第18話 アンチューサ・ロッカは、嘘をつかない(3)
翌日──
まだスー・ジンとの虚偽情報には、背景情報は追加されていない。周囲の態度は冷たいままだった。
それでも、俺にはこのままの方が都合がいい。マルガレーテは危険だ。その目的がはっきりしない以上、俺から離れていた方がいい。少なくとも、この三日間だけは──。
特に、ロッカとの空気は冷え切っていた。
無視は当然、殺気に近いものすら感じる。因果応報、自業自得。そんな言葉が思い浮かんだ、けどそれは、一体どっちのものなんだろう。
生徒会との件が片付いても、もう修復は不可能かもしれない。
一日目──。俺は授業終わりに生徒会室に向かった。
昨日、マルガレーテが座っていた長椅子とまったく同じ場所には、アナスタシアがいた。
それはまさに、約束通りに用意された生贄の如く、何一つの過不足なく、きっちりと揃えられていた。
俺は昨日をなぞるように、向かいの長椅子に座る。
ただ一つ違うのは、彼女も俺も何一つしゃべらなかった。
昨日から、何を聞こうか考えていたはずだった。だが、声が出なかった。
声を掛けたら、喉元にあのサーベルを突き立てられそうな。いや……。それよりもっと恐ろしいことが起きそうな、そんな予感にかられた。
彼女はマルガレーテから、どこまで話を聞いているのだろう。
あの女の話しぶりなら、すべてを話した上でのこと、ということも十分に考えられる。
少なくとも、何も知らないのなら、俺を見て何も言わない、ってことは有り得なくないか。
しばらくの沈黙。そののち、アナスタシアは、隣に置いてあった書類の束に手を伸ばし、読み始めた。
──手紙? いや、違う。あれは生徒会への嘆願書か。
積まれた書類を一枚ずつ目を通して、振り分けていく。恐らくは、生徒会長に回付するものと、そうでないものを分けているのだろう。
それだけを見るなら、まるで、普通の生徒会副会長の仕事姿──。
そうか、裏で何をやっていようと、体裁は生徒会なのだから、通常業務を怠る訳にはいかない、か。
だが、俺にとってこの時間は何なんだろうな。
マルガレーテの話に乗ってはみたものの、アナスタシアはまるで俺の存在など無いものとして扱っている。
俺としても、この調子で三日が過ぎるのなら、何のリスクも負わずに済む。──が。俺が知りたいのは、こんな普通の生徒会の姿じゃない。
時間を持て余した俺は、彼女が振り分けた書類に視線を送る。
そこに書かれていたのは、生徒からの要望。その内容は他愛の無いもの。だが、読み進めるうちにおかしな内容に変質していることに気付いた。
その文面の主題は、明らかに変質した方の内容だった。その内容とは──副会長への「ラブレター」だった。それも差出人は多分、女性。
……なるほどな。祭りの時に見た騎士姿から受けた第一印象は、まさにそう──白馬の王子様。
美しさと力強さを兼ね備えた立ち振る舞いに、あの声と顔。女生徒から見れば、理想を体現したかのような存在なのだろう。
しかし──この積まれた書類、すべてがそんな偽装された内容なのか?
彼女はその嘆願書を一枚ずつ、丁寧に時間をかけて読み進める。
──どうするつもりだろう。後で一人ずつに返事をするのだろうか。
ふと、そんなことが気にかかった。だが、それを口にはしなかった。
アナスタシアとは結局、この一日、会話するどころか、俺に視線を向けてくることすら、一度もなかった。
俺が、そう結論付けようとしたその時──彼女は口を開いた。
「──誠。君の手で、これを処分してくれ」 相変わらず俺を見ず、ただその言葉だけが置かれた。
これとはつまり、嘆願書。仕分けされたラブレターの方だ。
俺の了解を待たず、彼女はそれだけ言い残し、先に生徒会室から出て行ってしまった。
残されたのは、無口な男とラブレター。これをここに、このままにする訳にもいかない。男に選択肢は無かった──。
その扱いは、とても俺を困らせた。その辺のごみ箱に捨てる訳にはいかない。誰の目に触れるか分からないからな。
ああ、そういうことか──。アナスタシアも処分したかったが、自分が捨てている姿を差出人に見られたら傷つけてしまう。だから、その心配が無い部外者の俺を利用した。
アナスタシア・イスクレノヴァ。命令次第で人も殺す冷血な女とばかり思っていたが……。
明日には、とりあえず仕事の完了だけは報告しておくか。
その夜、俺はそんなことを考えながら、受け取った嘆願書の束をひと目に触れないように隠した。
二日目──。クラスの空気は相変わらず。だが、アナスタシアとのことも噂にはなっていなかった。
ロッカは約束を守っている。というより、関わりたくないほど本格的に嫌われた、と言った方が正しいのかもしれない。
授業が終わると、俺はまた生徒会室に向かった。
その光景は、昨日と全く同じだった。
昨日と同じ席にアナスタシア。隣には紙の束。そして俺は、約束通りに用意された生贄の如く、過不足なく、同じ席に座った。
「言われた通り、処分、しておいた」
もうすでに、嘆願書を読み始めていた彼女に、それはそれだけ報告した。ただ、それだけ。何も期待はしていなかった。
だが── 「あ、ありがとう……」 そんな言葉が返ってきた。とても意外な返答だった。
だけどそれだけ、また長い沈黙が続いた。
本当に、俺が過ごしているこの時間は何なんだろう。
マルガレーテの策略に乗ってはみたが、本当にアナスタシアと二人きりの時間が過ぎるだけ。ただそれだけだ。
彼女が求めた、恋人の付き合いにはほど遠い。二人は一体、俺に何をさせようとしている──。
アナスタシアの所作は、昨日と何も変わらない。
嘆願書の束を一枚ずつ丁寧に目を通す。そして仕分ける。俺はいないものとして扱われる。
俺はそんな彼女を、漫然と見つめていた。変化の無い時間の中で、ふと、こんなことを思った。
──この俺の席は、ラブレターの差出人には、いくら積んでも欲しいプラチナチケットなのかもしれないな。
その時、相変わらず俺を見ることなく、彼女はただ言葉だけを向けてきた。
「──誠。君は何故、あの時、リリー・コンスタンスを助けた」
いきなりのその問いは、退屈だった俺の時間を、強制的に停止させた。




