VIGIL
帰還時の感覚には、いつまで経っても慣れなかった。
視界が白く反転し、意識だけが一瞬遅れて現実へ戻ってくる。浮遊感と吐き気が同時に押し寄せ、アウロは医務室の検査椅子へ深く座り込んだ。
「三十発だぞ。労災おりる?」
モニターを見ていた中年の医師が、眼鏡を押し上げる。
「申請自体は可能ですよ」
「通してくれよ、先生」
医師は検査データを確認しながら続けた。
「肉体損傷なし。ただし神経代替負荷は中等度。精神汚染率は正常範囲内です」
「三十発撃たれて中等度って……」
「第五層までは、損傷が肉体ではなく神経に逃げます」
「逃げるなよ」
「肉体が壊れるよりはマシです」
「神経が壊れるのはいいのか?」
「ああ言えばこう言いますね」
アウロは検査椅子にもたれ、天井を見上げる。
夢の中では肩を撃たれ、腹を撃たれ、何度も倒れそうになった。なのに現実の身体には傷一つない。ただ、痛みだけは綺麗に脳へ残っている。
それがフォレストだった。
浅層は安全と言われる。肉体だけなら。
医務室のドアが、ガラッと開いた。
「リンちゃん! やっと会えたね。この後暇?」
入ってきたリンは、端末を片手に持ったまま表情ひとつ変えなかった。
「レヴァンが呼んでいます」
「うわ、仕事の話だった」
「任務報告と次案件の提示です」
「リンちゃんが呼び出してくれるなら喜んで行くけど?」
「命令です。速やかに移動してください」
「そういうとこだよ」
アウロは椅子から立ち上がり、机の上に置かれていたアンカーを拾う。
「じゃ、行ってきます」
「神経負荷はまだ残っています。無茶はしないように」
「お、珍しく優しい」
「事実を伝えているだけです」
「でも心配してくれてるんだ?」
「違います」
「即否定!?」
医師が小さく咳払いした。
「元気そうですね」
「先生、リンちゃん冷たくない?」
「私は十分配慮しています」
「どこが?」
「生存確認をしています」
「最低ラインだろ、それ」
アウロは肩をすくめる。
「善処しまーす」
軽い足取りのまま、医務室を出ていった。
自動ドアが閉まる。
少しだけ静かになった部屋で、医師がカルテを閉じた。
「……彼は、いつもああいう調子なんですか?」
「はい」
「軽い方ですね」
リンは閉じたドアを見たまま答える。
「ああでも言わないと、保てないんです」
医師が視線を向ける。
リンは静かに続けた。
「あの人は、ずっとアカネさんを追ってますから」
VIGIL本部は地下に作られている。
アウロは長い通路を抜け、司令区画へ向かった。壁面モニターには各地のフォレスト反応が流れている。赤い警告表示は、昨日よりまた増えていた。
エレベーターが開く。
最上層、司令区画。
レヴァンの執務室は相変わらず無駄がなかった。壁一面のモニターには、日本地図とフォレスト発生反応が表示されている。その中央には、階層別帰還率が淡々と数字で並んでいた。
「よう、ダディ」
「その呼び方をやめろ」
「呼んだのそっちだろ。寂しかった?」
「次の任務だ」
「ねぎらいゼロかよ」
「必要ない」
「労災も通らないし、愛もないし、最低の職場だな」
レヴァンがモニターを切り替える。
表示されたのは、四十二歳の男だった。
「次は第三層だ。対象は四十二歳男性。自称会社経営者。意識沈下が進行している」
「浅層の底か」
「だが沈下速度が速い。放置すれば第四層へ落ちる可能性が高い」
「落ちる前に拾えってことね」
「そうだ」
「それと、結晶化反応を確認している」
「何になりそう?」
「おそらくジョブだ」
「自称経営者のジョブねぇ」
「回収できれば戦力になる」
「いらねえ能力だったら?」
「持ち帰れ」
「公務員って大変」
レヴァンが資料を閉じる。
「作戦決行は明日、二十三時」
「また夜かよ」
「対象の沈下が安定する時間帯だ」
「はいはい。わかったよ、行ってくる」
アウロはアンカーを拾い上げる。
「無駄撃ちはするな」
「撃つには十発もらわないといけないんだけど?」
「なら撃つな」
「最低の作戦指示だな」
短い沈黙。
「……アカネに変化はない」
アウロの表情から、わずかに軽さが消える。
「そっか」
「勝手に潜るな。許可は出さん」
アウロはドアへ向かう。
「わかってるよ」
少しだけ間を置く。
「……今はな」
「アウロ」
ドアの前で足が止まる。
「死ぬな」
アウロは肩越しに手を振った。
「浅層だろ?」
そのまま、執務室を出ていった。
静かな病室。
機械音だけが響いている。
眠ったままの女性がいた。
アカネ。
アウロは椅子へ腰掛け、机へ缶コーヒーを置く。
「次、第三層だってよ」
返事はない。
「四十二のおっさん。」
アウロは眠ったままのアカネを見る。
「……まだ迎えに行けなくて、悪いな」
窓の外が、少しずつ白み始める。




