引渡し
「ええ。お迎えですとも」
白瀬がそう言うと、防護服の人影たちは無言で渡り廊下へ並んだ。数は六人。その胸元には日の丸と星条旗が付けられていた。
それは人間というより、備品のようだった。
羽喰が銃口を向けたまま、低く言う。
「所属を名乗れ」
防護服の一人が、ヘルメット越しに答えた。
『本区域は共同管理下にあります。許可なき立入は記録されます』
「質問に答えろ」
『貴官の権限は、本区域では確認できません』
羽喰のこめかみが動いた。
「公安を相手に、いい度胸だな」
『本区域では確認できません』
同じ声、同じ調子で応答する。まるで会話をしていない。
透子が小さく言った。
それを見た白瀬は満足げに笑う。
「こういう方々は、実に頼もしい。仕事が滞らない」
「仕事だと?」
羽喰の声が荒くなる。
「人を攫って、肉を食わせて、化け物にして、どこが仕事だ」
「選別です」
白瀬は訂正するように言った。
「言葉は正確に使いましょう。攫うのではない。招く。食わせるのではない。適性を見る。化け物にするのではない。反応を観察する」
「そして売る……か」
永美が言った。
白瀬は彼を見た。
「売る、という言い方がお好きですね」
「あなたには似合っているようで」
永美は静かに続ける。
「祈りよりも。祝福よりも。聖餐よりも」
白瀬の笑みが、薄くなった。
防護服の一人がタブレットを操作する。艦内搬入口の奥で、小さな搬送音がした。金属レールの上を、透明な
カプセルが四つ運ばれてくる。その中に、人が入っていた。それはホテルの客だった。
ロビーで見た老人。浜へ向かおうとしていた女。
祈るように両手を組んでいた若い男。
彼らは眠らされている。腕にはチューブが繋がれ、胸には紙の札が貼られていた。
永美は、その札を見た瞬間、胃の奥が冷えるのを感じた。
「これは……名札ではない」
「ええ」
白瀬が言う。
「分類票です」
羽喰が一歩踏み出した。
「白瀬ェ……!」
防護服の二人が、同時に銃のような器具を構える。銃ではなく、麻酔用の投射器だった。
透子が即座に永美の前へ出る。
「下がれ」
「えぇ……私はまだ何も」
「お前は立っているだけで狙われる」
「それはなかなか理不尽だ」
防護服のタブレットに、名前が表示される。
羽喰がそれを見た。
「対象一覧……」
画面には、宿泊客の名が並んでいた。佐伯。皆川。永美至。哀川。
哀川の横には、赤い文字があった。先行移送済。永美の表情が消えた。
「……移送済?」
白瀬は優しく言った。
「哀川様は、早くから真実に近づきすぎました。危険な方でした。ですが、たいへん有用でもありました」
「……生きているのか?」
「ふむ……それは定義によりますね」
透子が短く言った。
「……永美」
「わかっている」
「わかっている顔じゃない」
「今、かなり努力している」
永美は自分の手を見る。怒りと恐怖で震えていた。
白瀬はその震えまで観察しているようだった。
「永美様。あなたは商品ではありません」
白瀬はタブレットの画面を示した。
観測者候補。外部記録体M-0反応安定化要員。
「あなたの価値は、肉体ではなく視線にある。何を見るか。どう意味づけるか。恐怖より先に、美として受け止めるか。その反応が必要なのです」
「誰に」
永美が問う。
白瀬は答えない。
防護服の一人が代わりに言った。
『観測者候補、確保優先順位A』
透子が舌打ちした。
「やはり永美狙いか」
「大人気で困るね」
「茶化すな。殺すぞ」
羽喰が低く言った。
「白瀬。てめぇ、ずっとこれをやってたのか」
「ずっと、というほど長くはありません」
「何人渡した」
「数は覚えておりません」
羽喰の指が引き金にかかる。
「今のは、撃たれても文句言えねぇ答えだぞ」
ギンが、絞り出すように言った。
「……島の者もか……!」
白瀬は少しだけ首を傾げた。
「それは昔の話です」
「答えろ」
「島民は、初期の協力対象でした」
ギンの杖が震える。
「協力など、誰もしておらん」
「書類上は」
白瀬は穏やかに言った。
「同意済みです」
その瞬間、ギンの顔から血の気が引いた。怒りが深すぎると、人は声を失う。
透子はそれを見て、静かに一歩前へ出た。
「羽喰」
「ああ」
「皆川を回収する。永美を頼む」
「逆じゃねぇのか」
「お前は撃てる。私は走れる」
「その判断が正しいのが腹立つ」
白瀬が微笑む。
「相談は終わりましたか?」
「お前に聞いてない」
透子が走った。防護服の一人が投射器を向ける。
羽喰が撃った。弾丸は相手の肩口を掠め、投射器を弾き飛ばす。防護服がよろめいた。
「次は足じゃ済まねぇぞ!」
『警告。武力行使を確認』
「確認だけしてろ!」
透子は渡り廊下に飛び乗った。白い信徒が二人、進路を塞ぐ。その動きは、祈る者の動きではなかった。よく訓練されている。
