青い輝き
開いた床を羽喰が縁から下を覗き、舌打ちする。
「……かなり深いな」
「降りるぞ」
透子が言った。
「言われなくてもわかってる」
八尾はロビーの端で、恭しく一礼した。
「私はここで、お客様方をお見送りいたします」
「来ないのか」
永美が訊く。
「狂言回しが舞台中央に立ちすぎますと、役者の邪魔になりますので」
「便利な立場だね」
「ふふ……ええ。大変気に入っております」
透子が永美を見る。
「今度は目隠しは不要だ」
「ようやく信用されたかな」
「違う。見ないと足場を踏み外す」
「思いの外実用的な理由だった」
「当然だ」
四人は昇降床に乗った。床の中央が、再び開き始めた。
赤い絨毯の下から現れたのは、客用の階段ではなかった。鉄骨で組まれた昇降床。大きな荷を運ぶための、業務用の搬送機だった。
四人が乗ると、昇降床はゆっくりと沈み始めた。
壁には古い表示が並んでいる。
第一地下ドック連絡路。
艦内搬入口。
格納庫甲板連絡路。
機関部接続通路。
羽喰が低く吐き捨てた。
「冗談じゃねぇ」
「何かの船着場のようだな……羽喰。読めるのか?」
透子が訊く。
「はぁ……こんなクソみたいな文字面、解りたくなかった」
永美は壁の表示を見上げる。
「機関部接続通路……」
「ここに機関があるわけじゃねぇ」
羽喰が遮った。
「この施設はただの通路だ。問題は、どこへ繋がってるかだ」
昇降床が止まった。
目の前には、分厚い鉄扉があった。ホテルの設備ではない。研究施設の隔壁とも違う。艦船用の防水扉に似た、丸いハンドルのついた扉だった。
横のプレートには、かすれた文字でこうある。
第一地下ドック。
機密区域。
許可なき立入を禁ず。
羽喰が銃を構えたまま、ハンドルへ手をかける。
「開けるぞ」
透子が頷く。ギンは杖を握りしめた。
羽喰がハンドルを回す。
扉が開くと、潮と油と鉄の匂いが流れ込んできた。そこは、岩盤をくり抜いた巨大なドックだった。黒い水面の中央に、巨大な艦が眠っている。
船というより、鋼鉄の街だった。
長大な飛行甲板が闇の中へ伸び、艦橋らしき構造物は黒い布で覆われている。艦番号も国籍標識も塗り潰され、艦腹には巨大な搬入口が開いていた。
羽喰の声が、かすれた。
「……空母」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
岩羽島。人魚伝説。百年聖餐会。
宇宙から落ちた肉。戦後の研究施設。
羽喰は足場の壁へライトを向けた。
そこに見えたのは、艦内配置図だった。そして、艦の腹の奥に、赤く塗られた一画。
PROPULSION PLANT.
その下に、日本語で小さく書かれていた。
原子力推進区画。
放射線管理対象。
羽喰の顔色が変わった。
「……そういうことかよ」
永美が図面を見る。
「炉心は、この施設ではなく、あの艦の中にある」
「ああ」
羽喰は奥歯を噛んだ。
「この地下施設は、研究所で、通路で、蓋だ。肝心なものは空母の中だ」
透子が艦を見たまま言う。
「隠していたのは、人魚の肉だけではない」
「……むしろ逆だ」
羽喰は艦内配置図を睨んだ。
「人魚の研究施設が、この艦を隠すための煙幕にもなってた。怪談で人を遠ざけ、カルトで人の目を逸らし、島そのものをドックの蓋にした」
永美は、配置図の下に貼られた古い紙片に気づいた。
黒いインクはほとんど滲んでいる。だが、表題だけは読めた。
GLITTER ISLAND PROJECT.
(グリッター・アイランド計画)
その下に、鉛筆で走り書きが残っていた。
Blue glitter observed in cooling-water log.
Cherenkov-related notation retained as internal code.
永美は静かに息を吸った。
「羽喰さん」
「何だ」
「グリッターというのは、私の比喩と比べて、どうやらもっと巨大で、悍ましい直球な比喩のようだ……」
「ブルーグリッター、比喩……ったくクソみたいな名前をつけやがって……! つまりチェレンコフ光って言いたいわけかよ」
羽喰は苦い顔で言った。
「黒塗りの資料に、その単語だけ残ってた。チェレンコフ発光。冷却水。放射線管理。どれも前後が塗り潰されて、意味がわからなかった」
永美は艦内配置図を見つめた。
「原子力空母の炉心は艦の中にある。冷却水と放射線管理の記録。その青白い光を、関係者が“グリッター”と呼んだ」
「島がきらめくからじゃねぇ」
羽喰が言った。
「海がきれいだからでも、人魚の鱗が光るからでもねぇ。こいつは、炉心の周りの青い光を隠語にした名前だ」
ギンが顔を歪める。
「島の者は、浜の光を人魚のものと思うた。海の底に、神の肉が眠ると思うた」
彼女は艦を睨んだ。
「じゃが、後から来た者どもは、別の光を見ておったのじゃな」
永美は図面の中の赤い区画を見た。実際の炉心が見えるわけではない。青い光が目の前で揺れているわけでもない。
だが、文字と線と黒塗りの隙間から、計画の名だけが浮かび上がってくる。
グリッター。
美しい言葉だ。だからこそ、ひどく醜い。
羽喰は壁の紙片を剥がし、胸ポケットに押し込んだ。
「グリッター・アイランド計画。やっと輪郭が見えた」
「輪郭だけですか」
「全部見えたら、たぶん生きて帰れねぇ」
「では、今は輪郭で我慢しましょう」
「お前は我慢を覚えろ」
その時、奥の足場で拍手が鳴った。白瀬だった。白い衣の信徒を従え、艦腹へ続く渡り廊下の上に立っている。
「素晴らしい」
彼は穏やかに微笑んでいた。
「やはり、永美様は理解が早い」
羽喰が銃を向ける。
「動くな」
「動きませんよ。まだ、解説の途中ですから」
白瀬の視線が、艦内配置図へ向かう。
「美しい名前でしょう。人は、見てはならないものほど、美しい名前をつけたがる」
永美は言った。
「あなた方にとって、百年聖餐会も同じですか」
白瀬の笑みが深くなる。
「ええ」
その一言で、場の温度が変わった。
「グリッター・アイランドが技術の罪を隠す名前なら、百年聖餐会は人間の消失を隠す名前です」
羽喰の目が鋭くなった。
「デコイか」
「ええ、そのとおり」
白瀬はあっさりと認めた。
「カルトというものは便利です。異常な失踪も、奇妙な食事も、集団の熱狂も、まず“そういう宗教”として処理される。誰も奥にある契約書までは見ようとしません」
透子が低く言った。
「お前は信仰などしていない」
「必要なのは信仰ではありません」
白瀬は渡り廊下の欄干に手を置いた。
「人を集め、願いで選別し、地下へ送る仕組みです」
永美は艦内配置図から目を離さずに言った。
「グリッター・アイランド計画。人魚伝説。百年聖餐会。すべて名前が違うだけで、目的は同じか」
「隠すこと」
羽喰が言った。
「そして、人を運ぶこと」
白瀬は嬉しそうに微笑んだ。
「ご名答です」
艦内搬入口の奥で、別の扉が開いた。白い衣ではない。防護服を着た人影が、暗がりから現れた。
胸には、所属を示す印が二つ。
日の丸。
そして、星条旗。
羽喰の顔から血の気が引いた。
「おいおい……本隊かよ」
白瀬は、初めて心から嬉しそうに笑った。
「ええ。お迎えです」




