺はいつもの席まで歩を進めた。彼女は何も言わず、ただ俺が腰を下ろすのを待っていた。
従わなければ、無理矢理にでも組み伏せる……か。
俺はその意を理解し、腰を下ろした。すかさず、いつもの向こう側でなく、俺の隣へ彼女も座る。その意図は明白、逃がさないため──
一日目と、二日目と……。ああ、見事だったよ、アナスタシア・イスクレノヴァ。
真剣で殺し合いをした人間とは思えない慎み深い淑やかな姿だった。見事な偽装だ。
さあ、俺の動きを封じた上で、何をするつもりだ。まず、お前の手を見せろ。
「緊張しているね……。私もだよ」 アナスタシアは、俺の耳元で囁いた。
明らかな挑発、いや──脅迫。反撃を口実にでもするつもりか。今さらだな。
「いつから、考えていた?」 その挑発には乗らず、敵の出方を探る。
ああ、分かりきっている。最初からマルガレーテと計画していたのだろう。──これは時間稼ぎ。この状況を少しでも有利に動かすための。敵の巣穴で、彼女に真っ向勝負を挑んでも勝ち目は薄い。
「覚えているかい? 昨日、君が言った言葉を……」 俺の耳元で、彼女は続けた。
焦らす言葉の吐息がかかる。時間稼ぎなど意味がない、とでも言いたげだ。
「私の剣に、これまで身一つで立ち塞がった男は君だけだよ。──鞘楯誠」
ああ、その事か。それは、今までろくな男に出会って来なかったんだろう……。だが、俺は違う。
”……の王子様” きえさりそうな囁きと同時に、アナスタシアは易々と俺の首筋に手を回した。
「ッ──」 殺気──。触れられてやっと気づいた。
彼女から放たれる途轍もない熱量が、指から俺の頸動脈に伝わる。
火傷しそうな指先の体温が、俺に全てを分からせた。己の愚かさと引き換えに──。
警戒するべきは、彼女の肉体的な強さじゃなかった。
アナスタシアの恐ろしさは、その残虐性。獲物を狩るためには、手段を択ばない野生の獣の本能──。
悪魔のような本性を、普段は微塵も表に出すことなく、その薄花色の瞳の奥に、巧妙に隠していたのだ。リリーとの戦いで見ていたはずなのに……。
だがもう遅い。はっきり分かる。俺の手番は来ない。生殺与奪を握られ、反撃の選択肢は無い。
──生徒会副会長アナスタシア・イスクレノヴァ。恐ろしい相手だった。
俺に死を与えるために、彼女の瞳が迫ってくる。恐らくこれが、この世で最後に見る光景──
せめてなら、潔い死、を。俺は目を閉じた……
”バンッ!!” すべてを諦めたはずの俺の耳に、その音が響いた。
それは、有り得ないほど勢いよく、礼拝堂の扉が開いた音だった。
次の瞬間── 「誠っ! 助けに来たよっ!」 それよりも大きな声が響く。そして、
「……な~んてね。てへ♪」 ロッカの笑い声が聞こえた。
声に気圧され、アナスタシアの指が遠のく。そして、その瞳の距離も、死を連れて次第に離れていった。
「ホントにここにいたんだ。生徒会のお手伝い?」
ロッカは、俺たちの状況を全く理解せず、微笑みながら近づいて来る。
アナスタシアから殺気が漏れる。──マズい! 駄目だ、ロッカを巻き込むな!
俺はすぐさま立ち上がり、ロッカの方に駆け寄った。
「いや、ちょうど終わったところだよ。……そうですよね、副会長──」
彼女を庇いつつ、アナスタシアを牽制した。
俺だって、こんな事予測していなかった。
ロッカが本当に助けに来るなんて、思ってもみなかった。いや……本人は、冗談のつもりなんだろうが。
ならなおさら、ロッカの登場は、生徒会だって計算外だったはず。
どれほど緻密に計算された戦略を用意しようと、盤外からの反則行為にまで、対処できるわけがない。
──そうだろう? アナスタシア・イスクレノヴァ。
俺の意を汲み取ったのか、彼女から熱が引いて行くのを感じる。
「……ああ、そうだね。もう、帰っていいよ」 その言葉は、”歩み寄り”の証だった。
その水晶の声には、無念の重さが滲んでいた。
「では、僕はこれで……」 彼女の気が変わらないうちに、ロッカを連れて立ち去ろうと身を翻す。だが──
「鞘楯君」 その俺を、アナスタシアは呼び止めた。
ロッカの手前、無視して逃げ出すわけにもいかない。
「はい。どうしました? 忘れ物でもありましたか?」 自然を装い、彼女に尋ねる。
「……君は、明日は来るのかい?」 彼女もまた、装った柔らかい声を響かせた。
「──いえ。今日までという約束でしたので、その通りに」
どう足掻いても勝ち目のない負け戦。それを、無理矢理の引き分けに持ち込んだ。それだけだ。結局、俺の目的は何一つ達成されちゃいない。
だが、ここで欲は出さない。命を一つ拾っただけで、それでいい。
「そうか……。では、鞘楯君。これを──」 アナスタシアは、胸元から一枚の嘆願書を取り出した。
「いつものように、処分してくれ」 害意など微塵もなく、ゆるりと近づくと、俺に手渡した。
彼女はそれだけ済ませると、俺たちよりも先に生徒会室から出ていった。
「……副会長さん、寂しそうだったけど、いいの?」 彼女が去ったあと、ロッカが俺に尋ねた。
何も知らない彼女には、そんな風に映るのかもしれないな。
入念に準備をして、罠に捉えた獲物を仕留めそこなったのだ。彼女の無念は相当なものだろう。
「ああ、また今度、何かで埋め合わせでもしておくさ」 俺は、今はまだ、そうとしか言えなかった。
生徒会とは決着を付けなければならない。だが、すぐには無理だ。相手を上回る作戦を練り挑まなければ、彼女には勝てない。
その夜──。俺は最後の仕事として、コレクションに加えるために、アナスタシアから受け取った嘆願書を開いた。
その内容は驚くべきものだった。読み進めていくたびに、血液が逆流するような感覚を、俺に与えた。
その嘆願書は、これまでのコレクションの中でも最も濃厚な、ラブレターだった……。




