Dreamers
「僕たちはREVERIE。夢を見る者だ」
その声は、壊れた会議室に静かに広がった。
金色の成功発表会は、もうほとんど残っていない。
薄暗い会議室。
砕けた社長席。
床一面に散らばった名刺。
そして、その前で膝をついた天城誠司。
天城は怪我をしていなかった。
撃たれたのは、彼ではない。
砕けたのは、彼が座りたかった椅子だけだ。
それでも天城は、まるで自分の身体の一部を壊されたみたいに、社長席の残骸を見つめていた。
頬を涙が伝っている。
本人は、それに気づいていないようだった。
「私は……社長に……」
声にならない声が、唇の端からこぼれる。
アウロはアンカーを向けたまま、目を細めた。
銃身側面の数字は、ゼロ。
それでも、銃口は下げない。
「夢を見る者ねぇ。寝言っぽい名前だな」
「君たちから見れば、そうだろうね」
「悪いけど、俺は起こす側なんでね」
「知っているよ。VIGILだもんね。それしか知らないんだよね」
人影はゆっくりと歩き出した。
暗がりから、細い輪郭が浮かび上がる。
若い男にも、少年にも見えた。
声は穏やかで、敵意らしい敵意はない。
だが、その存在だけが、このフォレストに混じっていなかった。
「俺らが可哀想なやつとでも言いたげな言葉だな、優男」
『アウロ、危険です。強制帰還の指示が出ました』
「リンちゃん、これから盛り上がってくるんだよ。大丈夫」
『レヴァンからの指示です』
「やっぱり、何か隠そうとしてんのか。あの野郎」
人影は小さく笑った。
「優男なんて、そんな名前で呼ばないでくれ。僕はリーフ」
「リーフ?」
「そう呼ばれている。覚えてくれると嬉しいな」
「覚えるかどうかは、これから次第だな。優男」
「手厳しいね」
リーフは、天城へ視線を向けた。
天城は動かない。
砕けた社長席を見たまま、ただ涙を落としている。
「天城」
アウロが呼ぶ。
返事はない。
「おい。まだ聞こえてんだろ」
天城の唇がかすかに動いた。
「私は……あそこに……」
アウロは舌打ちした。
「だめだな。まだ椅子見てる」
「見たい夢を見ているだけだよ」
「悪夢だろ、これ」
「現実よりは優しい」
「どこがだよ」
「少なくとも、ここでは彼は一度、社長になれた」
リーフの声は柔らかかった。
天城を責めるでもなく、アウロを挑発するでもない。
ただ、眠っている人間に毛布をかけるような調子で言う。
「それで?」
「それだけで、救われる人間もいる」
「救われてねえから泣いてんだろ」
「泣ける夢なら、まだ優しいよ」
アウロの目が細くなる。
「お前、それ本気で言ってんのか」
「うん。本気だよ」
リーフは静かに頷いた。
それから、天城の方へ歩き出す。
「動くな」
アウロはアンカーを向ける。
撃てない。
それでも、引き金に指をかける。
リーフは足を止めなかった。
「撃てないよね」
「試してみるか?」
「もう弾は入っていないでしょ。君はカウンターだもんね」
「なんでそれを知ってんだ、お前が」
「君のことは少し知っているよ。アウロ」
「は?」
「ずっと、眠っている人を待っていることも」
アウロの目つきが変わった。
「……お前」
「ごめん。今は彼の話だったね。天城君」
リーフは天城のそばで膝を折った。
そして、砕けた社長席を見つめる天城の耳元へ、顔を寄せる。
「やめろ」
アウロが一歩踏み出す。
「彼に選ばせるだけだよ」
リーフは、天城の耳元で囁いた。
声は小さすぎて、アウロには聞こえなかった。
けれど、天城の表情だけが変わった。
泣き濡れた顔が、ゆっくりと上がる。
壊れた社長席を見る。
その目に、さっきまでとは違う光が宿った。
諦めではない。
救いでもない。
もっと深い場所へ沈むための、静かな納得だった。
「……まだ」
天城が呟く。
「まだ、座れるのか」
砕けた社長席の周囲から、黒い影が滲み出した。
水が染みるように、床へ広がっていく。
影は天城を掴まない。
ただ、椅子の残骸を包み込む。
そして、天城は自分から手を伸ばした。
「おい、天城」
アウロが叫ぶ。
「それは椅子じゃねえ。沈み穴だ」
天城は聞いていなかった。
震える手で、砕けた椅子の背に触れる。
「私は……社長に……」
黒い影が椅子を飲み込む。
天城の指先も、その影に触れた。
アウロは走った。
リーフは立ち上がり、静かに道を空ける。
「追わない方がいいよ」
「そこをどけ」
