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「現実に戻るために、徴収はじめんぞー」
アウロの声が、壊れかけた会場に軽く響いた。
返事はない。
拍手もない。
客席の人間たちは立ち尽くしたまま、同じ目でアウロを見ていた。
その中心で、天城誠司だけが笑っていた。
いや、笑おうとしていた。
口元は上がっている。
だが、頬はひきつり、目は揺れていた。
「私は社長だ」
「まだ言うか」
「私は成功した。ここにいる全員が、私を認めている」
「全員ねぇ」
その言葉に応じるように、客席がざわめく。
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
声はもう揃っていない。
誰かが早く、誰かが遅い。
言葉の形だけが残って、意味が崩れていた。
アウロはアンカーを下ろさない。
銃身側面には、三の数字が淡く浮かんでいる。
「じゃあ聞くけどさ」
「何をだ」
「会社って、誰かに万歳される場所なの?」
天城の眉が動いた。
「何を言っている」
「いや、俺は国家公務員だからさ。会社のことはよく知らねえんだけど」
アウロは周囲を見回す。
社員。
投資家。
報道陣。
秘書。
役員。
誰もが天城を見ている。
誰もが天城を称えている。
けれど、誰一人として、仕事はしていなかった。
「社員がいて、投資家がいて、報道陣がいて、秘書がいて、役員がいて。ずいぶん立派な会場だよな」
「そうだ。これは私の会社だ」
「でも、誰も仕事してねえじゃん」
会場が静まる。
「誰も資料を見てない。誰も数字を出してない。誰も失敗を報告しない。誰もあんたに反論しない」
アウロは一歩進む。
「ただ万歳してるだけだ」
天城の顔がわずかに歪む。
「それが、私への評価だ」
「評価じゃなくて、願望だろ」
客席の人間たちが一斉に揺れた。
シャンデリアの光が明滅する。
AMAGI HOLDINGSのロゴが、ノイズのようにぶれた。
「違う」
「違わない」
「私は選ばれた」
「誰に?」
「皆にだ!」
天城が叫ぶ。
客席がそれに応える。
「天城社長万歳!」
「天城社長万歳!」
「天城社長万歳!」
声は大きい。
だが、どこか必死だった。
アウロは耳を押さえた。
「わかったわかった。声量だけは社長クラスだな」
『精神構造の揺らぎが拡大しています』
「このまま押せば割れる?」
『対象が第四層へ沈下する可能性があります』
「面倒だな」
『救助対象です』
「わかってるよ」
アウロは天城を見る。
「なあ、天城。あんた、いつ社長になった?」
天城が固まる。
ほんの一瞬、呼吸が止まったように見えた。
「……何?」
「就任式は?」
「ここだ」
「登記は?」
「必要ない」
「社員の名前は?」
「皆、私を慕っている」
「会社の事業内容は?」
「次の時代を作る」
アウロは口元を歪めた。
「ふわっふわだな」
天城の目が見開かれる。
怒りより先に、怯えが浮かんだ。
まるで、書類の不備を指摘された子どもみたいだった。
「黙れ」
「じゃあ、取引先は?」
「黙れ」
「売上は?」
「黙れ」
「株主は?」
「黙れ!」
天城の叫びに合わせて、会場の照明が大きく揺れた。
金色の壁に、細いひびが走る。
アウロはそのひびを見た。
そこから、薄暗い別の景色が覗いている。
長い机。
白い資料。
伏せられた名札。
誰も座っていない、中央の席。
天城はそれを見ないように、顔を背けた。
「私は社長だ」
声が震えていた。
「私は、社長になったんだ」
「なった?」
「そうだ。私は選ばれた。私が一番ふさわしかった。誰よりも会社を考えた。誰よりも、あの席に近かった」
天城は自分に言い聞かせるように、胸元の社章を握りしめた。
だが、その社章にはもう光がなかった。
金色の表面に、細かな傷が浮かんでいる。
「次は私だった。誰もがそう思っていた。私も、そう思っていた」
