第15話 リリー・コンスタンスは、真実を見抜く(7)
リリー・コンスタンス。君が俺の最重要任務であることに、何の変りもない。
だが今、この場を支配するのは、高貴なる大貴族マリー=バレリアンヌ。生徒会側の人間だ。
分かっている。彼女をこのままにしてはおけない。なのに俺は、素直にロッカや君と協力する事ができずにいた。
これは、そんな俺に君から送られた休戦協定。
戦闘準備を整えたマリーを前にして、本来ならもっと早く、俺から君に提案すべきだったもの──。
「──ああ、そうだね。男でも女でも関係なく、人間の野心には際限がない」
ああ、俺の任務に変更はない。だが、その任務達成のためにも、まずやらなければならないことがある。
「国境線は、その野心に制限を与える。地理的にも、心理的にも。踏み越えてはならない一線ってやつさ」
マリー……。まず、君を止める。誰を王に担ぎ上げたいのか知らないが、その野心は現代では危険すぎる。
「そんな制限なんて、真に野心を持つ者には枷にはならない、と申しておりますの」
だが、彼女はこの程度では止まらなかった。
「踏み越えてはならない一線こそ、越えてみたくなるのではなくて?」
身を乗り出して、俺にその燃えるような琥珀の瞳を近づける。
「貴方の主権など関係なく、力づくでその一線を踏み越えて差し上げましょうか?」
有言実行。まさに力づくで、マリーは俺の逃げ道を塞ごうとしていた。
「──その一線を越えたら、あなたを攻撃する」
追い詰められた俺に、突如として発せられた軍事介入。それは、予想だにしていなかった、ロッカによるものだった。
「っていう風に、力には力で。帝国の野望には、軍事同盟で対抗すればいいのよ」
だがその翠緑の瞳は、あくまでマリーへ。俺を一瞥することも無い。
そして、その視線は流れるように隣へ── 「ねぇ、リリー」
それを受け、リリーは落ち着いた声で語り始めた。
「一国の力では及ばなくても、多国籍国家の同盟は、帝国の軍事力に対抗できる──」
それは、帝国主義のアキレス腱だ。覇権国家は侵略には長けていても、防衛能力は驚くほど脆い。
「肥大化した帝国は、自分の重さに耐えきれなくなって、身動きが取れなくなってしまうから」
それも歴史が証明している。国内の反抗組織。多方面からの同時反抗。
それらに対処していれば、他国に侵攻するための戦力を確保するのは困難だ。拡大できない覇権国家は、必然的に自滅の道を辿る。
「不利となるのは果たしてどちらか、試してみましょうか──」
リリーの冷たい碧眼が、マリーの燃え上がる琥珀の瞳と衝突した。
沈黙が、円卓を満たす。二人は、互いにどちらも目を逸らさない。誰も口出しはできなかった。
さらに僅かな静寂ののち、小さく息をつき目を閉じたのはマリーだった。
「……。ええ。ぜひ一手、受けて頂きたいと存じます」
ほほ笑みを浮かべて紡がれた言葉は、決闘の受諾。だが──
「ですが残念ながら、これは外交の場。またいずれ、舞台を用意させていただきましょう」
すぐにそれを打ち消しながらも、目を細め、近い未来の衝突を約束した。
”ゴーーン…… ゴーーン…… ゴーーン……”
鐘が鳴る。授業の終わりを告げる鐘が。
その音の終わりと共に、俺は大きく息を吐いた。
こんなに緊張した授業は初めてだ。ああ、俺が抱えた任務はどれ一つ、何の進展もしていない。その自覚はある。
だが、この鉄火場から無事生きて帰れたことに、俺はただ神に感謝していた。
それは、皆も同じだったらしい。
リリーも、ロッカも、マリーですら緊張の糸がほぐれ、穏やかな顔をみせている。
──そうだな、今は忘れよう。互いの立場の違いなど、戦いを終えた戦士たちには、意味を持たない。
「いやぁ。白熱した議論に、俺の入る余地なんてなかったぜ」
蚊帳の外に置かれたカインは不満を漏らす。そういえば、何も知らない君を巻き込んでしまった。それは、すまないと思っている。
「本当に殴り合いでも始めるのかと思っちまったよ。ハッハッハッ──」
そうだな。関係ないクラスメイトを巻き込んだ武力衝突など、マリーが望むわけがないんだ。
恐らくは、それも生徒会の意向なのだろう。俺たちは警戒しすぎたのかもしれない。
「ああ、そうだ。冗談ついでに、面白い噂を耳にしたんだ、誠。今、聞いてもいいかな?」
カイン、君は喋り足りなかっただろう。いいさ、この際だ、何でも聞いてやるよ。 「ああ、なんだよ噂って」
「君は昨日、あの『図書館の麗人』スー・ジンと唇を重ねていた、なーんて話を小耳に挟んだんだけど、それは本当かい?」
──……。なんだ、それ。
いや、それは一部は正しい。だが重大な点に間違いがある。恐らく、カインの耳に届くまでに、齟齬が生じたのだろう。
極めて重大な虚偽情報だ。直ちに、事実と異なる点の修正と、背景情報を追加しなければならない。
「それはどういうことですの?」 だがその前に、耳元でそう囁かれた。
振り向くと、暗殺者のように気配を殺し、マリーがすぐそばに顔を寄せていた。
表情は冷静そのもの。なのに、なのにだ。なぜ君は、俺の足を踏みつけているんだい──?
「いや、違うんだ。その噂には間違いがある」 殺気を感じた俺は、咄嗟に口が動いた。
だから、次に出た言葉は、俺の意思では止められなかった。 「確かに、唇には触れたけど──」
次の瞬間、足に意識が飛びそうなほどの激痛が走った。
薄れゆく意識の中で、ロッカが一人で何かつぶやいていたのが聞こえた。
”は? どういうこと? 私と別れてから、あいつ、図書館でそんなことしてたの? ツッ──さいてー。人として終わってるわ。あっ、そっか。じゃあもう、アレだ。ヒトとして扱わなくてもいいってことよね……”
リリーは──どうだったか覚えていない。なぜだろう、その記憶だけすっぽりと抜けているんだ。
思い出そうと思っても、その時何を見たのか、まったく思い出せない。特に彼女の顔には靄がかかる。
ひょっとしたら俺は、見てはいけないものを、見ていたのかもしれない──。
後日知った、今日の政経科の評価は──【B+】。
総評は、『現実の社会情勢を捉えた議論は、まさに国家間の駆け引きそのもの。その結末が、三方面から包囲された弱小国家の滅亡というシナリオは、秀』だった。