「もう、彼は下を見ている」
天城の身体が一段、床へ沈んだ。
黒い影が足元を飲み込む。
会議室の壁が遠ざかる。
代わりに、椅子の下から新しい空間が開き始めていた。
暗い。
深い。
さっきまでの会議室より、ずっと重い。
『対象、沈下開始。外部干渉により沈下速度が上昇しています』
「外部干渉ねぇ」
アウロはリーフを睨む。
「やっぱり、お前が沈めてるんだな」
「僕は言葉を置いただけだよ」
「それを一番悪質って言うんだよ」
「もう彼は深く潜るよ」
「だろうな。でもな助けんのが仕事なんだよ。」
リーフは答えない。
ただ、少しだけ困ったように微笑んだ。
その沈黙が答えだった。
『アウロ、これ以上はあなたも飲み込まれます。てをはなしてください。
「それはできないな。ごめんねリンちゃん。」
天城の腰までが、黒い影に飲まれていた。
彼は抵抗しない。
ただ、壊れた社長席の向こうを見ている。
「私は……あそこに……」
その声はもう遠い。
会議室の奥からではなく、床の下から聞こえているようだった。
アウロはさらに走った。
黒い影が足元に絡みつく。
痛みが走る。
神経が焼ける。
『アウロ。強制帰還システムを作動します。』
「まってくれ。リンちゃん」
耳からカウントダウンが聞こえてくる。
10
リーフが言った。
「追わない方がいいよ」
空気が重くなる。
アウロの身体が、床へ押しつけられた。
重力ではない。
夢の深度が変わった。
「っ……」
「フォレストコインのない君では迷子になってしまう。資格をもってきてよ。」
リーフが、優しく首を傾けた。
「なんだと優男黙ってろ。男に心配されるのはあいにく嫌いでね。」
「全く、君はそういう人だよね。ならヒントをあげるよ君はもう持っている」
アウロの目つきが変わった。
「何言ってんだ」
リーフはゆっくりと言葉を続けた。
「正確に言えば――君たちが、だ」
会議室が沈む。
床が割れ、天城の身体がさらに下へ落ちていく。
「おい、どういう意味だ」
リーフは答えない。
ただ、アウロの手元を見た。
コマンダーのジョブコイン。
そして、コートの内側。
そこにあるものを見透かすように。
アウロは反射的にコートへ手をやった。
アカネの銃。
現実から持ち帰った、彼女の終わりの片割れ。
リーフの口元が、わずかに動く。
「夢の帰り道は、いつも現実側にも傷を残す」
「てめえ」
5
『アウロ、強制帰還システム作動まであと5秒』
「頼むもう少しだけ」
リンの声が、いつになく強く響いた。
『駄目です。あなたまで戻れなくなります』
天城の顔が沈む。
最後に見えたのは、社長になれなかった男の目だった。
天城はアウロを見ていなかった。
壊れた社長席だけを見ていた。
「私は……」
声が途切れる。
黒い影が閉じた。
天城誠司は、第五層以下へ消えた。
『対象ロスト』
「……くそ」
引き金を引く。
弾丸がない銃がリーフへ向かって。
だが、リーフの手前で、空間が水面のように揺れた。
弾は沈む。
音もなく、暗がりに飲まれて消えた。
リーフの声だけが残る。
「第五層より下では、君の銃もまだ届かない」
アウロは歯を食いしばる。
「次は当てる」
「そのためには、もっと強くなることだね」
「言われなくてもやるよ」
「そして思い出すといい」
リーフが薄れていく。
壊れた会議室が崩れ始めた。
天井が落ちる。
机が沈む。
役員たちの影が溶ける。
「フォレストコインは、探すものではない」
アウロは目を細める。
「なんだと」
「帰れなくなった者が、現実に残す傷だ」
リーフの姿がさらに薄くなる。
その向こうに、第五層へ続く暗い穴が揺れていた。
「知りたいなら、君もこっちに来ればいいよ」
リーフは優しく笑った。
「アカネさんのことも、フォレストコインのことも」
アウロの表情から、軽さが消えた。
「ああ。聞きたいことが山ほどある」
アウロはアンカーを握り直す。
「すぐに追いかけて、捕まえてやる」
「待っているよ」
リーフの姿が消える。
同時に、リンの声が割り込んだ。
『接続限界。強制帰還します』
「まだ終わってねえ!」
『これ以上は危険です』
「……頼む。あと少しだけ」
『強制帰還』
視界が反転する。
会議室が遠ざかる。
暗い床の底で、まだ誰かの声がしていた。
社長にしろ。
社長にしろ。
社長にしろ。
声が途切れる。
落下。
耳鳴り。
白い光。
『帰還成功』