客席の人間たちが、ゆっくりと首を傾ける。
全員が天城の目で、天城を見ていた。
「なのに」
天城の声が低くなる。
「なのに、あいつらは私を選ばなかった」
その瞬間、客席が呟く。
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
天城はそれを聞いて、少しだけ落ち着いたように息を吐いた。
称賛が薬みたいに、彼の表情を戻していく。
「聞こえるだろ。皆が私を認めている」
「違うな」
アウロは一歩進む。
「そいつらは、あんたを認めてるんじゃない」
「何が違う」
「そいつらは、あんたが欲しかった言葉を言ってるだけだ」
会場がわずかに静まる。
拍手の音が乱れた。
「何を言っている」
「見てるのは社長って肩書きだけだろ」
「違う」
「違わねえよ」
アウロはまた一段、階段を上がる。
「社員も、投資家も、記者も、秘書も、役員も。全員、あんたの目をしてる」
天城の笑顔が固まる。
「違う」
「全部あんただ」
「違う!」
会場のシャンデリアが大きく揺れた。
金色の壁が剥がれ、奥の会議室がさらに濃くなる。
長い机。
資料の束。
役員たちの影。
中央の席。
その席の前に立つ、天城ではない男の影。
天城の喉が鳴った。
「見るな」
「まだ何も言ってねえよ」
「見るな!」
天城は両手で耳を塞いだ。
だが、客席の声は止まらない。
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
「天城社長万歳」
その声が、少しずつ変わっていく。
「社長にしろ」
「社長にしろ」
「社長にしろ」
アウロは耳を傾けた。
「万歳じゃなくなったな」
天城の顔が青ざめる。
「違う」
「いや、今の方が本音っぽいぞ」
「違う!」
天城の胸元で、社章が砕けた。
金色の破片が床へ落ちる。
落ちた破片は、名刺に変わった。
代表取締役社長。
天城誠司。
何枚も。
何十枚も。
刷られただけの肩書きが、床一面に散らばっていく。
アウロは一枚を拾い上げた。
「これか」
天城の顔が歪む。
「返せ」
「名刺は立派だな」
「返せ!」
「でも、名刺に刷っただけじゃ社長にはなれねえよ」
天城は息を呑んだ。
その一言が、銃弾より深く刺さったように見えた。
「私は、なるはずだった」
ぽつりと、天城が言った。
「あの席は、私のものだった。次は私だった。そうなるはずだった」
「でも選ばれなかった」
天城の口が止まる。
会議室の景色が、さらに濃くなる。
役員たちの影が拍手をしている。
だが、その拍手は天城に向けられていない。
中央の席の前に立つ、別の男へ向けられていた。
「違う」
「違わねえよ」
「私は、社長に……」
「なりたかった」
アウロが言った。
天城の身体が震える。
「違う」
「お前は社長だったんじゃない」
「違う」
「社長になりたかっただけだ」
「違う!」
天城の叫びで、会場が割れた。
AMAGI HOLDINGSのロゴが砕け、金色の光が雨みたいに降る。
アウロはその中で、静かに続けた。
「お前は社長じゃない」
その一言で、すべての万歳が止まった。
天城の顔から、色が抜ける。
口が開く。
何かを言おうとして、言葉にならない。
代わりに、客席の残骸が呟いた。
「社長にしろ」
「社長にしろ」
「社長にしろ」
祝福は完全に消えた。
残ったのは、願望だけだった。
天城は両手で耳を塞ぐ。
「私は、社長に……」
その声は、もう壇上の成功者の声ではなかった。
病室で眠っていた、疲れた四十二歳の男の声だった。
「なるはずだったんだ」
金色の会場が剥がれていく。
薄暗い会議室が、はっきりと現れ始めた。
長い机。
伏せられた名札。
役員たちの影。
中央の社長席。
そして、その席の前に立つ、天城ではない男の影。
天城の喉が鳴る。
「やめろ」
アウロはその影を見た。
「あれが、次の社長か」
