第12話 リリー・コンスタンスは、真実を見抜く(4)
マリー=バレリアンヌ──大貴族のご息女。
といっても、現在のフランスに貴族はいない。彼女が受け継ぐのは、血統と財産。それも莫大な。
僅かに残る本物の家系と、それを遥かに上回る偽物が入り混じる現代フランスで、彼女は正当な血統が保証された本物だ。
そのマリーをエスコートし、俺は再び生徒会の扉を開けた。
きっと、この先で生徒会の二人が待ち構えているに違いない──そう覚悟していた。
礼拝堂は手品のように昨日の姿に戻っていて、三人がかりで、俺を生徒会に取り込むのだとばかり……。
だが──そうはならなかった。
目の前に広がるのは、ついさっき見たままの、プロテスタントの礼拝堂。何の変化もしていなかった。
「お昼には、誰も来ないでしょうから」 そう言って、マリーは先を歩いた。
祭壇まで上がる彼女に、俺も続く。 (いや、昨日はいたけどな……。その残り香すら、消えているが)
実は祭壇の裏に潜んでいて、今の様子も見られている。そんな俺の警戒心が、彼女の言葉の意味から遠ざけた。
キリストのいない十字架の前で、マリーは両手を組んで目を瞑った。
ああ、とてもエレガントな祈りの姿勢。だが、作法としてはおかしい。それを、彼女が知らないわけがない。
ならば、この行為には何か特別な意味がある。そうとしか考えられない。だが、その意味が俺の中で揺らいでいた。
「──不思議にお思いになりますか」 開かれた瞳は十字架を見つめたまま、言葉は俺を射抜く。
「ああ、そうだね」 俺はただ、即答した。
彼女はクスリと笑う。 「そうですね。とても無作法……。忘れてください」
そして、パッと組んだ両手を離し、身を翻すと、小走りに壇上から降りた。
さきほどのエレガントさが消え失せた、子供のような所作。彼女が何をしたいのか、俺にはまるで分らなかった。
それから、俺が壇上から降りるのを待って、マリーは長椅子に腰を下ろした。
ひとつ、空白を開けて座る彼女の意図は明白。導かれるように、隣に座る。彼女が見せた僅かな意思は、俺にはヒントになった。
──これは、時間稼ぎ。祭壇に注意を向けておいて、背にした扉の方から襲撃するつもり、なのか。
落ち着き払うマリーの横で、俺は神経を尖らせる。
──生徒会は俺をどうするつもりだ? マリーを使って何を企んでいる?
アナスタシアがいるんだ。逃げ場さえ奪ってしまえば、仕留めるのは容易。と、考えるのは頷ける。その覚悟は、連れて来られた時にしていた。
だが、何故すぐに仕掛けてこない──?
気配を探り、周囲を見渡す。しかし、何も無い。
そのとき、俺が見せた僅かな隙を縫うように、視線を逸らした死角から、マリーの手が伸びた。
「捕まえた──。鞘楯誠」 その指が、俺の手の甲をなぞる。
その感触に、一瞬息が止まった。気配を殺した暗殺者のような一手。完全に虚を突いた見事な一刺し。
俺は何も出来ず、ただマリーの目を見る。その琥珀の瞳もまた、俺を見つめていた。
その宣言は、目的を明確に伝える。マリーの役目は──俺の拘束。
数瞬の沈黙が、次の行動を起こすためには必要だった。と言っても、機先を制せられた俺に残された手は、ささやかな抵抗のみ。
俺は、訪れるかも分からない次の機会を逃さないため、彼女の手を軽く握り返すことしかできなかった。
”ッ──” 彼女の指からは、最初に触れた冷たさは消え、火傷しそうなほどの熱が伝わってくる。
──マリー=バレリアンヌ。君はその身に、これほどの激情を燃やしているのか……。
だが、意外にも、その指はするりと逃げた。 「冗談……ですのに」 そう言って、瞳も逃げる。
冗談? 冗談、か。俺の動きを止める事なんて、戯れと同じだと……。
マリー=バレリアンヌ──確かに、君にはそうかもしれないな。
マリーは顔を逸らしたまま、立ち上がる。その表情は、こちらからは窺えない。
ただ、俺が握った指を、怪我でもしたかのように、別の手で覆っていた。
「──では、そろそろ帰りましょうか」
しばらくそのまま固まっていた彼女は、顔をこちらに向けると、そう呟いた。
俺には、その言葉が信じられなかった。
──なぜ。まだ、何もしていないのに……。俺を生徒会に引き渡すのが、君の目的じゃないのか。
それとも、これまでのすべてが冗談。戯れだったと、言うのかい──?
「本当に、これで終わりでいいのか?」 気づけば、自然とその言葉が口をついた。
ぴくんと、わずかに彼女の身体が跳ねた。
図星──だったか。やはり、罠をどこかに仕掛けている。だが、なぜこんな回りくどいやり方を……。
マリーはゆっくりと、体をこちらに向ける。
「──これでは卑怯です」 逸らした瞳から、微かに漏れ聞こえる。
だがすぐに、燃えるような琥珀の瞳は、その内の情熱を発するように、熱く俺に向けられる。
「決着は、リリーさんが戻ってからです」
これまでの彼女からは想像もできない力強い言葉。
マリー=バレリアンヌ──大貴族のご息女。やはり、流石というべきか。
俺は、すべてを読み間違えていた。彼女は最初から、何もするつもりはなかったんだ。
この礼拝堂に招いたのは、高潔なる宣戦布告を告げるため。
正当なる手順に則った戦の作法に、罠も不意打ちも必要ない。
高貴なる彼女には、正々堂々たる勝利以外は有り得ない。
──ああ、確かに受け取った。俺とリリーを正面から叩き潰す。という宣告を。
だが、その前に──君を見誤った非礼を詫びよう。
俺は彼女の前に膝を折ると、手のひらを上にして、彼女の前に差し出した。
この手は、敵となる君への最後通牒──。
せめて、戦いが始まるまでは、俺にエスコートさせてくれ。




