Forest coin
目が覚めた時、時計は十五時を少し過ぎていた。
遮光カーテンの隙間から、薄い光が床に落ちている。朝でも昼でもない、中途半端な時間だった。
アウロはベッドの上でしばらく天井を見てから、片手で顔を覆った。
「……寝すぎた。」
部屋は静かだった。冷蔵庫の低い音と、遠くの道路を走る車の音だけがある。
2LDKの部屋は、散らかってはいない。ただ、生活の匂いが薄かった。
テーブルには缶コーヒーの空き缶が二本。ソファの背にはコート。
アウロは起き上がり、首を鳴らした。
肩の奥に、まだ鈍い痛みが残っている。第一層で撃たれた場所だ。
現実の皮膚には傷一つない。
それでも神経だけが、三十発分の痛みを律儀に覚えていた。
「真面目だねぇ」
独り言を吐き、換気扇の下でタバコを吸う。
火をつけても、匂いはしない。
規制されていない、無味無臭のタバコだった。
一息ついてから、洗面台へ向かう。
鏡の中の自分は、思ったより疲れていた。寝癖。薄い隈。ひどい顔だ。
顔を洗い、コートを羽織る。
玄関を出る直前、アウロは棚の上に置かれた小さな写真立てを見た。
アカネが写っている。
笑っている。
今の病室にいる彼女とは、違う顔だった。
「行ってくるわ」
それだけ言って、部屋を出た。
十五時台の街は、妙に暗かった。
日が落ちるにはまだ早い。だが、商店街の半分以上はシャッターを下ろしていた。
古びた看板。消えたネオン。貼りっぱなしの求人広告。その横には、行政の注意ポスターがある。
眠っている人を見つけたら通報を。フォレスト感染の疑いがあります。
アウロはその前を通り過ぎた。
昔はここも、夕方前から人で溢れていたらしい。今は違う。
開いている店より閉まっている店の方が多い。
昼と夜の間に、街そのものが置き去りにされているみたいだった。
「飲みに行く街じゃねえな」
それでも、アウロは歩いた。
目当ての店は、商店街の一番奥にある。看板はない。
入り口のドアには、営業中とも休業中とも書かれていない。開けていいのか迷うような店だ。
その手前で、脇道から女の声が飛んできた。
「アウロ!」
振り向くと、閉まったスナックの前に女たちがいた。
店の片づけをしているのか、派手な髪をまとめ、段ボールを抱えている。
「また来てよ、アウロ」
「最近顔出さないじゃん」
「寂しいんだけど」
アウロは片手を上げた。
「俺がいないと街が暗いだろ?」
「街は最初から暗いよ」
「返しが強いな」
女の一人が笑う。
「今日は飲んでかないの?」
「先約」
「女?」
「残念。男」
「つまんない」
「俺もそう思ってる」
女たちが笑う。
その明るさだけが、シャッター街で少し浮いていた。
「また来てよ」
「国家予算が降りたらな」
「それ、いつ?」
「俺が知りたい」
アウロは軽く手を振り、目当ての店へ向かった。
入り口のドアには、営業中とも休業中とも書かれていない。開けていいのか迷うような店だ。
アウロは迷わずドアを開けた。
古いベルが鳴る。
中は薄暗かった。カウンター席が六つ。
奥に古い棚。酒瓶は並んでいるが、半分以上は中身が空だ。
カウンターの向こうで、細い男がグラスを拭いていた。
年齢はわかりにくい。三十にも見えるし、五十にも見える。黒いシャツに、妙に綺麗な手。
目だけがいつも眠そうだった。
「開いてる?」
男は顔を上げずに答えた。
「閉めてるように見えるか?」
アウロは口元を歪める。
「潰れてるようには見える」
男の手が止まる。
「帰れ」
アウロは勝手にカウンターへ座った。
「やだね。客だぞ」
男はグラスを置き、棚から瓶を一本取り出した。ラベルは剥がれかけている。
中身が何なのか、アウロにはわからない。たぶん知らない方がいい。
「ああ」
「金がないやつの注文だな」
「知ってるか? アルコールもタバコも禁止されてんだ、この国は。警察に通報しないだけありがたいと思えよ」
「うちは、なんでもありだ」
「ああそうかい」
男は何も言わず、グラスに琥珀色の液体を注いだ。
量は少ない。
アウロはそれを見て顔をしかめる。
「少なくない?」
「薄いやつだろ」
「心まで薄いとは思わなかった」
「帰れ」
「それ多くない? 本日二回目だぞ」
グラスを受け取り、一口飲む。
喉が焼ける。
「これだよな。仕事のあとは」
「神経負荷持ちが昼からなにいってんだよ」
「心配?」
「店で倒れられると面倒だ」
「優しいねぇ」
男は返事をしなかった。
カウンターの向こうで、またグラスを拭き始める。
店内は薄暗い。窓はない。外のシャッター街の気配だけが、ドアの向こうに沈んでいる。
アウロはグラスを揺らした。
「あのフォレストコインの話を聞きたい」