「やめろ!」
叫びと同時に、客席の残骸が黒く沈んだ。
社員も、投資家も、報道陣も、秘書も、役員も、形を失っていく。
黒い影が床を這い、天城の足元へ集まっていった。
『対象意識、第四層へ沈下開始』
「落ちるの早いな」
『現実認識による急性崩壊です』
「俺のせいって言いたい?」
『救助を優先してください』
「はいはい」
黒い影が、天城の足首を掴んだ。
天城は抵抗しない。
ただ、会議室の社長席を見つめている。
「私は、あそこに座るはずだった」
影が膝まで這い上がる。
「私は、選ばれるはずだった」
アウロはアンカーを握り直す。
装填数はゼロ。
先ほどの三発は使い切った。
天城へ伸びる影を撃つ弾はない。
「リンちゃん」
『はい』
「あと何発もらえば撃てる?」
『十発です』
「わかりやすくて腹立つな」
アウロは影の前へ踏み込んだ。
黒い腕が伸びる。
自己投影の残骸が、今度はアウロではなく、天城自身を沈めようとしている。
『危険です』
「知ってる」
黒い腕がアウロの肩を裂いた。
痛みが神経を走る。
『被弾情報を確認』
アウロは天城へ向かって叫んだ。
「おい、天城」
天城は顔を上げない。
「社長になれなかったくらいで、死ぬほどかよ」
天城の肩が震える。
「黙れ」
「黙らねえよ。徴収中なんでね」
黒い腕が、さらに伸びる。
アウロの脇腹を裂き、背中を打つ。
『現在被弾三十四』
「あと六つ」
アウロは前へ進む。
薄暗い会議室の景色が濃くなる。
社長席の前に立つ男の影。
拍手のない会議室。
伏せられた天城の名札。
天城はそれを見た。
「やめろ」
「見ろよ」
「やめろ……」
「戻るなら、そこからだろ」
黒い腕が、アウロの胸を貫くように突き刺さった。
痛みが弾ける。
『被弾四十』
銃身が低く鳴る。
側面に、淡い数字が浮かんだ。
一。
アウロは口元を歪めた。
「一発。上等」
天城の周囲で、黒い影がさらに膨れ上がる。
金色の成功発表会はもうほとんど残っていない。
現れたのは、薄暗い会議室と、座れなかった社長席だけだった。
天城は震える声で呟いた。
「私は、社長に……」
アウロはアンカーを構える。
撃つ相手は天城ではない。
天城の背後にある、空席の社長席だった。
「まずは、その椅子から壊すか」
銃声が、薄暗い会議室に響いた。
弾丸はまっすぐ社長席へ飛ぶ。
空席の背もたれに当たった瞬間、会議室全体が白くひび割れた。
社長席が砕ける。
名札が舞う。
伏せられていた紙片が宙に浮かび、ばらばらにほどけていく。
その中心で、金色でも黒色でもない、小さな光が生まれた。
『結晶化反応を確認』
「出たか」
『ジョブコインです』
光は硬貨の形へ変わっていく。
表面には、王冠でも椅子でもなく、交差する旗と小さな指揮杖のような紋様が刻まれていた。
『ジョブコイン、コマンダー』
「社長じゃなくて指揮官かよ」
アウロは手を伸ばし、コインを掴んだ。
その瞬間、薄暗い会議室の奥で、誰かが拍手をした。
一度。
二度。
三度。
ゆっくりとした拍手だった。
アウロは振り向く。
「……誰だ」
会議室の奥。
まだ剥がれ落ちていない暗がりの中に、一人の人影が立っていた。
天城ではない。
自己投影でもない。
その影だけが、このフォレストの夢に混じっていなかった。
『アウロ、未知の反応です』
影は楽しそうに手を止めた。
「さすがアウロ君だ」
アウロはアンカーを向ける。
装填数はゼロ。
それでも銃口を下げない。
「お前、誰だよ。同業か?」
「あれ。彼は言っていなかったのかい? てっきり、招待状くらいは渡しているものだと思っていたんだけど」
「招待状?」
「まったく。使えない情報屋だな」
「情報屋……まさかお前」
人影は壊れた会議室の中で、静かに首を傾けた。
「思い出してくれたのかい? 嬉しいね」
暗がりの中で、その口元だけが笑う。
「僕たちはREVERIE。夢を見る者だ」