透子は一人目の腕を絡め取り、関節を外す。二人目の腹へ膝を入れ、欄干へ叩きつけた。皆川を運んでいた信徒が後退する。皆川の手のスマートフォンから、また声が流れる。
『お兄ちゃん』
皆川の瞼が震えた。
「……ごめん」
透子が叫ぶ。
「皆川、聞くな!」
皆川は目を開けた。焦点が合っていない。
「行かなきゃ……妹が、呼んでる」
「呼ばれているのは、お前の願いだ」
透子は走りながら言った。
「妹じゃない。お前の罪悪感だ」
その言葉が届いたのか、皆川の顔が歪んだ。
「俺の……」
「そうだ。利用されている」
透子は信徒の腕を払い、皆川の前まで踏み込んだ。
「戻れ」
その瞬間、防護服の一人が透子へ投射器を向けた。
永美が声を上げた。
「鴉宮さん!」
透子は振り返らない。
羽喰が撃つが、間に合わない。針が発射された。
だが、ギンの杖が横から飛んだ。針は杖に当たり、弾かれて水面へ落ちる。
羽喰が叫ぶ。
「婆さん、無茶すんな!」
「年寄りは、無茶をするために長生きしとる」
「そんな理屈あるか!」
永美は、白瀬を見た。
彼は焦っていなかった。
透子が皆川へ近づくことも、羽喰が撃つことも、ギンが邪魔をすることも、ある程度は予測している顔だった。
「何を待っている」
永美が訊いた。
白瀬は視線だけを返す。
「何のことでしょう」
「あなたは焦っていない。皆川さんを奪われてもいいと思っている」
「正確には、奪われても別の価値が生まれると思っています」
永美の背筋に冷たいものが走った。
白瀬は永美を見ている。透子ではない。皆川でもない。永美の反応を見ている。
「私を見ているのか」
「ええ」
白瀬は微笑んだ。
「装置がなくても、観測はできます」
永美はようやく理解した。これは戦闘ではない。
引渡しでもない。白瀬にとっては、すでに次の実験が始まっている。
永美が今の状況をどう見るか。どう意味づけるか。
その反応を、白瀬は測っている。
「悪趣味だ」
「美しいでしょう」
「いいえ」
永美は首を振った。
「これは、美しくない」
白瀬の笑みが、わずかに止まった。
その隙に、透子が皆川を引きずり戻した。
皆川は抵抗したが、透子は容赦しなかった。鳩尾へ軽く一撃を入れ、意識を落とす。
羽喰が叫ぶ。
「おい、やりすぎだ!」
「こうしたほうが運びやすい」
「正しいけどよ!」
透子は皆川を肩に担ぎ、渡り廊下を蹴った。
防護服が進路を塞ぐ。羽喰が連射する。足場のライトが砕け、火花が散った。
暗がりの中、透子が一人目を蹴り倒し、二人目の脇を抜ける。その時、密閉容器のロックがさらに外れた。
かちん。甘い匂いが強くなる。
白瀬が言った。
「第二の選別を始めましょう」
防護服たちが、一斉にカプセルのロックを解除した。
眠らされていた客たちの瞼が震え、目を覚ます。彼らの目は、同じ方向を向いていた。
密閉容器……その甘い匂いへ。それぞれの願いへ。
佐伯が、いつの間にか昇降床のそばに立っていた。
ロビーから降りてきたのか。それとも別の経路で誘導されたのか。彼はふらふらと、白瀬の方へ歩き出す。
「若さを……」
ギンが叫ぶ。
「佐伯!」
佐伯は聞いていない。
永美は息を呑んだ。
ここは、もう聖餐の場ではない。市場だった。人間の願いが、値札として読み上げられていく市場。
白瀬は壇上の商人のように立っている。
「見えますか、永美様。これが岩羽島です」
「違う」
永美は言った。
「これは、あなたが岩羽島にしたものだ」
白瀬の目が細くなる。
永美は続けた。
「島は、人を食い物にしたのではない。あなた方が島を使って、人を食い物にした」
その言葉に、ギンが顔を上げた。
ほんの一瞬だけ、彼女の目に力が戻る。
白瀬は何か言おうとした。だが、その前に、艦内の奥から警報が鳴った。
防護服の一人がタブレットを見て、初めて焦った声を出す。
『M-0移送サンプル、反応上昇』
密閉容器が震えていた。中から、何かが内壁を叩いている。
どん。どん。どん。
甘い匂いが、急に焦げたような臭いへ変わった。
白瀬の表情が消える。
「……予定より早いですね」
羽喰が銃を構え直す。
「おい、何が起きてる」
防護服の声が重なる。
『容器内圧、上昇』
『封鎖維持不能』
『サンプル、覚醒兆候』
透子が皆川をこちらへ投げるように下ろした。
「羽喰、受けろ!」
「雑!」
羽喰が皆川を抱え込み、倒れそうになる。
永美は密閉容器を見た。
金属の隙間から、白いものが滲んでいる。
肉だ。だが、ただの肉ではない。さっきまで分類され、運ばれ、売られていた人間の願いに反応するように、その表面が脈打っている。
白瀬が低く言った。
「全員、下がりなさい」
初めて、命令に焦りが混じった。永美は、それを見逃さなかった。
「白瀬さん」
「何です」
「あなたにも、制御できないのですね」
白瀬は答えなかった。密閉容器の最後のロックが、内側から弾け飛んだ。甘い匂いと、焦げた金属臭が、地下ドックに溢れ出した。




